Relux Journal

地域に溶け込み、その土地の魅力を伝えていく「Azumi Setoda」。館の主人としてのおもてなしを体現する窪田氏に、これまでの歩みとこれからのAzumi Setodaが目指す姿を伺いました。

ゲスト

女将 窪田 淑(くぼた よし)

Azumi Setoda 女将

窪田 淑(くぼた よし)

アメリカのアマンガニやバリ島のアマヌサにてオペレーションに従事後、ブータンのアマンコラや伊勢志摩のアマネムではマネジメント職を経験。その他、アマンリゾーツの日本セールスオフィスの立ち上げに携わる。2019年よりAzumi Setoda開業準備に参画し、現職。

インタビュアー

株式会社 Loco Partners 営業部 代表取締役副社長 塩川 一樹

株式会社 Loco Partners 代表取締役副社長

塩川 一樹

立命館大学経済学部卒。株式会社ジェイティービーを経て株式会社リクルートへ中途入社。旅行事業部にて首都圏・伊豆・信州エリア責任者を歴任。2012年7月より株式会社Loco Partners取締役に就任。2020年4月より現職。

第1章:子どもの頃の記憶〜イギリスへの留学へ

塩川:はじめに、窪田さんのホテリエになられたきっかけや、これまでのあゆみを教えていただけますか

窪田:子どもの頃に、家族旅行でハワイのホテルに連れていってもらったことがきっかけですね。クリスマスシーズンだったのですが、大きなロビーとクリスマスツリー、サンタクロースがとても印象的に残っています。片言の英語でもコミュニケーションが楽しかったり、親にもらった1ドルをホテリエに渡して館内のプールでタオルをもらったり。そこには色々な人たちの非日常が広がっていました。その時の情景がきっかけで、将来ホテルで働くことを念頭に、英語も必須だと思って高校卒業後にイギリス留学をしました。オックスフォード・ブルックス大学でホテルマネジメントを専攻して4年で卒業。イギリスでは、トータルで6年間過ごしました。

塩川:思い出深いエピソードや発見はありましたか?

Azumi Setoda

窪田:まず学生が運営する大学のレストランでの実習が思い出されます。調理やサービス、ワインテイスティングなどいずれも初めてで面白い経験でしたし、日本人とイギリス人が運営するB&Bホテルでの1年間の実習も勉強になりました。また、イギリスという国は多種多様の文化、国籍が集まるところです。そうした違いがある中でどのようにコミュニケーションを取るべきか、といった授業もありとても面白かったですね。卒論もダイバーシティ・ワークフォースをテーマにして理解を深めました。今思えば国や文化の違いを知ることが好きだったことにも気付かされたようにも思います。アルバイトもたくさんしましたよ。日本食レストランやおしゃれな中華カフェのようなお店など。アパレルのZARAが出店してきてそこでも働きました。アルバイトの立場でも従業員向けのクリスマスのプレゼントがあって、ストールやお菓子が入っていて嬉しかった思い出があります。大通りの路面店のBARではお客さんとのコミュニケーションは楽しかったですし、チップももらえました。

塩川:言語を覚えてホテルマネジメントを学び、たくさんの実践を通して、ご自分の個性にも発見があったのですね。軽やかにどんどん行動に移せるのはすごいと思います。学生を終えて、ホテルへの就職はどのように進んだのでしょうか?

窪田:まず私自身は優秀な学生ではなかったので、ヒルトンやシェラトンといった世界的で大型のホテルチェーンへの縁はありませんでした。首席で卒業するような優秀な同級生たちは、こうした名の通ったブランドのホテル会社のマネジメントコースに選抜されていったりなど、自分との差を感じていました。また、イギリスにおいてはアジア人の就労ビザ取得の難易度がとても高く、自然とアジアのホテルを選択肢として考えるようになっていました。なかなか就職は簡単ではなかったのですが、その中でアマンリゾーツから返事が来て、最初のスタートを切ることができました。

塩川:なんとなくスモールラグジュアリーと縁があったのは合点がいくようにも感じます。

窪田:当時アマンの様々なホスピタリティ体験は、日本人にとってはまだ珍しく、アマンマジックと評されていろいろな記事として私自身の目に留まることもありました。そして、たまたまそのアマンの募集枠が目に留まり、応募をしたところ返事をいただいたという経緯です。

第2章:アマンリゾーツとの出会い、Azumi Setodaへの挑戦

塩川:最初の勤務はどちらのホテルだったのですか?

窪田:アマンガニというアメリカのワイオミング州のホテルが最初のキャリアです。ロッキー山脈の中でも、もっとも美しいといわれる、グランドティトン国立公園の中にあるラグジュアリー・スキーリゾートです。それからバリ、ブータンとアマンを渡り歩き、日本に帰ってきました。

塩川:どのような経験になったのでしょうか?

窪田:バリではアマンジャンキーと呼ばれる熱烈なファンを受け入れ、現地の日本人ゲストのいち担当をこなしました。またブータンではチームを任せてもらい、マネージャーとしての経験をつませてもらい、それぞれで良い経験でした。特にチームを持つということは、一人では仕事ができないことをもっとも実感したときで、多国籍なチームを一つにするときに、人としての成長を一番強く感じた時期でした。そのブータンでの4年の勤務の間には、日本のアマン東京の開業や、アマネムの開業にも並行して携わりました。その縁もあり、アマネムでも3年間勤務することになり、国内外の違いやアマン経験者としてできることを模索したり、全てが良い経験でした。

塩川:Azumi Setodaへの挑戦はどのように始まったのでしょうか?

Azumi Setoda

窪田:アマン創業者のエイドリアン・ゼッカさんが日本で旅館をはじめると聞いて、このプロジェクトの瀬戸田という土地にはじめてやってきました。「ここなら住める」とすぐに思い参加を決めました。自然が近く、風が感じられ、しまなみ海道の拠点の一つということでアクセスも良い。しおまち商店街をはじめ、地元の人たちは外者に対してもあたたかく、ここで挑戦しようという思いになりました。今では地元の顔見知りも増えましたよ。そこからAzumi Setodaの開発、開業準備にのべ2年がかかり、2021年3月に開業となりました。ホテルでいえば総支配人、旅館における女将という立場としてスタートをきったのです。

塩川:その土地や人へのリスペクト、そして軽やかな行動力はとても窪田さんらしいですね。

第3章:地域に溶け込み、人の思いを磨いていく

塩川:Azumi Setodaのコンセプトを教えてもらえますか?

窪田:まずコンセプトですが、日本の旅館の良さでもある「その土地をよく知っている」ということを大事にしたいと考えています。そのために地域の人たちと交流し、地元の良いところを深く知るようになる。そうするとお客さまに地域の魅力を伝えることができます。地域に根ざしてきた日本の旅館の良さは、その土地の魅力を伝えることができることにあります。そして、主人がいる家のように、お客さまをお迎えしておもてなしをする。気兼ねなくわがままを言ってもらったり、こころよくお手伝いができるような。すごくシンプルですが、いろいろなお客さまをお迎えしたときに、その時々のお客様ごとにされたようなおもてなしを旅館の主人らしく体現できればと考えています。それから設えについてもゼッカさんの強いこだわりが込められています。もともとその土地の文化やその地域や建物の歴史を大切にする方で、敷地内にある木を1本でも切ることを好みません。ですから梁や柱などの躯体を存分に活かし、日本家屋らしさが残る欄間や、歴史を感じさせる調度品も数多く残されています。この館は地元の豪商であった堀内家の屋敷を譲り受けて生まれ変わったのですが、この思想に共感いただき、堀内家の皆さまからは大切に保管されてきた器の多くを寄贈いただくことにもなりました。

Azumi Setoda Azumi Setoda

窪田:その土地、その場所で主人が大切にしてきたことを大切に残すというのは、ゼッカさんが特に大事にしてきた考えでもあり、Azumi Setodaのコンセプトとも言い換えることができるように思います。

塩川:昨日から泊まらせてもらい、そのコンセプトはとても届いてきました。スタッフの方々それぞれが、地元でのエピソードや、建物についてを語ってくれましたし、食事の時にも器のことを、敬意を込めて語られていたことが印象的でした。ぜひ、Azumi Setodaでのおすすめの過ごし方も教えていただきたいです。

窪田:おすすめの過ごし方ですが、プールがあるようなリゾート地とは異なりますので、地域そのものを楽しんでいただくことにあります。降雨量が少なく晴天が多い。海が近くで爽やかな潮風が気持ちがいい。古くからある街並みを歩いたり、サイクリングや近隣の島を楽しむことなどをおすすめしています。

塩川:素敵な過ごし方ですね。私も車でお伺いする際に、瀬戸内海やレモン畑の風景などこの地域ならではの眺めを楽しむことができました。その様な美しい風景・体験が広がる「瀬戸田」という場所に根ざしていこうとする思いについてもお聞かせください。

Azumi Setoda

窪田:地元の文化や歴史はまだまだ地域の人たちと交流をしながら学んでいかないといけないと思っています。それから、地元出身のスタッフが今後増えていくことも目指していきたいですね。地元を自慢できることは純粋に素敵ですし、お客さまにとっても、ホテルの開業はまだまだ全国的にも進んでいくでしょうから、何年も顔見知りのスタッフが居続けることによる、お客さまとの長い関係性を築いていくことは一つの差別化になります。

塩川:記憶を共有しあえるスタッフがいてくれることは、お客さまにとってはとても嬉しいことですよね。あたたかい気持ちになれるかどうかは、お宿の在り方として最も重要なことのひとつだと感じます。

塩川:最後に今後の展望を教えてください。

窪田:Azumiブランドのフラグシップとして、この地にしっかり根付いていきたいですね。その過程でスタッフたちも成長していくでしょうし、今後のAzumiブランドを展開していく時には、牽引するメンバーとして羽ばたいてほしいと思っています。また指針はあえて作りこみすぎないことも大事なのではと考えています。地域やお客さまが喜んでいただける距離間や関わり合い方を、磨き続けるのが良いのではないかと思っています。そして海外のお客さまにAzumi Setodaを知ってもらえる日も待ち遠しいですね。

塩川:ホスピタリティの領域から、地域に根ざしていくことと、種をまきにいこうとしているお考えが伝わってきました。またホスピタリティに完成はないという謙虚さも、お人柄とともに印象に残りました。本日はありがとうございました。

Azumi Setoda

写真:町田 宗俊 / 文:福岡 航

Azumi Aetoda 女将 窪田 淑(くぼた よし)

Azumi Aetoda 女将

窪田 淑(くぼた よし)

アメリカのアマンガニやバリ島のアマヌサにてオペレーションに従事後、ブータンのアマンコラや伊勢志摩のアマネムではマネジメント職を経験。その他、アマンリゾーツの日本セールスオフィスの立ち上げに携わる。2019年よりAzumi Setoda開業準備に参画し、現職。

Azumi Setoda

Azumi Setoda

広島県 > 福山・尾道・しまなみ

その昔、大切なお客様をもてなす迎賓館として旅館は人々から珍重されてきました。かつて各地を船で回った廻船問屋として栄華を極めた堀内家。その「旧堀内邸」を今回旅館としてAzumi Setodaが受け継ぎました。