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激動の10年間を乗り越えて

塩川:そうした中で9.11のテロ事件が起き、日本のお父様からも会社を継いで欲しいとお声がけがあって帰国されたのですね。日本に戻り金谷ホテル観光株式会社に入られていかがでしたか?

金谷:組織が旧態依然としていることへのカルチャーショックが大きかったですね。当時は宿泊施設の顧客情報もデータ化されていなかったので、情報企画室というものを立ち上げて、まず顧客情報のデータ化と整理、そして当時、旅館業ではあまり積極的ではなかった自社ホームページ立ち上げに取り組みました。

塩川:まずはIT化をしていこうとされたのですか。

鬼怒川金谷ホテル

金谷:そうですね。当時は鬼怒川温泉ホテル、鬼怒川金谷ホテルの双方を情報企画室から俯瞰しながら自由に動いていました。ただ、帰国して1年目の2002年の鬼怒川温泉ホテルで食中毒事故や、足利銀行の破綻、4年目には会社が再生機構に入るなど、次々と問題が噴出しておりました。そんな大変な時期にスタッフが一丸となって取り組んでいたのですが、自分が本格的に組織に参加したのはそこからだったのです。

塩川:日本に戻られた直後から、大変なことが次々に起こったのですね。

金谷:いろいろな問題が重なって会社の経営が行き詰まり、2004年には産業再生機構に入ったのです。父はすべての経営責任をとって会社を離れ、もちろん祖父の写真も先代の写真も全部外されてしまいました。私は事業再生の条件として自分自身が一社員として残るという道を選びましたので、そのあとの4年間は会社をどう再生させようかと必死でしたね。

塩川:そこからがむしゃらに建て直していかれたのですね。

金谷:そうですね。2005年に産業再生機構がスタートしてから4年間は、収益をどう上げていくかということと旧態依然とした体質改善に取り組みました。2009年に事業再生が終了した際には、資金を集めてホールディングスを立ち上げ、金谷ホテル観光株式会社を買い戻しました。

塩川:2001年から10年ほど、激動の時間を過ごされたのですね。

金谷:はい。社長に就任してからのことを振り返ってみると、自分でも驚くほど困難やトラブルを乗り越えてきたように思います。

金谷ホテル観光株式会社 代表取締役社長 金谷譲児

金谷ホテル観光株式会社 代表取締役社長

金谷譲児

1973年生まれ。大学時代をスイス・アメリカで過ごし、THE KITANO HOTEL NEW YORKにてホテル・マネジメントを学ぶ。2001年に帰国し金谷ホテル観光株式会社に入社。2008年に鬼怒川金谷ホテルの総支配人に就任後、2011年3月より現職。

Kinugawa Kanaya Hotel

Kinugawa Kanaya Hotel

栃木県 > 鬼怒川・川治・湯西川・川俣

日光の豊かな緑に囲まれてたたずむ、鬼怒川金谷ホテル。東洋と西洋、伝統とモダンが融合する、“渓谷の別荘”です。