職人の心を大切にする経営者の父と、みなの母のような女将を目指す娘。京都らしい日本の「和」を大切にし続ける親子の、これまでとこれからを語っていただきました。
ゲスト
祇園畑中 主人
畑中 誠司
京都府生まれ。大学卒業後、旅行会社に2年間勤務。その後、24歳のとき家業として「祇園畑中」を継ぎ、主人を務める。
インタビュアー
株式会社 Loco Partners 代表取締役副社長
塩川 一樹
1979年生まれ、立命館大学経済学部卒。株式会社ジェイティービーを経て、株式会社リクルートへ中途入社。旅行事業部にて、首都圏・伊豆・信州エリア責任者を歴任し約2,000施設以上の担当を歴任。2012年7月より株式会社Loco Partners取締役に就任。
塩川:まず、「祇園畑中」のはじまりと畑中社長の生い立ちをお聞きしたいと思います。
畑中:祖父の代からここで「祇園畑中」を営んでおります。ですので、京都では非常に新しい旅館ですね。祖父が60年近く前に西陣での商売を畳みまして、こちらに移り住んで旅館をはじめたのがきっかけです。
塩川:では幼少の頃から家業として旅館のことを認識されていて、いつか自分が継ぐのだというようなお気持ちがあったのですか。
畑中:いえ、あまり旅館業という認識はなかったのです。両親の休みがなくどこにも連れて行ってもらえなかったのは、今考えると旅館だったからなのかなというくらいですね。私には兄がいましたので、どちらかが旅館を継ぐのかなという考えはありました。そのために大学を卒業してからは旅行会社に2年ほど勤めました。旅行会社と旅館業は密接な関係がありますので、送客する立場で旅館業を考えられたらいいなということで、添乗員などをしました。
塩川:あっという間の2年だったと思うのですが、旅行会社での勤務を通じてご実家の家業が身近になるなど、お気持ちの変化はありましたか?
畑中:たった2年でしたが、旅館業というのはこんな感じなのかというのがなんとなくわかってきた気がしましたね。そして大学を卒業して2年、24歳になったときに父親から旅館をやるように戻ってくるようにと言われ、「祇園畑中」に戻ってきました。
塩川:ご実家に戻られて「祇園畑中」のどんなところを磨いてこられましたか?
畑中:京都らしいといわれますが、私は置かれた立場の仕事を淡々とやる職人です。与えられた仕事を淡々とこなしていいものをつくろうと、そういう心でやっています。
塩川:特別なことをしているというよりも、宿屋としてやるべきことをこまめにひとつずつ積み重ねているという印象ですね。
畑中:今もお客様の荷物運びなどもしていますが、私はどちらかというと裏方でメンテナンスをする立場にいます。販売戦略ですとか、どうしたらお客様が来てくださるのだろうかというアイデアは常にありますね。社員は自分の仕事をこなしていくことに集中していますので、新しいことを取り入れるのは経営者がやらなければという想いがあります。
塩川:経営者として舵をとることを常に念頭に置かれているのですね。社員のチームワークといったところにも気を配られているのでしょうか。
畑中:それが、1番気を配るところです。フロント、仲居さん、それと調理場、大きく3つセクションがあるのですが、想いのすれ違いなどによって歯車がずれることがあるのですね。ですので、ボーリング大会やバーベキュー、社員旅行などを実施して、できるだけコミュニケーションをとれる機会を増やすよう努めています。
塩川:さまざまなご苦労がおありなのですね。その中でも大変だったエピソードにはどんなものがありますか?
畑中:実は11年前に父親が亡くなりまして、翌年に母親が、そしてその3ヶ月後に私の家内が亡くなりました。そのときは精神的にとても辛かったのです。相談をできる人が誰もいなくなってしまったという孤独な気持ちでいっぱいでしたが、旅館をしていたから気持ちを保てていたところもありました。
祇園畑中 主人
畑中 誠司
京都府生まれ。大学卒業後、旅行会社に2年間勤務。その後、24歳のとき家業として「祇園畑中」を継ぎ、主人を務める。
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