Relux Journal

2020年11月に満を持して京都にオープンしたHOTEL THE MITSUI KYOTO。三井家の伝統ある土地からはじまるラグジュアリーホテルは、どんな体験を届けていくのでしょうか。

ゲスト

HOTEL THE MITSUI KYOTO  総支配人 楠井 学

HOTEL THE MITSUI KYOTO 総支配人

楠井 学

1973年生まれ。1994年、パークハイアット東京入社。ハイアット・リージェンシー・サイパン、グランドハイアット香港、マンダリンオリエンタル香港で海外経験を積み帰国。その後、ザ・リッツ・カールトン東京営業部長、フォーシーズンズホテル東京 丸の内 セールス& マーケティング部長、マンダリンオリエンタル東京副総支配人 セールス&マーケティングなどの要職を経て、2018年6月、HOTEL THE
MITSUIKYOTO総支配人就任。

ゲスト

HOTEL THE MITSUI KYOTO 「都季 −TOKI−」 料理長 浅野 哲也

HOTEL THE MITSUI KYOTO 「都季 −TOKI−」 料理長

浅野 哲也

Hôtel Plaza Athénée(Restaurant Alain Ducasse)でアラン・デュカス氏に師事、その後Four Seasons Hotel George V、Ritz Parisに勤務。2017年3月に日本人で初めてとなるRitz
Parisのメインダイニング統括副料理長に就任し、同ホテルのミシュランガイド二つ星を獲得したL’Espadonをはじめとするの全てのレストランを総料理長とともに統括。2019年12月にHOTEL THE MITSUI KYOTO「都季 -TOKI-」料理長に就任。

インタビュアー

株式会社 Loco Partners 代表取締役副社長 塩川 一樹

株式会社 Loco Partners 代表取締役副社長

塩川 一樹

立命館大学経済学部卒。株式会社ジェイティービーを経て株式会社リクルートへ中途入社。旅行事業部にて首都圏・伊豆・信州エリア責任者を歴任。2012年7月より株式会社Loco Partners取締役に就任。2020年4月より現職。

第1章 三井家にとって由緒ある土地で誕生したラグジュアリーホテルが届けていく体験

塩川:最初に、HOTEL THE MITSUI KYOTOの開業背景をお聞かせください。

楠井:はい。江戸時代から実際に三井家が住んでいた地を買い戻したことからこのプロジェクトが始まりました。三井不動産は今まで外資のホテルブランドとの提携を通して、ラグジュアリーホテルを展開してきました。それが今回は京都という街の、三井家にとって由緒ある地でホテルができるので自分たちのブランドを掲げようと、初めて三井の名前を背負ったラグジュアリーブランドを展開することになりました。

塩川:コンセプトはどういったものを掲げていらっしゃるのでしょうか。

HOTEL THE MITSUI KYOTO

楠井:日本の本質をしっかりと打ち出せるようなホテルでありたいというのがあります。京都という場所において日本のブランドで、京都を代表するようなホテルになりたいということをまず打ち出しています。それから日本の本質。例えばお茶をたてるといった部分でもトレーニングをして、お茶の心得のある方に見られても恥ずかしくないような振る舞いを提供しようとしております。

塩川:昨日から宿泊し、コンセプト(※日本の美しさと - EMBRACING JAPAN’S BEAUTY-)である「日本の美しさ」「古都」が、建物や設え、また接客する人からも感じられました。どのようなデザイン、空間を提供しようとされたのでしょうか?

楠井:そうですね。建物は日本のいいところと世界に受け入れられるグローバルスタンダードを備えたデザインだと思っています。4人のデザイナーが入ってくれましたが、どのデザイナーのデザインもリラックスした空間、肩を張りすぎないサービスと空間というのが共通の認識としてあります。私も、このプロジェクトの話をいただいた時に、常にお客さまにくつろいでいただけるスペースを提供したいと思っていたので共通しています。

塩川:館内を見渡すと、三井家を表すものが多くちりばめられていました。それをたずねるとスタッフのみなさんが丁寧に説明をしてくれました。こうした設えひとつにしても、共感をもって伝えていくことにこだわりがあるように感じます。

楠井:はい、そこが最も重要視しているポイントの一つです。従業員がそういった背景を理解しないまま働くのは私の信念に外れてしまうので、細かい部分まで説明できるよう準備もしています。商品や展示の話を聞いていただきながら館内を巡る宿泊のお客さま向けのアートツアーも、驚くほどにご好評をいただいております。

塩川:特にお客さまからの反響が多いところはありますか。

楠井:やはり圧倒的にインパクトがあるのは門と中庭ですね。特に中庭は、あの門をくぐって曲がって、開いた瞬間にやっとわかるんです。そして、ただの中庭ではなくて、昔から使われている景石や灯籠といったものがしっかりと含まれている。そのようなストーリー性のあるものというのがまた良いかな、と思います。

塩川:お話を伺うと、歴史ある門のストーリーに対してもみなさんの強い思い入れを感じます。

HOTEL THE MITSUI KYOTO HOTEL THE MITSUI KYOTO

楠井:江戸時代からの伝統を継承するために門を再利用することにしました。まず門を全部崩して福井県の宮大工さんに送り、修復してもらいました。80%ぐらいオリジナルのものをつかって完璧に修復してこっちに戻ってきたんです。京都のみなさんにすごく愛されていた門だったようで、地元の方がたくさん見に来られますね。「こういう風になって戻ってきたの」というのを口を揃えておっしゃっていただけるのがとても嬉しいです。

塩川:歴史を通してこの地や三井家にゆかりのある方々の人生が映されてきたのを感じますね。

第2章 みんなでつくるJAPAN BRANDを世界へ

塩川:少し話は変わりますが、コロナウイルスはどのような影響をもたらしましたか。ホテリエのみなさんはお客さまとの接点が喜びであり、仕事の主戦場じゃないですか。そのため奪われたものも大きかったのではと感じます。一方、時間ができたことで何か得たものもあったのでしょうか?

楠井:ポジティブに思ったのはチームの結束力が強くなったことでした。普段話さないことを話せるようになったし、色んな議題について話し合える時間があった。私も総支配人としてどうやってコミュニケーションを取ろうか迷い、200名のスタッフに一人一人電話をかけていました。毎日電話していましたね。

塩川:やはり人が強みという根幹に基づいてコミュニケーションを欠かさなかったということですか。

楠井:はい。この会社を選んでくれたことにお礼も言いたかったですし、やっぱり全員と話がしたかったのが私の一番の思いだったんです。

塩川:対面で接客する喜びが凝縮された時間になったのかなと受け止められますね。

楠井:おっしゃる通りです。開業してから、多くの方に足を運んでいただいたので、正直肉体的にも疲れると思うのですが、ベルボーイに様子を尋ねたら「楽しくてしょうがないです」「やっとこの日を迎えることができました」と前向きに言ってくれたのはすごく嬉しかったです。

塩川:楠井さんはこれまで現場も長く経験されてきたと思いますが、ホテルのキャリアをスタートしたベルボーイだった頃のご自身に声をかけるとしたらどのような言葉をかけられますか?

楠井:ベルボーイの時から「楽しもう」という信念はずっと変わっていないので、「ブレてないね」って言いたいですね。

塩川:ベルボーイの時の思い出はありますか?

楠井:お客さまのお名前を覚えるのをすごく頑張った思い出はありますね。お客さまのお名前や特徴を手帳にびっしり書いていました。

塩川:一人ひとりのお客さまに対して、唯一無二の対応をしていくのが基本だったのですね。私も昨日から何度も名前で呼んでいただきました。やはり楠井さんの信念がホテル全体に伝わっているのでしょうか。

楠井:はい。私からも、部門長からも常に言い続けています。お客さまを認識することがグローバルスタンダードでもあると思っています。名前、呼んでいましたか?

塩川:名前で声をかけられたときには驚きました。部屋数も160室を超えていて、館内も広いので、顔を合わせた瞬間に笑顔で声をかけてくださったときには感動がありました。そのみなさんがお勧めしたい館内のポイントはありますか?

HOTEL THE MITSUI KYOTO

楠井:本当に良い心を持ったスタッフの集まりなので、まずは従業員と触れ合っていただきたいです。ハードでいうとやはり温泉です。ホテルの敷地から出た温泉でリラックスしていただきたいです。あと、食はすごく自信があります。いかにより良いものを提供できるかを常に議論できるシェフたちにも入ってもらうことができました。

塩川:食もそれぞれスターシェフが集まっているのですよね。それぞれのシェフに共通点もありますか。

楠井:しっかりと食材を活かしたものを作る。サステナビリティーにもこだわるのはみんな統一した意見だと思います。

塩川:ありがとうございます。食に関しては浅野料理長にお話を伺ってみたいと思います。楠井さんへの最後の質問ですが、HOTEL THE MITSUI KYOTOの今後の展望を教えていただけますか?

楠井:ここにいるスタッフは日本のブランドで世界に通用するホテルを立ち上げたいとか、自分たちでゼロからブランドを作り上げたいという思いで集まってくれています。みんなブレずに同じゴールを持っているので、すごく面白いホテルになると思います。

塩川:新しい日本の和ブランドをみんなで探求して作っていくイメージですか。

楠井:そうですね。サービスもそうですし、アメニティやお茶碗など、びっくりするようなところも「こういった時はどうするか」という議論から生まれています。「なぜこれなんですか?」って聞かれて、「なんですかね」となるものはほとんどないと思います。

塩川:「街とともに」みたいなところもありますか?

楠井:京都のみなさまに愛されたいというのは常に思っています。ホテルの外周に竹が多いので、近隣の方にご迷惑をおかけしない。それから、ホテルの周りを綺麗にするというところからホテルの外周の掃き掃除を日々スタッフと行っています。そういったこともスタッフみんなでしっかりと取り組んでいきたいと思います。

塩川:「人や地域とともに」というお気持ちが根幹にあるのですね。ありがとうございます。

第3章 一番を目指し続けたフランスでの経験

塩川:浅野さんの食との出会いをお伺いできますか。

浅野:学生時代に大阪のリーガロイヤルホテルのアルバイトで、いろんなことを勉強しないといけないと思ったことから興味を持ちました。休みの日に食べ歩きをしたりとか、魚を仕入れているところに魚の勉強しに行ったりとか、どんどんはまっていきました。

塩川:フレンチの道へと進むきっかけには何があったのでしょうか?

浅野:リーガロイヤルホテルで今まで聞いたことしかなかった料理を実際に見て、フランス料理を日本人が作っていることに憧れを感じました。フレンチの世界を目指して、目指すなら一番になってやろうと思って、悩まずそのまま来られています。

塩川:食の世界に入ってからはどのように歩まれたのですか。

浅野:アルバイトで調理の経験をしたのですが、次のステップへ行くには勉強しないといけないと思い、2年間調理師学校に通いました。卒業後は、タイミングを待ってオランダのホテルオークラアムステルダムへ行き、パリでの就職先が見つかるまで約1年と3ヶ月働きました。

塩川:フランスでのキャリアをお伺いできますか。

浅野:パリのあるレストランで働けることになったので、家もビザも全部手配してもらってホテルオークラアムステルダムを辞めてパリに行ったんです。それが行ったら僕がコンタクトを取っていたオーナーは代わってしまっていて、急に住むところも働くところもビザも何もない状況になってしまいました。25歳の時でした。

塩川:不退転でパリまで来ちゃったわけですね。

HOTEL THE MITSUI KYOTO

浅野:そうです。そこから、生活費を稼ぎながら街のレストランで働いて、また別のレストランで働いて、っていうのを3年くらいしていました。その中で三つ星レストランのオーナーシェフが出したドルーアンというレストランに出会い、そこで認めてもらい、労働ビザをとってもらいました。ビザが取れたらフランスのコンクールに出てトップを目指したかったので、シェフに相談したところアラン・デュカス氏を紹介してくれて、そのままホテル
プラザ アテネに入りました。

塩川:それまでも様々な経験があったのだと思います。ホテル プラザ アテネではそれまでとはまたさらに違う世界が広がっていたのでしょうか?

浅野:全く違いました。調理場もすごく綺麗で冷蔵庫にある食材もトップなものばかり。働いている人の意識というかスピードも違っていましたいわゆるフランス料理界のトップのレストランだったので、ここで頑張ろう、結果を出そうと意識して働き出しました。

塩川:そうなのですね。フランスの集大成がここからですね。

浅野:ホテル プラザ アテネで働いているときに、フォーシーズンズホテル・ジョルジュサンクに誘われました。こういった高級ホテルを転々と見ることも滅多にできることではない、と思い移りました。その後、フォーシーズンズに声をかけてくれたシェフがリッツ
パリのメインダイニングの統括料理長になるというので一緒に行きました。フォーシーズンズにいたのはすごく短かったのですが、その短い間でも僕の人間的な部分を認めてくださり、リッツ パリに呼んでくれたそうです。

塩川:最後のリッツ パリが一番濃かったですか?

浅野:濃かったですね。ホテル プラザ アテネでも感じたフランス料理の凄さに加えて、リッツ パリはそこに歴史もありました。リッツ パリは世界から働きたいっていう人が集まってきているので、働いている人たちも本当に誇りを持っています。働いている時、働いていない時に関係なく、常に起きた瞬間からリッツの従業員として演じなさいと言われていました。リッツ
パリってどの部署にも3、40年と在籍している人間国宝みたいな人がいて、行った先で研修として「あの人を見なさい」としか言われないんです。それはリッツ パリだけでしたね。

塩川:パリでこのまま飛躍していこうというお気持ちだったのでしょうか?または日本にいつかは帰るんだという思いがあったのでしょうか。

浅野:フランスで星を取って名前を残していきたい思いはありましたが、同時にポジションへの限界も感じていました。僕がフランス料理に憧れたように、逆にフランス人から憧れてもらえるようなフランス料理を作ることで上を目指していけると思い、次のステージは日本で考え始めました。

塩川:そこで今回、ご縁が訪れたのですね。

浅野:はい。昔から上に行きたい思いがあったので、ゼロのブランドのところで名前を残したいと思いました。それから、日本で育って日本の文化をもつ僕が、食べ慣れたもの、慣れた環境でフランス料理を作る方がより上を目指して挑戦していけると思いました。

第4章 新しいことが伝統になっていく

塩川:昨日私もお食事をいただき、とても感動しました。開業までのプロセスの中で感じられた可能性や、開業後に感じられた手応えなんかはありましたでしょうか?

浅野:鉄板焼きのレストランですが鉄板焼きじゃない、今までにない料理をしてほしいんです、っていうのを言われた時に、正直「今までやってきたことと全然関係ないやん」と思ったんです。ですが、よく考えると、新しいものができるので面白い、と思い始めました。普通の鉄板焼きのように一組のお客さまに一人のシェフがつくのではなく、あったかい料理を作るところをカウンターに持ってきました。どの料理も最後に僕がカウンターで盛り付けることで、どの席にいらっしゃるお客さまにも僕を通した料理を食べていただけるようになっています。

HOTEL THE MITSUI KYOTO HOTEL THE MITSUI KYOTO

塩川:鉄板焼きスタイルという新しい形でも、ご自身らしいお料理を表現されていらっしゃるのですね。さらなる追求のために、京都の老舗料亭さんへ飛び込みで門をたたかれたとも伺いました。詳しくお聞かせいただけますか。

浅野:日本に帰ってきてから色々なところに食べに行って、調理場も見学させてもらっていました。そして、とある京都の老舗料亭さんに飛び込みで働かせてくださいって言って。そこのご主人は、「何でも見て、聞いて勉強して。逆にフランスでやってきたことを教えて」と言ってくださいました。調理場に入ると僕がイメージしていた和食の世界とは違いました。いろんなものが数値化されていて、機材も食材も世界から集められていて、研究するための調理場もあって。それを見て、やっぱり一つの分野だけで収まっていたらダメだと思いました。いろんなものを知って作っていくものが残って、伝統になっていくと思っています。

塩川:過去を振り返ると新しいことも、未来から見ればクラシックになっているのですね。

浅野:リッツ パリのシェフも同じようなことを言っていて勉強を続けていましたし、その料亭のご主人の言葉も繋がるところがありました。伝統あるトップのシェフたちも新しいことを取り入れているので、鉄板焼きというスタイルも、まずやってみて違うと思えばまた変えたらいい、と思えました。

塩川:フレンチの本流のパリと、和食の本流である京都の真髄をかけ合わせた料理が繰り広げられているっていうのが衝撃的ですよね。

HOTEL THE MITSUI KYOTO

浅野:盛り付けにしても、日本料理とフランス料理は異なります。どこまでお箸を使ってもらってどこからナイフ・フォークに変えるかも考えています。お箸なら、お箸で食べられる一寸3センチの大きさに全部カットするなど、盛り付け方も、器も変わってきます。

塩川:HOTEL THE MITSUI KYOTOというホテルが「わざわざ食べに行きたいとホテル」として思えてきました。

浅野:ミシュランの格付けで三つ星は、そのレストランに行くために旅をする価値があるレストランだといわれますが、原点としてその思いがあります。ゲストに、日常と違った時間を過ごしてもらうのが最高のラグジュアリーだと思っています。このホテルは中庭を囲むようにすべてのレストランと客室があるので、中庭を見ながら過ごしていただきつつ、ちょっと違う時間を過ごしてもらうためにカウンターを使って料理をしてっていう、自分の中ではオーベルジュのような感覚ですね。

塩川:お客さまにはどういうお気持ちで食事の時間を過ごしていただきたいですか?

浅野:鉄板焼きのイメージで来ていただきたいです。鉄板焼きレストランって最初にサラダがきて、次に焼き野菜がきて、みたいな感じだと思うのですが、「今までの鉄板焼きと違うね」って思ってもらって印象付けることをテーマとしています。

塩川:ここは深掘りをしてしまうと読者にばれてしまうので、私自身が昨夜、手玉に取られたということだけお伝えしておこうと思います。コースにはバリエーションとストーリーがあるんですよね。メニューも時々変わっていきますか。

浅野:変えます。フランス料理では旬のものをできるだけ使って料理を作るのが洗練された料理だと思っていたのですが、日本料理では先の旬のものや、旬が終わりかけているものもあえてコースで使って、一つの料理の中でも幅を利かせた季節を感じてもらうことがよくあるそうです。季節の幅を感じてもらえるような料理と、季節によって色が変わってくる目の前の庭を見ながら楽しんでいただけるようにすることで、都季の季節を感じてもらえると思っています。

塩川:何回来ても違うストーリーがあるのですね。最後の質問ですが、お客さまへお伝えしたいことはありますか?

浅野:食事だけじゃなくて五感で楽しんでいただく「食体験型レストラン」です。劇場というか、最後の最後まで楽しめる時間を過ごせる空間です。

塩川:浅野さんの料理には旅が詰まっていること。お客さまに楽しみに来てほしいという思いがとてもよくわかりました。料理が目当ての旅にまた来たいと思います。このたびはありがとうございました。

HOTEL THE MITSUI KYOTO

写真:カワベスタジオ / 文:伊藤 里紗

HOTEL THE MITSUI KYOTO  総支配人 楠井 学

HOTEL THE MITSUI KYOTO 総支配人

楠井 学

1973年生まれ。1994年、パークハイアット東京入社。ハイアット・リージェンシー・サイパン、グランドハイアット香港、マンダリンオリエンタル香港で海外経験を積み帰国。その後、ザ・リッツ・カールトン東京営業部長、フォーシーズンズホテル東京 丸の内 セールス& マーケティング部長、マンダリンオリエンタル東京副総支配人 セールス&マーケティングなどの要職を経て、2018年6月、HOTEL THE
MITSUIKYOTO総支配人就任。

HOTEL THE MITSUI KYOTO 「都季 −TOKI−」 料理長 浅野 哲也

HOTEL THE MITSUI KYOTO 「都季 −TOKI−」 料理長

浅野 哲也

Hôtel Plaza Athénée(Restaurant Alain Ducasse)でアラン・デュカス氏に師事、その後Four Seasons Hotel George V、Ritz Parisに勤務。2017年3月に日本人で初めてとなるRitz
Parisのメインダイニング統括副料理長に就任し、同ホテルのミシュランガイド二つ星を獲得したL’Espadonをはじめとするの全てのレストランを総料理長とともに統括。2019年12月にHOTEL THE MITSUI KYOTO「都季 -TOKI-」料理長に就任。

HOTEL THE MITSUI KYOTO

HOTEL THE MITSUI KYOTO

京都府 > 河原町・烏丸・大宮周辺

二条城を臨む三井家ゆかりの地に建つラグジュアリーホテル。日本独自の美しさを大切にしながら、細やかな心遣いと洗練された振る舞いによって、特別な体験とくつろぎを提供いたします。