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回遊式の日本庭園と、随所に遊び心が光る「庭園の宿 石亭」。主人がこれまでの歩み、そしてオーベルジュへの夢を語ります。

ゲスト

庭園の宿 石亭 主人 上野 純一

庭園の宿 石亭 主人

上野 純一

1957年、広島県廿日市市佐伯郡大野町生まれ。慶應義塾大学卒。大学卒業後に帰広し、30歳で「庭園の宿 石亭」と「あなごめし うえの」の代表に就任。

インタビュアー

株式会社 Loco Partners 取締役 塩川 一樹

株式会社 Loco Partners 取締役

塩川 一樹

1979年生まれ、立命館大学経済学部卒。株式会社ジェイティービーを経て、株式会社リクルートへ中途入社。旅行事業部にて、首都圏・伊豆・信州エリア責任者を歴任し約2,000施設以上を担当。2012年7月より株式会社Loco Partners取締役に就任。

家業を継いで気づいた実情、葛藤の日々

庭園の宿 石亭

塩川:はじめに、上野さんのこれまでの歩みをお聞かせください。

上野:子どもの頃は、父親が旅館を経営していたということを知りませんでした。わたしが10歳のときに始めていたらしいのです。元来駅弁当の販売とお酒を売ることを生業にしており、その様子を母親のそばで見たりと、厨房が遊び場だったような子どもでした。そんな生活が続く中、父親が旅館を経営していると認識したのは高校生になってからでした。子ども心には、年に1回ここ(石亭)へ来たら美味しいものが食べられるというイメージの場所でした。わたしが宿屋を受け継ぐ上では、その父親のおかげで周りからずいぶん目をかけていただきました。父は、40代半ば、若くしてこの町の町長も務めていましたから。

塩川:この町の元町長が携わっている宿として、周囲からは認識されていたのですね。

上野:父が町長のときに自ら観光の目玉として開いたのが、この宮浜温泉(宮島対岸の浜辺の温泉)です。50年前(東京五輪のころ)に、日本列島改造の流れの中、海岸線の埋め立てをすすめ、宮島の玄関口の整備を筆頭にして町の行く末をごっそり変えた人です。今でもこの町は、まだまだ人口が伸びていく場所になり得ると私は捉えています。

塩川:そうした考えは、幼少期から高校時代にかけてお父さまの背中を見てきたということが影響しているのでしょうか。

上野:高校のときに父が旅館を経営していることを認識しましたが、ほどなく大学進学で東京に行きました。大学入学後、父が目黒の六畳一間のアパートに宮島のしゃもじと石亭のパンフレットを送ってきました。父いわく、日本交通公社と日本旅行というところがあるから、そこへ行って、こういう旅館、石亭があるということを伝え、営業をしてくれ、という意味だったのです。それくらい切羽詰まっていたのでしょう。

塩川:東京へ行かれていろいろなものに触れて、進路を考えると思うのですけれども、上野さんはいかがでしたか。

上野:大学最後の4年生のときは、東京に旅館の案内所をつくろうと思いました。そうした1年を過ごし、すぐ広島に帰ってきました。そして、初めてこの宿の予約帳を見ましたら、予約が1週間に1組や2組とか、ゼロの日が多いのです。東京の案内所で働いていたときには一通りいろいろな旅館へ研修に行かせてもらいましたので、旅行業者取引名簿などの存在も知っているのですが、石亭にはその名簿もなかった。しかし、父は、商売の家に育ちましたが、行政に身を置いて、引退後は観光協会、商工会の会長を引き受け、再び行政の世界に身を置き、町のために動いていました。帰ってきてすぐにやらなければならないと考えたのは、東京より近い大阪に案内所をつくり、お客さまを呼び込むということでした。

塩川:ご実家に戻って来られて、いよいよ家業を継いでいくというフェーズに入られたところで、苦労でしたり、一方で支えになったことはありましたか。

庭園の宿 石亭

上野:苦労、そうですね。私が「お兄ちゃん」として慕っていた料理長と決定的な衝突をしました。大阪では良い人柄のご夫妻と出会い、大阪案内所を引き受けていただきました。頻繁に営業へ行ったのですが、町の小さな旅行業者さんで、料理に難色を示されたのです。それで、お兄ちゃんと慕う相手が作るものであっても、こういうレベルの料理を出していてはいけないのだと分かりました。それからは自ら専門料理の本を買いはじめて、料理のことが少しずつ分かりだしたのです。たとえばカキフライ。それなりの竹製の盛り器、また焼き〆の器に水を含ませて、ゆずり葉や裏白のシダ葉などの青葉を添えカキフライが盛り付けられる、そこに焼き目のついた青唐辛子が添えられて、塩や酢橘が切って添えてある。その工夫の繰り返しで料理が改善していくわけですが、長いマンネリの中、板前さんが一人でやっていては限界がありました。こんなやり取りのうちにお兄ちゃんと呼んでいた板前さんが辞めることになります。新しい人が入ってくる。でも、その人もやっぱりダメの繰り返しということが数年くらい続きました。そういう料理の苦労をはじめの頃にもいたしました。

塩川:初めて営業に行かれて、自分の宿の立ち位置が分かってきて、その中にある人間関係や変えていかなくてはいけないジレンマなど、葛藤があったのですね。

庭園の宿 石亭

上野:葛藤ではない、単なる焦りですね。もう潰れると思いました。経営者である父親に対するやり場のない怒りですね。切迫した状況の中にあって何もできない父。しかし、いろいろなところにいい顔をしていかなければいけない立場に立ち、ただ息子が帰ってきてくれたということでなんとなく安住してしまっている父親の気持ちですね。そして、駅弁当の「あなごめしうえの」もありましたから、宿と両方で未熟な支配人として携わりました。すべてが中途半端です。

庭園の宿 石亭 主人 上野 純一

庭園の宿 石亭 主人

上野 純一

1957年、広島県廿日市市佐伯郡大野町生まれ。慶應義塾大学卒。大学卒業後に帰広し、30歳で「庭園の宿 石亭」と「あなごめし うえの」の代表に就任。

庭園の宿 石亭

庭園の宿 石亭

広島県 > 広島・宮島

1500坪もの日本庭園をもちながら客室はわずか12室というこの地でも随一の離れづくりの一軒。美しい庭園を見ながら、日本の心に触れる癒やしの時間をどうぞ。