Relux Journal

スタッフ、そして地域と一丸となってリゾートホテル「はいむるぶし」を育ててきたふたりのホテルマンに、これまでの歩みと、ホテルや小浜島にかける想いを伺いました。

ゲスト

株式会社はいむるぶし 代表取締役社長 兼 総支配人 渥美 真次

株式会社はいむるぶし 代表取締役社長 兼 総支配人

渥美 真次

1965年 愛知県生まれ。大学卒業後にヤマハのリゾート運営会社に入社し、1990年にはいむるぶしに転勤。2014年より現職。小浜島生活は通算25年目を迎える。

ゲスト

株式会社はいむるぶし 販売企画部 部長 中村 勝彦

株式会社はいむるぶし 販売企画部 部長

中村 勝彦

1965年 静岡県生まれ。大学卒業後にヤマハ株式会社のリゾート部門に入社。2009年にはいむるぶしに販売部門の責任者として着任。小浜島での暮らしは今年で9年目を迎える。

インタビュアー

株式会社 Loco Partners 代表取締役副社長 塩川 一樹

株式会社 Loco Partners 代表取締役副社長

塩川 一樹

1979年生まれ、立命館大学経済学部卒。株式会社ジェイティービーを経て、株式会社リクルートへ中途入社。旅行事業部にて、首都圏・伊豆・信州エリア責任者を歴任し約2,000施設以上の担当を歴任。2012年7月より株式会社Loco Partners取締役に就任。

第1章 小浜島との予期せぬ出会い

塩川:まず、おふたりのはいむるぶしとの出会いについて教えてください。

はいむるぶし

渥美:私は最初、本社に2年間いたのですが、最初の転勤がここだったんです。

塩川:小浜島に来るということは予期せずにですか?

渥美:そうです。もともとリゾート部門にいたので転勤先はリゾートではあるけれども、どこに転勤になるかはわからなくて。はいむるぶしには経理の手伝いで訪れて、その後いちど本社に帰ったのですが、次の手伝いを経てそのまま転勤となりました。

塩川:なるほど。本社勤務を経て、人事異動で初めて小浜島に来られたということですね。続いて、中村さんにもはいむるぶしとの出会いを教えていただきたいと思います。

中村:出会いはとても古いのですが、実際にこちらに来てからはまだ10年目です。社長と同期で、地元の浜松でリゾートを手がけるヤマハ株式会社に入社して。つま恋のリゾートホテルから本社、乗馬クラブ、屋久島などを経て、営業マンになりました。東京と大阪の営業所を渡り歩いて、その後に販売企画の責任者としてはいむるぶしに呼んでいただいたんです。療養の意味もあって小浜島に来たんですが、来たらみるみる元気になったんです。それで、この島に心がもう惹きつけられてしまいました。

塩川:なるほど。おふたりは同期入社で、しかしもちろん所属する部門は分かれていって。渥美社長はどちらかというと本社勤務は短かったと。そこから小浜島に来られて、こちらでの生活は25~6年ですか?

渥美:4年半ほど小浜島にいて、それから北海道のキロロに3年間。キロロにいる間も、沖縄に帰してくれと言い続けていたんです。

塩川:やっぱり沖縄が良かったですか?

渥美:良かったです。

塩川:そんな小浜島で中村さんと再会されて。それは、お互いがおいくつの頃ですか?

渥美:10年前ですから、43歳ですね。

はいむるぶしはいむるぶし

塩川:いろいろな同期の方がいる中で、ご縁が続いて、初めて一緒に同じ部門で働いたのが43歳、と。おふたりが小浜島に来られたときの、小浜島の第一印象はいかがでしたか?

渥美:日本にこんなところがあるんだ、えらいところに来たな、と思いましたね。海の綺麗さもありましたけれど、NHKと教育テレビしか映らないですし、島の中にあるレンタルビデオ屋も全部手書きのラベルで。当時は居酒屋もほとんどなくて、喫茶店が1軒あるくらいでした。

塩川:「デジタル」のないところに来られて、衝撃的だったんですね。中村さんはその後に。

中村:そうですね、僕の場合は時代が進んでいたので、そこまでの環境ではなかったですね。ただ、東京や大阪での生活が長かったものですから、脱デジタルな感じがすごく心地よかったですね。風景もですが、人との挨拶とか、日ごろの助け合いとか、そういったもので都会とまったく違う空気と時間が流れていると感じて、非常にリラックスしました。

塩川:そのとき、もう「ここが良いんだ」という直感もありましたか?

中村:ありましたね。すごく特殊で、いい島だという感じを受けました。

第2章 時代が後押しする、小浜島の魅力発信

塩川:さきほど、おふたりが同じ場所で働きはじめたタイミングについてお聞きしましたが、どんな役割分担で歩んでこられたのでしょう。

中村:僕は、営業、販促、マーケティングを。人事、経理など運営のことは、すべて社長が取り仕切っています。

塩川:「守り」の部分ですね。一方で、中村さんはこの地域の魅力を発信して、どうやってお客さまを呼び込むかという仕事を担当してこられたと。

はいむるぶし

中村:それが強かったですね。本当にいい島だと思ったものですから。

塩川:どんな風に売り込んでいこうと思われていたんですか?

中村:昔のスタイルと比べて、現在はインターネットやSNS上で魅力を伝えることがより重要になってきていると感じています。どうすればお客様に「来たい」と思っていただけるだろうか、とずっと考えて、映像しかないんじゃないかという結論に至りました。これまでは紙媒体が基本でしたが、技術や時代が進むにつれて、伝える手法も変わってくるはずだと。

塩川:小浜島をデジタルで伝えるチャンスが到来してきた、というワクワク感がかなりあったんじゃないですか。

中村:そうなんですよ。映像は情報量が一番多いですから。文章で伝わらなくても、映像を見てもらえば一発です。

塩川:プロモーションが、中村さんの歩んできた道の一番の本流ですね。例えばその伝え方について、経営陣と考え方が違ってうまくいかないケースもあると思いますが、渥美社長だったからこそ、映像でのプロモーションを推進できたんでしょうか?

中村:そのとおりです。社長がすごいのは、本当に我慢強くて「失敗してもいいからやってみろ、とりあえずやってくれ」と言ってくれるんですよね。いま、はいむるぶしがうまく回っているのはまさにそこが大きなミソです。この環境がなかったら、ここまでできなかったのは間違いないですね。やっぱり一人の人間ができることには限りがあって、みんながチームになってやってくれるということが一番大事だと思います。

はいむるぶし

塩川:ここで渥美社長に伺いたいのですが、どちらかというと守りの仕事をしてきた中で、「やってみろ」と言えるポリシーの源泉はどこにあるのでしょう?

渥美:それは単純に話せば、自分に能力があると思っていないからです。

塩川:能力がないとおっしゃいますが、それはやることを絞り込んでいくという発想に近い気がしますね。小浜島やはいむるぶしの魅力に対する認識を深めて、それを打ち出したいという思いについてはいかがですか?

渥美:ありますね。最終的にはスタッフが幸せになってくれたら。それとともに、お客さまにも幸せになってもらいたいと思っています。そのために、やっぱり継続してきちんとやらないとな、という。下を向いて「おはようございまーす」という感じだったんです、昔は。挨拶もまともにできなかった。それが段々と責任のある立場になって、人事の仕事も経験して、「人」が非常に大事だと思ったんです。

第3章 小浜島の「人、時間、自然」に触れて

塩川:「人」が大事だと気づく中で、知らず知らずのうちに、地域との共生やスタッフと一緒に作り上げていくという人生観に変わっていったのでしょうか。

渥美:そうだと思います。地元の人は、感覚が我々と違ったんです。「飲み会は21時からね」と言っても、21時にはほとんど来ない。飲み会の翌日は2~3人は会社に来ない。最初はそれが衝撃的で。しかし、当時の彼らは長寿日本一でした。カリカリしている我々と、どっちが幸せなんだろうと思ったんです。都会に戻ってスーツを着て満員電車に乗って、例え高給だとしても、それが本当にいいのかと。

塩川:「島時間」の意味合いについて、ご自身の消化が進んでいったような感じですか?

渥美:そうですね。そういう意味では、固いものが取れたのかもしれません。

塩川:おふたりとも、少しずつ人生観が変わっていく時期があったと思うのですが、この10年ほどの歩みの中で、まだ小浜島に来たことがない方々にどんな体験を伝えていきたいと思いますか。

渥美:はいむるぶしの特徴のひとつはこのハード。国立公園内、12万坪を148室で独占できるというハードは、普通にやろうと思ってもまずできません。このゆったり感と、はいむるぶしらしいおもてなしを伝えたいですね。どちらかというとペンションや民宿に近い、はいむるぶしに帰ってきたという感じや、スタッフが「おかえりなさい」と言うような柔らかさを味わっていただけたらと。

塩川:中村さんはいかがですか?

はいむるぶし

中村:そうですね、八重山は自然が主役なので、お客様にはとにかく自然を満喫してほしいなという気持ちが強いです。それができる環境を整えるのが僕らの仕事かなと。思い出もたくさん作ってほしいので、写真に収めてもらえるようなスポットもたくさん作りたいと思っています。

塩川:10年間こちらにいらっしゃって、それでもやっぱり朝昼晩、それから季節によって日々違いますか?

はいむるぶしはいむるぶし

中村:まったく違います。飽きることはないですね。毎日ワクワクしています。

塩川:なるほど。少し各論でお聞きしてみたいのですが、Instagramが最近のデジタルコミュニケーションの潮流のひとつになっています。はいむるぶしのアカウントはフォロワーが3万人を超えていて、私も拝見しているのですが、はいむるぶしの情報だけではなく、海や空、星空など八重山の魅力を打ち出していますよね。この背景や、伝えたいことを聞かせていただけますか。

中村:小浜島に来るときに、きれいな建物のホテルを目指してくるわけがないので、やっぱり白い雲、青い海、白い砂浜、透き通った海、そういったきれいな自然を見に来るに決まっているんですね。それを、そのまま写真で提供しているんです。

塩川:あれだけのお写真が並んでいても、ひとつとして同じ絵がありませんね。お客さまからの反応は感じますか?

中村:感じます。Instagramを始めてまだ2年ほどですが、日本のホテルの中ではフォロワー数が第2位なんです。Facebookに関しては第1位になっていて。それだけの支援をしていただいているということは、やっぱり届いているのではないかなと。

第4章 はいむるぶしらしさの源泉と、目指す未来

塩川:少し違う観点でお聞きしたいのですが、忘れられないお客さまとのエピソードはありますか?

渥美:ある時、難病の女の子をお迎えしたんですね。その子は幻の島に行きたいと。スタッフみんなで島にお連れして、喜んで帰っていったんですけど、1年後に「亡くなりました」と親御さんから連絡があって、「ずっとはいむるぶしの写真を持っていましたよ」と。とても、はいむるぶしらしいなと。そんなこともありました。

=はいむるぶし

塩川:どんなところが「らしさ」と言い換えられますか?例えば挨拶をみなさんたくさんしてくださって、目線が合って、迎えていただいているような気持ちになるんですね。何かその温かさを感じる。それは自然なものなのか、ティーチングをして使命感を醸成しているのか、どこが「らしさ」の源泉なのでしょう。

渥美:クレドがあって、入社のときに配っています。はいむるぶしの雰囲気というのは、これなのかなと。でも、ここに書いてあるからそれを目指しているというより、なんとなく先輩の雰囲気から、自分のおもてなしも「らしく」なってくると思うんです。

中村:ほとんどのスタッフは敷地内か島内に住んでいます。周囲26キロの小さな島の中で、みんな運命を共にしているところに、部分部分では反目し合っていても、最後のところでつながっているという、「何か」があるんじゃないかと感じています。その一体感が、やっぱりあると思いますね。

塩川:最後の質問ですが、ずばりおふたりにとって、はいむるぶしとは何でしょうか。

渥美:よく「第二の故郷」と言いますが、人生の半分くらいを過ごしていますので、第一の故郷です。出張に行ってもこちらに帰ってくるとほっとします。自分自身がほっとできる場所ですね。

塩川:なるほど。職場に帰ってくるということは、一般的にはオンとオフのオン側になると思うんですが、それでもやっぱり帰ってくるとほっとする場所になり得ているということですね。島の環境やスタッフの皆さん、全てひっくるめてほっとする場所であると。中村さんは、いかがですか。

中村:一番のベースのところでは、生かしてもらった恩返しをする場所かなと。ただ、今は少しずつ色んなものが積み重なって、新しいことに挑戦できる場所になっているのかなとちょっと思っていまして。それは社長がいるからできることなんですけれども、他のホテルでやれないことを実現していくことによって、この自然を世界中に知らしめることを新しい手法でやっていきたい、やれるということが楽しいなと思っているんです。

はいむるぶしはいむるぶしはいむるぶし

塩川:伝えるだけの魅力がふんだんにあって。

中村:ある、あるんですよ。まだ足りない。今度、新しいことに踏み込もうとしているんです。営業のスタイルというものも、これからもう少し一皮剥こうと考えているんですね。遠慮をしない、C to Cに入り込んでいく。営業マンが要らないホテルにまでなっていけたらいいなと思っています。

塩川:それは、お客さまがお客さまを呼び込んでくれる、そういうイメージですか。

中村:そうです。魂は細部に宿る、ということを実現できるようにやっているつもりです。客室やレストランを綺麗にしたいというホテルはいっぱいあると思うんですが、そうではなくて、はいむるぶしは敷地が広いですから、お客さまの居場所をもっとたくさん作ってあげたい。その一部としてブランコがあって、アヒルがいて水牛がいて。あれはすべて風景なんですよ。風景として存在している。お客さまがそれを喜んでくれて写真を撮る、写真を撮ってSNSで拡散してもらえる、するとお客さまがお客さまを呼んでくれる、そういう感じにしたいなと思っているんです。

塩川:濃いお話をたくさん聞かせていただきました。ありがとうございました。

はいむるぶし

写真:仲松 明香 / 文:森 幹也

株式会社はいむるぶし 代表取締役社長 兼 総支配人 渥美 真次

株式会社はいむるぶし 代表取締役社長 兼 総支配人

渥美 真次

1965年 愛知県生まれ。大学卒業後にヤマハのリゾート運営会社に入社し、1990年にはいむるぶしに転勤。一旦北海道に転勤となるも、自ら希望して再度はいむるぶしへ復帰後、2014年より現職。小浜島生活は通算25年目を迎える。

株式会社はいむるぶし 販売企画部 部長 中村 勝彦

株式会社はいむるぶし 販売企画部 部長

中村 勝彦

1965年 静岡県浜松市生まれ。大学卒業後にヤマハ株式会社のリゾート部門に入社。本社広報や静岡県のつま恋、乗馬倶楽部、屋久島の石蕗の舎、東京・大阪営業所を経て、2009年にはいむるぶしに販売部門の責任者として着任。小浜島での暮らしは今年で9年目を迎える。

はいむるぶし

はいむるぶし

沖縄県 > 石垣・小浜・西表・竹富

石垣島からフェリーで約30分。約40万平米すべての敷地が国立公園内にあるはいむるぶしの最大の魅力は、個性豊かな自然です。至高のステイを体験したら、きっとまた帰ってきたくなる。そんなリゾートです。