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日本で初めてのスモールラグジュアリーホテルに認定された、ホテル ラ・スイート神戸。その理由は、スタッフ全員の「Give&Give」のおもてなしにありました。

ゲスト

ホテル ラ・スイート神戸ハーバーランド 総支配人 檜山 和司

ホテル ラ・スイート神戸ハーバーランド 総支配人

檜山 和司

神戸市生まれ。30年を超えるホテル勤務の間に、三ツ星レストラン「アラン・シャベル」「ラ・コート・ドール」に13年間在籍。1996年第1回メートル・ド・テルコンクールに優勝し、日本最優秀メートル・ド・テルに選ばれる。現在、国際メートル・ド・テル連盟に所属し、平成27年「メートル・ド・テル」として初の神戸マイスターに認定される。

インタビュアー

株式会社 Loco Partners 取締役 塩川 一樹

株式会社 Loco Partners 取締役

塩川 一樹

1979年生まれ、立命館大学経済学部卒。株式会社ジェイティービーを経て、株式会社リクルートへ中途入社。旅行事業部にて、首都圏・伊豆・信州エリア責任者を歴任し約2,000施設以上の担当を歴任。2012年7月より株式会社Loco Partners取締役に就任。

「人生のスイッチ」に生かされてきた、これまで。

ホテル ラ・スイート神戸ハーバーランド

塩川:ホテル ラ・スイート神戸ハーバーランド(以下「ラ・スイート神戸」)に入られるまでの、檜山さんのプロフィールをうかがいたいと思います。

檜山:私は神戸市須磨区に生まれ育ちました。高校時代は進学校へ通っていたのですが、当時はとても不景気でした。有名大学を出ても就職できないという時代でしたので、手に職が欲しいと思ったのです。そこでその頃フランスの文化、芸術に憧れていた私は調理師学校への進学を決めました。アート性を表現したいということで調理師学校ではフランス料理を学び、そこを出てからは大阪の老舗フレンチレストランで5年間ほど料理人をしていました。

塩川:進学校から調理師学校へ進まれ、フランス料理の道に入られたのですね。

檜山:はい。最初に勤めたそのフレンチレストランでは、アメリカンフットボールのオフェンスとディフェンスのように、定期的にキッチンとサービスの入れ替わり制で働いていたのですが、あるとき私がサービスをしていたお客様が「今日は美味しかった」ではなく、「今日は本当に楽しかった、ありがとう」と、とても喜んでくださったのです。そのときに、もしかしたら自分は料理よりもサービスの方が向いているのではないかと思ったのです。そこで5年間勤めた後に、神戸にできたミシュランガイド三ツ星レストランの日本支店「アラン・シャベル」に入りました。

塩川:「アラン・シャベル」といえば、アラン・デュカスも影響を受けたといわれるフレンチの名門ですね。

檜山:「アラン・シャベル」にはアルバイトとして入ったのですが、出世欲もなく、自分はただ目の前のお客様を喜ばせることしか考えていませんでした。そうするうちにお客様の中で私のファンだと言ってくださる方が増えたのですね。すると9ヶ月で正社員に採用されて、あれよという間にマネージャーになっていたのです。「アラン・シャベル」にお越しになるお客様というのは、年に何度もフランスを訪れるような富裕層の方々です。そうした方を楽しませようと思ったらフランスについてもっと勉強しなければいけないと思い、お金を貯めて2,3年に1度はフランスへ行って本場の一流の料理とサービスに触れるようにしていました。そこでは感動のあまり死んでもいいと思うような至福の瞬間を数回体験しました。その時に私もお客様に一生涯に残る感動のサービスを提供できるのではないかと考え、そうした体験を経て、「アラン・シャベル」が亡くなった1年後に三ツ星に昇格したばかりの「ラ・コート・ドール」へ移りました。

塩川:「ラ・コート・ドール」でも、のちに影響を与える出来事を経験されたのでしょうか。

檜山:移籍して3年目に阪神淡路大震災が起きまして、残念ながら「ラ・コート・ドール」はなくなってしまいました。そして私もあの震災で自宅が全壊しましたが、そのときに「私は生きているのではなく、生かされているのだ」と感じ、「その為には何かに恩返しをしなければいけない」いうことに気づきました。私の人生に運命のスイッチが3つあったとすれば、1つ目はサービスの醍醐味と楽しさに気づいたとき、2つ目はフランスの三ツ星レストランで究極の料理とサービスに感動したとき、3つ目は震災で「生かされている」と感じたときなのです。

塩川:サービスに目覚め、本場の味に感動し、そして震災によって「生かされている」と感じたことで人生のスイッチが入ったのですね。

ホテル ラ・スイート神戸ハーバーランド

檜山:震災の翌年、私は神戸に明るい話題をと思い、東京で開催された第1回のメートル・ド・テルコンクールに参加しました。コンクールでは「いらっしゃいませ」と言った瞬間に、コンクールであることを忘れて目の前にいる人たちを喜ばせるサービスに没頭したのですね。その結果、銀座のマキシム・ド・パリの支配人などそうそうたる方々が出場されていたこのコンクールで、優勝することができました。それで私は震災のときと同じように、「これはなにか恩返しをしなければ」と感じたのですね。そこで、全日本メートル・ド・テル連盟を設立し、レストランサービスに従事する後進の人材教育に携わるようになりました。

塩川:震災で生かされ、コンクールでも優勝したことで、なんらかの形で世の中に還元しようと考えられて、人材教育の道へ進まれたのですね。

檜山:はい。その後、独立して人材コンサルティングの仕事をしていたときにラ・スイート神戸での新入社員教育を担当しました。そこで教育用に撮影したビデオを弊社の社長が見まして、「総支配人にならないか」と私を誘ってくださったのです。何度かお断りをしたのですが、「檜山さん、これは神戸の地域への恩返しなのですよ。一肌脱いでいただけませんか」と言われまして、神戸に恩返ししなければという気持ちでお引き受けしたのです。

塩川:檜山さんの根源には常に「誰かのために」という発想があり、ご縁を紡がれてきたという印象があります。そうした「誰かのために」という考えになられたきっかけはどのようなものだったのでしょうか。

檜山:私は須磨で生まれ、幼少の頃に北区の鈴蘭台というところに引っ越しました。そこは自然がたくさん残っていまして、人間関係にぬくもりがあったのですね。誰かが困っていたらお手伝いするというのが当たり前だったのです。お互いが助けあい、それを喜んでくれる人がいたということが影響しているのではないでしょうか。両親からもたくさんの愛情を注がれたのではないかなと思いますね。

塩川:進学校から大学ではなく調理師学校へ行かれるという意思決定は、なんらかの体験に影響されてのことだったのですか?

檜山:映画などでフランスの華やかなパーティーや料理を見ていると、いつか自分もブラックタイで、あんなかっこいい社交界に行ってみたいという憧れはありました。また、高校時代は美術も得意でした。現在のメートル・ド・テルの仕事も料理やサービスだけではなく、想い出の時間や優雅な空間を演出するアーティストという側面もあるのですね。ですので、幼少時代の環境や憧れがすべて今につながっているのではないかと思います。

ホテル ラ・スイート神戸ハーバーランド 総支配人 檜山 和司

ホテル ラ・スイート神戸ハーバーランド 総支配人

檜山 和司

神戸市生まれ。30年を超えるホテル勤務の間に、三ツ星レストラン「アラン・シャベル」「ラ・コート・ドール」に13年間在籍。1996年第1回メートル・ド・テルコンクールに優勝し、日本最優秀メートル・ド・テルに選ばれる。現在、国際メートル・ド・テル連盟(本部イタリア)に所属し、全日本メートル・ド・テル連盟会長を務め後進の指導にあたる。平成26年度兵庫県技能顕功賞受賞。平成27年「メートル・ド・テル」として初の神戸マイスターに認定される。

ホテル ラ・スイート神戸ハーバーランド

ホテル ラ・スイート神戸ハーバーランド

兵庫県 > 神戸・有馬・明石

神戸港のオーシャンフロントに佇む、ホテル ラ・スイート神戸ハーバーランド。世界ブランドのスモールラグジュアリーホテルです。