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10年間を過ごしたホテルマン生活

塩川:ホテル時代のエピソードを詳しく伺いたいと思います。強い憧れを持ってホテルの世界に入られ、現在の礎となるさまざまな経験をされたと思いますが、具体的にはどのような時間を過ごされたのでしょうか。

一條:1番楽しかったのはホテル学校での研修時代ですね。研修は、まずホテルニューオータニのベルボーイからスタートしました。次に赤坂プリンスホテルの「マーブルスクエア」というラウンジに配属されたのです。それまで私はアルバイトをしたことがなく、トレイを持ったことすらなかったのです。そこでずいぶん先輩に怒られたものです。そして、そのときの先輩こそが私の妻、つまり現在の湯主一條の女将なのです。そんな研修にもだんだんと慣れ、とても楽しく過ごせましたし、研修期間が終わったときには、マネージャーから「アルバイトとして仕事を続けないか?」と言っていただけたのですね。そのことがとても嬉しくて、ホテル学校を卒業するまでアルバイトをさせていただきました。

陶泉 御所坊

塩川:では、その後は赤坂プリンスホテルでアルバイトを続けながら、学業とホテル研修を同時に重ねられたのですね。

一條:のちの研修では、高輪プリンスホテルの「トリアノン」というフレンチレストランにも行かせていただきました。サービスをする側として実際の現場を見る機会はあまりなかったので、貴重な経験だったと思います。そして、最後の研修場所がホテルワトソン(現:ホテルアベスト目黒)です。そこでフロント業務を担当していたところ、支配人からお誘いいただき、ホテル学校の卒業と同時にホテルワトソンに入社しました。それから3年間の勤務を経て、1996年にホテルインターコンチネンタル東京ベイに転職しました。当時はホリー・スティルの「究極のサービス」という本を読み、コンシェルジュという職業に憧れを抱いていたのですが、最初はフロントへ配属されたのですね。ただ、あるとき運よく希望通りコンシェルジュに就くことができました。それから奮起して、どんどんとホテルマンとしての仕事に磨きをかけようと努めていたのですが、そんなタイミングで疎遠だった母親と東京でばったり出会い、宿命としてご先祖様たちに呼ばれたのだなと感じましたね。

塩川:ホテルマンとして「これからだ」、「昇っていくぞ」という兆しが感じられた矢先に、大きな分岐点が訪れたのですね。10年間を過ごしたホテルからご実家である旅館に戻ることに対して、戸惑いはなかったのでしょうか。

一條:自分自身も、ホテルマンとしてのこれからをとても楽しみにしていましたし、周囲の方から「もう少しホテルで頑張ってみないか」とお声がけも頂いていました。ただ、その頃には妻のお腹も大きくなってきていたので、タイムリミットはここだと決断したのです。ホテルで経験を積むことができて本当によかったと思っていますし、自分の選択は間違いではなかったなと感じています。

時音の宿 湯主一條 第20代目当主 一條 一平

時音の宿 湯主一條 第20代目当主

一條 一平

1969年、「一條達也」として生を受ける。宮城県出身。ホテルインターコンチネンタル東京ベイにてフロントとコンシェルジュを経験。日本コンシェルジュ協会ホテル会員。2003年に湯主一條の社長に就任。2014年3月、裁判所の許可を得て代々続く「一平」に襲名し20代目となる。

Ichijoh

Ichijoh

宮城県 > 白石・蔵王

森に囲まれた伝承600余年の老舗旅館。2008年にフルリノベーションされ、古き歴史や風情と新しく快適な空間を兼ね備える宿。