Relux Journal

水道橋に佇む、庭のホテル 東京。「心からくつろげる場所」を目指しながらも万人受けは狙わない独自のスタイルについて、総支配人の木下氏が語ります。

ゲスト

庭のホテル 東京 総支配人/株式会社UHM 代表取締役 木下 彩

庭のホテル 東京 総支配人/株式会社UHM 代表取締役

木下 彩

1960年、東京都出身。上智大学を卒業後、株式会社ホテルニューオータニに入社。同社を退社後、1994年に株式会社東京グリーンホテル(現 株式会社UHM)に入社、取締役に就任。1995年に代表取締役に就任。2011年より庭のホテル東京の総支配人を兼務。2013年に「ホテリエ・オブ・ザ・イヤー」を受賞。

インタビュアー

株式会社 Loco Partners 代表取締役(当時) 篠塚 孝哉

株式会社 Loco Partners 代表取締役(当時)

篠塚 孝哉

1984年生まれ。07年株式会社リクルート入社、11年9月に株式会社Loco Partnersを設立し、代表取締役に就任。2013年3月にReluxをオープン。趣味は旅行、ワイン、ランニング、読書など。

心からくつろげる場所の実現のために

庭のホテル庭のホテル

篠塚:木下さんのホテルでのキャリアの始まりは、大学をご卒業されてから1982年にホテルニューオータニに入られたことだと伺っていますが、どのようなきっかけだったのですか?

木下:実は、最初は「どうしてもホテルで働きたい」と考えていたわけではありませんでした。大学で英語を専攻していたので、英語を活かせる仕事がしたいと漠然と考えていたのですね。ただ、もともと実家が昭和10年創業の旅館で、私が就職した当時は事業転換しビジネスホテルとして運営していましたので、宿泊業への親近感はもちろんありました。ホテルニューオータニではフロントを担当していました。当時はバブル景気に湧いた時代でしたので、2000室以上の客室がしばしば満室になり、ひたすら忙しい中で与えられた仕事を一生懸命やることで精一杯でした。与えていただいたものを喜んでやる、という姿勢がベースにあって今に至ります。また、その時に一緒に働いていた先輩や後輩とは今もつながっていて。部活の仲間のような感覚ですね。その人脈も、今になって仕事の役に立っています。

篠塚:それから、これまでずっとホテル業に携わってこられたのですか?

木下:専業主婦やホテルとは関係のないアルバイトをしている時期もありました。結婚をきっかけにしてホテルニューオータニを退職したのですが、当時は20歳代で結婚をして辞めることが普通の時代だったのですね。退職後は、現在当社の常務である夫とともに母の実家である静岡のホテルを2年ほど手伝っていました。その後、平成元年に「東京グリーンホテル水道橋」(庭のホテル
東京に建て替える前のホテル)の増築工事や出産を機に東京へ戻り、私はしばらく専業主婦をしておりました。2〜3年が経った頃に、「このままずっと専業主婦でいるのも物足りないな」と感じて仕事を探し始めたのですが、母に反対されてしまって。母は私たちが小さい頃は旅館の若女将の立場でしたから、本当はもっと子どもの面倒をみてあげたかったという気持ちがあったのだと思います。

篠塚:お母様は、静岡から東京へと環境も変わった中で子育てと仕事を両立させるのは難しいと感じていたのかもしれないですね。

木下:そうですね。実は、母の会社へ入るという方法もあったのですがあえて断りました。というのも、当時の当社には小さな子どものいる女性がおらず、私が入社した場合に子どものことで急に早退したり休んだりして「社長の娘だから勝手なふるまいをしている」と思われたりすることは、今後当社にも現れるであろう子育て中の女性社員のためにも良くないと考えたのです。それで、自分で仕事をさがして個人事務所の秘書をしておりましたが、そのうちに母の体調が悪くなって。しかし、教員をしている兄たちは仕事を離れられないということで未経験ながら私が代表として跡を継ぐことになりました。

篠塚:しばらくホテルとは違う仕事をされていて、さらにまったくの未経験で会社の代表になられたということですが、未知の業務をどのように乗り越えてこられたのですか?

木下:現場には経験の長いスタッフが揃っていたので任せられることは任せながら、社長業について一歩ずつ学んでいきました。初めの数年間は、幹部に助けてもらってそれまで通りの営業を続けていけば何とかなるだろうと思っていたのですが、やがてそれではまずいのではないかと感じるようになったのです。さらに、周囲には競合にあたるホテルも増えていき、このままでは古くて客室の狭いホテルは安売りするしかなくなる、何か新しいことを考えなければと思うようになりました。

庭のホテル

篠塚:それから、いよいよ庭のホテル 東京の構想が始まったのですね。機能的なビジネスホテルが一斉に増えていった時期でもあったと思いますが、どのようにコンセプトメイクをされたのですか?

木下:具体的にリニューアルのコンセプトメイクを始めたのは、2004年頃のことです。東京グリーンホテル水道橋はビジネスホテルとしての立地は悪くなかったのですが、自分がお客様の気持ちになるとしたら「便利ならいい、寝られればいい」ではなく、「心からくつろげるホテルがほしい」と考え始めたのですね。資金力はなくとも、他のビジネスホテル等とは違う個性をきちんと作り込んでいけば、10年、20年経っても安売り競争には巻き込まれないのではないかとも考えました。それからのコンセプトメイクは、私がすべてを主導するのではなくコンサルタントや幹部、兄たちとも話をしながら完成させました。

あえて、「万人受け」しないことを。

篠塚:機能的であることが重要視されていた時代に「気持ち良さ」を重視することは、主流派ではないですよね。それに対する反発はなかったのでしょうか。

木下:もちろん反発はゼロではなく、「上手くいくわけがない」という声もごく一部にはありました。それでも、幹部との話し合いもしていましたから、ありがたいことにほとんどのスタッフが素直に提案を受け入れてくれました。

篠塚:皆の反発を押し切って、ということではなく、チーム全体で最初から話し合っていかれたのですね。コンセプトができあがるといよいよ具体的な準備も始まりますが、その段階ではどのような役割で仕事をされていたのですか?

木下:開業準備室ができてからは、どういう備品を導入しよう、どういうサービスをしようかとみんなで具体的に考えていきました。ホテルを2年少々お休みしている間は、その機会にということで留学したスタッフもいましたし、海外のホテルで経験を積みたいというスタッフもいましたが、みんな庭のホテル 東京の2年目オープン時には戻ってきてくれました。

庭のホテル庭のホテル
庭のホテル庭のホテル

篠塚:お聞きしていると、チーム力というか、従業員の方のロイヤリティがとても高い印象を受けますね。

木下:居心地が良い会社だからかもしれません。新卒で入社以来、ずっとこの会社にいるスタッフも多くいますが、生え抜きで自分のホテルしか知らないとどうしても世間が狭くなってしまいますし、世間の荒波にも揉まれることはありません。だから、私が勤めていたホテルニューオータニや知人のいるホテルへ勉強しにいってもらったりもしました。他のホテルを内側から見させていただく機会はなかなか無いので、休業中の2年間が良い勉強の機会になりましたね。

篠塚:通常はデメリットになりそうな2年間の休業が、反対にスタッフの方の成長を促す機会になったのですね。実際にオープンされてからの状況はいかがでしたか?

木下:リニューアルを計画していた時はこれから景気が良くなるという見通しだったものが、開業前年にリーマンショックがあり、状況は苦しいものでした。特に庭のホテル 東京は知名度もなかったので、まずどのようなホテルかを知っていただくことが大変でしたし、開業から1年経っても稼働率は50%前後でした。しかし、私は庭のホテル
東京は本当に良いホテルだと信じていて、その良さを知っていただけたなら必ずお客様は来てくださると思っていました。ですから、いかにしてホテルのことを知ってもらうかがとにかく大事だ、そこさえクリアすれば絶対にうまくいくはずだと思っていました。

篠塚:苦しい時期を乗り越えられて、何年目から順調に滑りだしたのですか?

庭のホテル

木下:開業年の秋にはミシュランガイドに載って、きちんと認めてもらえたという喜びがありました。だからといって急にお客様が増えたわけではないのですが、自信を持たせてくれた1つの要因ではありましたね。2年目からは海外のお客様も増えてきたのですが、そこで震災がありました。震災後は価格を下げて販売するホテルも増えましたが、「庭のホテル
東京はそういう価格帯のホテルなんだ」というブランドを作ってしまうのは絶対に避けるべきだと思い、価格は下げませんでした。そうしているうちに、マスコミや旅行業界関係の方から「庭のホテル 東京って良いよね」という評価を頂いたり、注目していただくことが多くなってきましたね。

篠塚:未だに、「庭のホテル 東京は良い」という声は大変多くお聞きします。その頃になって、木下さんのコンセプトがようやく認知されてきたのかもしれませんね。

木下:仰るとおり、庭のホテル 東京の認知度はだんだんと上がってはきましたが、私が大事だと思っているのは、みんながみんな良いと思わなくても良いということです。「万人受けする=万人にとってそこそこ良い」ということですから、全員でなくとも一部の方に「すごく良い」と感じていただけたならそれで十分だと思っています。

庭のホテル

リピーターではなく「ファン」をふやすこと

篠塚:全員にとって良いホテルになれるよう努力するのではなく、認知の分母を広げていくということですね。平均的なサービスを作りたいわけではなくて、特定の趣味が合う人に来ていただけたらとお考えなのですか?

木下:私はそれで十分だと思っています。このホテルのテイストは自分に合うな、と思ってくださる方の数を増やしていく。仮に100人中10人がそう思っていたとして、残りの90人もそちらに向ける努力をするよりも、100人しか知らなかったところを1000人にして、そのうち100人はすごく良いと思ってくださるという方向にすべきなのだと思っています。その点、インターネットを活用することはとても効果的ですね。そして、直接の口コミ。ご自分はいつもレストランに来られていて宿泊されたことはないのに、「すごく良いホテルだからぜひ泊まりなさい」と他の方にご紹介いただいたこともあります。

庭のホテル

篠塚:それは面白いストーリーですね。まだ宿泊を体験したことがないにも関わらず、いろいろな情報を見聞きしている間に、気づくと庭のホテル 東京のファンになっているのですね。会社で働かれているスタッフの方を見てもロイヤリティが高いというお話をさせていただきましたが、お客様のロイヤリティも高い印象を受けます。

木下:そうですね。当初から、いわゆる「リピーター」のお客様ではなく、庭のホテル 東京の「ファン」を増やそうと思っていました。一般的には、ポイントが貯まっているから泊まるという金銭的なロイヤリティはあっても、「絶対にここに泊まりたい」というロイヤリティの高さはあまりないということも多いですよね。

篠塚:たしかに、一度も宿泊していないのに他の方に紹介してくださるというのは、まさに「ファン」ですよね。非常に勉強になりますし、Reluxとしても「ファン」を増やすためのお手伝いをしなければと感じます。ほかに、庭のホテル 東京の強みはどこにあるのでしょうか。

木下:「人」ですね。もちろん揉めごとはゼロではないですが、素直なスタッフばかりで仲も良いですし、みんなでともに頑張ろうという気持ちが強いです。それは、おそらくお客様にも自然と伝わること。庭のホテル 東京の雰囲気が好きで来てくださるお客様で、「庭のホテル
東京の良さは言葉ではうまく伝わらないのよ。行ってみればわかるから」と仰る方がいらっしゃいますが、何となく流れているそうした雰囲気をスタッフのみんなが作ってくれているのだと思います。

篠塚:言葉にはしづらい無形の価値を感じているからこそ、「うまく伝わらない」と仰るのかもしれません。そうした「人」がつくるサービス面で心掛けられていることはありますか?

庭のホテル

木下:庭のホテル
東京は決してラグジュアリーホテルではないので、至れり尽くせりのサービスをしたいとは思っていないのです。私自身が、あまり構われすぎるサービスよりも、どちらかというと付かず離れずのサービスが好みなのですね。これに関しては、納得していただける方とそうではない方とあると思います。それでも、口コミなどでその点を評価してくださる方もいるので、ハード面だけではなくサービス面も気に入っていただけているのではないかと思っています。もちろん、一人一人の好みは違いますから、至れり尽くせりのサービスがお好みの方がいらしたなら可能な範囲でリクエストにはお応えしますが、どなたにでもそうするのが良いとは思っていないということです。

篠塚:全体でおもてなしを統一するのではなく、それぞれのお客様の好みにあわせようということですね。

木下:それが一番難しいことで、なかなか実現できていないこともあるのですが、理想としてはそうしたいと思っています。

スタッフの幸せがお客様の幸せ

篠塚:では、これからの展望をお聞かせください。開業されて以来さまざまな社会的変化もありましたが、今後はどう進まれるのでしょうか。

庭のホテル庭のホテル

木下:さきほど申し上げたようなサービスの一層の拡充ですとか、もうすぐ7年経つので少しずつリニューアルもしていけたらと考えています。あとは、やはり「庭のホテル
東京に泊まりたい」と思ってくださる方を増やしていくことですね。一方で、事業所が2ヶ所のみのため、スタッフの成長過程にあわせてポジションを用意できないという問題もあります。もちろんみんなが当社のホテルで楽しく充実して働いてくれれば一番良いのですが、スタッフが選ぶ新しい道も尊重しなければいけません。その時、「さすがに庭のホテル
東京で働いていた人はすごいね」と言われるような、エンプロイアビリティのある人物になっていけるようにスタッフを育てなければいけないと思っています。

篠塚:成長したスタッフが結果的に庭のホテル 東京を去ることになっても、庭のホテル 東京で得たものを糧に別のホテルで活躍してくれたなら、それは木下さんにとって幸せなことだということですね。

木下:もしかしたら、そのようにして旅立っていったスタッフが経験を活かして新しいホテルや旅館を作り、業界を盛り上げてくれるかもしれないですよね。だから、ホテルで働きたいと思う人の数を増やしたいとも考えています。現在のホテル業界は、残念ながら人気の高い業界ではないですが、それは業界にとって大きな問題なのですね。もっと夢を持ってこの業界で働きたいと思ってもらえるようにしていかなければならない。きちんと成果をあげている若い人たちが、それに対しての報酬もきちんと受け取るように努力していかなければいけないと感じていますね。

篠塚:庭のホテル 東京や木下さんだけで何かをするということではなく、より大きな意味で、ホテル業界を盛り上げていきたいと。

木下:そこで私がどれだけ役に立てるかは分からないのですが、もともとホテルに携わっていた経験のない方がホテルビジネスをすると、残念ながら儲けることだけが目的になってしまうこともありますよね。そういった意味では、せめて私たちは何とかして頑張らなければいけないと思います。

篠塚:庭のホテル 東京として、さきほど仰っていた若いスタッフの活躍を促すことができた例や、実際にお客様から頂いたおもてなしへの感想などはありますか?

庭のホテル

木下:エピソードはたくさんあるのですが、東日本大震災のあと、東北でカウンセリングのお仕事をしている女性が泊まりに来てくださって、チェックアウトの際に頂いた感想が印象的です。「本当に数ヶ月振りに、素の自分に戻れた気がします。今まで自分が意識しないで気を張っていたものが、すっと抜けました」と、そう言ってくだったのです。私にとって、ホテルは心からくつろげる一番の場所であるべきもの。仕事で来るにせよ、遊びで来るにせよ、ホテル自体を目的に来るにせよ、それが何より大事だと信じていますし、そういう場所であり続けられればいいなと思っているので、涙が出るほど嬉しいご感想でした。実際にお客様にそういう風に感じていただけている雰囲気は、一人一人のスタッフがみんなでつくっているものです。私自身は、実は何もできていない。実際にお客様に向かい合うのはスタッフであり、スタッフが本当に幸せでなければ、お客様を幸せにすることもできない。そういう意味で、ここで働くスタッフたちを幸せにすることが私の仕事なのだと思っています。

篠塚:スタッフが幸せであるからこそ、クオリティの高いサービスをお客様に提供することができる。その支えとなっていらっしゃる木下さんの人柄が庭のホテル 東京の空気をつくり、「ファン」を増やしているのだと感じました。本日は、貴重なお話をお聞かせいただき、本当にありがとうございました。

庭のホテル

写真:田中 和広 / 文:宮本 とも子

 

 

 

 

庭のホテル 東京 総支配人/株式会社UHM 代表取締役 木下 彩

庭のホテル 東京 総支配人/株式会社UHM 代表取締役 木下 彩

木下 彩

1960年、東京都出身。上智大学を卒業後、株式会社ホテルニューオータニに入社。同社を退社後、1994年に株式会社東京グリーンホテル(現 株式会社UHM)に入社、取締役に就任。1995年に代表取締役に就任。2011年より庭のホテル東京の総支配人を兼務。2013年に「ホテリエ・オブ・ザ・イヤー」を受賞。

庭のホテル 東京

庭のホテル 東京

東京都 > お茶の水・湯島・九段・後楽園

“江戸の粋”がコンセプトの美しい室礼が魅力の、庭のホテル 東京。伝統とモダンの調和のなかで居心地の良い滞在を愉しむことができます。