第42回 「ないものはない」――人がゼロに戻る舞台、TENKUで知る究極の喜び

南きりしま温泉に位置する究極のリゾート、TENKU。唯一無二の空間と体験を作り上げる主人・田島氏に、その見どころや食、実現したい滞在のあり方、TENKUの哲学について伺いました。

ゲスト

雅叙苑観光有限会社 社長 田島 健夫

雅叙苑観光有限会社 社長

田島 健夫

1945年、鹿児島県 妙見温泉の湯治旅館に誕生。東洋大学卒業後、銀行員を経て70年に「忘れの里 雅叙苑」を創業。94年より霧島連峰を見渡す竹山を開墾し、04年にリゾート「天空の森」をオープン。「リゾートとは人間性回復産業である」を信条とし、常識では考えつかないラグジュアリー体験を追求している。

インタビュアー

株式会社 Loco Partners 代表取締役副社長 塩川 一樹

株式会社 Loco Partners 代表取締役副社長

塩川 一樹

1979年生まれ、立命館大学経済学部卒。株式会社ジェイティービーを経て、株式会社リクルートへ中途入社。旅行事業部にて、首都圏・伊豆・信州エリア責任者を歴任し約2,000施設以上を担当。2012年7月より株式会社Loco Partners取締役に就任。

目次

第1章 「ないものはない」場所で、ゼロに還る

TENKU|天空の森

塩川:まず、TENKUの見どころを教えていただければと思います。

田島:「ないものはない」です。

塩川:ないものはない。一言とは素晴らしいですね。

田島:つまり、何でもあるということですね。ないものはない、何でもありますと。心が変われば、見方が変われば、全て変わりますよね。

塩川:あえて「見どころ」と伝えずに、滞在をとおしてお客様の心が変わってくるときに、お客さまご自身に理解していただければよい、と。

田島:僕がTENKUでやっていることは、人間をヒトにすることですから。ここに来て純白のキャンバスの前に立って、デッサンをもう一度はじめる。過去は全て御破算にして。そろばんで「ご破算を願いまして」と言って、そこから新しいことが始まるみたいに。宇宙の「宇」は高位、「宙」は時間軸を表します。そういう世界にいるわけだから、ひょっとしたらビッグバンの速度かもしれない。アフリカから旅立った時に、そこから色々なドラマがあるかもしれませんね。そういう内面の話なので、「ないものはない」。例えば、食う・寝るといった人間の本能や欲望が、もう少しピュアな欲望に変わるということです。

塩川:私自身がTENKUに滞在させていただく中で、コンシェルジュの方に川遊びや森の散策、バーベキューなどもご案内いただいて。これまではお部屋に泊まる、滞在することをメインにした宿泊が多かったのですが、森での遊び方を教えてもらい、ピュアな童心に帰る体験をしたように感じます。

TENKU|天空の森

田島:それは、実は少し違うかもしれません。「森で遊ぶ」ではなく「森に遊ぶ」なのです。川遊びも、元来は生きるために魚を捕る行為です。そうした「生きるためのもの」が、遊びになっているのですね。「森で遊ぶ」となると、木を伐るなどということになりますけれど、「森に遊ぶ」ということは、五感で遊んだり戯れたり弓を飛ばしたりすることですから、結果的には万葉の歌が書けるほどピュアになるものですよ。人は森から生まれたとか、森に還るとかいった話があるくらいですからね。

塩川:「森で」ではなく「森に」という意味合いなのですね。もうひとつ、丘の上までお邪魔してブランコを漕いだり景色を見たりして時間と空間を楽しんだのですが、あのシンボリックな木やブランコ、テーブルは、田島さんにとってどんな場所でしょうか。

田島:大空と大宇宙と大地がつながる場所ですね。大空の入口、大宇宙の入口というか、そこからであればどこまでも飛べるというような。ではなぜ高いところにのぼるか、高いところから見るかというと、昔の人からすれば敵が攻めてこないからです。「今日の一日を見る」という自分自身が生きていくための何かを、安全だと感じる。お城は高いところにあったりしますしね。馬鹿と煙は高いところにのぼるとも言いますよね。

塩川:私はまんまとのぼってしまいました。

田島:僕ものぼりましたよ。あの丘にのぼると、天下を取ったような、実に爽快で痛快な気分になります。視線が足元に行かないからですね。はるか彼方を見ます。あの丘にのぼると、夕日を見る時の気持ちも変わるし、風の動きで香りも変わる。夜なら流れ星や人工衛星まで見えますからね。

塩川:私も昨日、流れ星を見ました。やはり見上げることが多い時間でした。

田島:希望とか夢とか未来とか過去が見えるのかもしれないですね。

TENKU|天空の森

第2章 全てを脱ぎ下ろす場所として

TENKU|天空の森

塩川:丘の「高さ」のお話が出ましたが、建物やお部屋は丘とは反対に低く造られていますね。例えばお風呂からの視界は、霧島連山を見るために作られたのではなかろうかという低さでした。

田島:そうなのです。カメラマンの視点で切り取ったときのことを想像して、窓を造っています。実は、僕はお風呂が嫌いで、結果的にどのお風呂もまだ未完成です。未完成というより永遠に駄目かもしれない。お風呂の嫌いなところは、服を脱いだり着たりしなければならないところ。ただのものぐさかもしれません。だから、ベッドのカバーはタオルで作ってもらいました。裸でゴロゴロすれば汚れを吸い取ってくれますから。お部屋も、Tシャツでも裸でも過ごせるように暖かくしています。

塩川:つまり、ドレスコードは「裸」ですか?

田島:そういうことになります。決して「ヌーディスト村」などではありませんが、最終的に、自分が課長さんである、部長さんである、会長さんである、市長さんであるなんていう、そういうものを全て脱ぎ下ろすことが出来たらと。そうすることで、人間がヒトに、ゼロに戻るのです。

塩川:そうした想いが、遮るものがなく、体だけではなく心も解放できるようなお風呂の空間づくりにつながっているということですね。

TENKU|天空の森

田島:お部屋の造りでは、デザイナーの方たちと「お部屋の中の全ての機能性を外に出してみては」という話になって。そういうことがあって、まず壁を取り払って、インテリアとエクステリアの境目をなくしました。場所にふさわしい建物が建っているのですよ。TENKUでは、風が吹かなくても大気の動きが分かります。それが感じられるのが、TENKUのリビングなのです。

塩川:なるほど。お客さまもおそらく無意識のうちに気持ちいい場所を見つけているのかもしれませんね。土地と一体化できるような空間といいますか。耳を傾ければ鳥がさえずり、風の音が聞こえ、段々と自然と人間の境界がなくなっていくような心地良さにおちいっていく。

田島:そうですね。TENKUにはいつも、人間と自然が仲良しだったころの名残みたいなものがありますし、だから人は一人では生きていけないよね、ということになるのかもしれませんね。

塩川:みんなその虜になっているわけですね。

田島:全てに虜になるような余白、ストーリーがあります。本を読みたくなる川辺もある。音楽を聴きたくなる場所もある。それが、「ないものはない」、つまり「ある」ということです。

塩川:「ないものはない」は、贅沢品がないわけではなくて、自分が自然に欲するものはあるわけですね。

第3章 食は、自分に宿る神様への捧げもの

TENKU|天空の森

塩川:続いて2つめのテーマですが、食事に関する考え方をお伺いしたいと思います。

田島:食べ物は、自分に宿る神様への捧げものです。神様に捧げるならば、喜ばせるとするならば、その大地が作り上げた一番いいものを差し上げますよね。お客さまがそれを好きか嫌いかは分かりません。でも、違う文化に触れるために旅しているわけだから、いつでもどこでも伊勢海老やアワビが出ればいいというわけではないですよね。

塩川:昨日お料理を頂いて、テーブルの上で旅をしているような気持ちになりました。今朝のミルクも、あんなに甘みを感じたのは初めてでしたし、お部屋から畑を見たりもしていましたので、テーブルの上で地域のドラマを見ているように、まるでテーブルがステージのように感じられました。

田島:これは地政学的なものなのですね。「その土地」にしかないものを味わうことが豪華だという考え方もあれば、「グルメ=最高の食材」を食べることが豪華だという考え方もある。グルメという言葉は、ある意味ではとても貧しい人たちの言葉です。かねて食べたことのないものを、「本当の味がする」「究極の味がする」と評価できるかというと、難しい。では、グリーンランドでも南アフリカでも、そこでフレンチを食べることが豪華なのかどうかと。これについては、多くのシェフや宿が間違えているかもしれません。

TENKU|天空の森 TENKU|天空の森

塩川:なるほど。たしかに、食事を頂く中で、その土地の恵みに感謝する気持ちになった不思議な感覚がありました。あとは、鶏肉の料理を頂く際に、その説明と取り分けをしていただいたのですが、そこでも感謝の気持ちを噛みしめるような感覚になり、とても印象に残っています。

田島:その感謝は、時間をかけて作られたものなのですよ。とある秘教では、卵は食べても鶏肉は食べないようにと教えます。神様がこの大地に降りてくるときに、鶏が最初に降りてきた、そのしるしが鳥居だという神話もあって。鶏が大切にされてきたからこそ薩摩鶏という日本の名鶏が育ったという、そんな宗教的な背景もあるのです。

TENKU|天空の森

塩川:鶏は本当に今までにない経験でした。大地を食べるということ、季節を味わってほしいということ、そして鶏に象徴されるようなとても大切なものを、その説明とともに振る舞っていただいたので。

田島:食べ物って、物ですよね。フレンチがなぜああなったかというのは、フランスに行って見てみないと分からない。和食も同様で、郷土食だってその土地へ行ってみないと分からないことがある。それを、どこかひとつの基準だけで良いか悪いか、B級かC級かという分類はできない。そんな基準で旅を見てはいけないのです。

塩川:その土地の歴史に、深い理解と尊敬があるべきですね。

田島:それが観光ですね。旅や観光は、歴史です。その土地が海辺だったら海の生活をするし、森なら森の、山なら山の生活をしているわけですから。それを、ひとつの基準で一律に切ってはいけませんよね。

第4章 「未完成の舞台」で究極の喜びを

TENKU|天空の森 TENKU|天空の森

塩川:続いてのテーマですが、TENKUを営んでこられた中で、何か思い出に残るエピソードはありますか。

田島:お客さまが「ここは未完成だ」とおっしゃったことですね。

塩川:その先の未来、夢をお客様がご覧になっていたからこその言葉でしょうか。

田島:「懐かしい未来」という言葉があります。僕たちは今、僕の数十年前の夢のかけらの上にいる、という。快適で幸せな世界を作ろうという、はるか昔に僕が思ったその夢のかけらの上にみんながいるわけですが、「まだ夢の途中ですよ」ということをお客さま方がおっしゃった。それを仰った一人が、フランク・ミュラーさんです。彼は「ここは未完成だ。だから僕の時計も未完成なんだよ」と。だから、永遠にお互いに作り続けようと。もうお一人は、ファッションデザイナーの方。「僕は『木を植えた男』という本を持ってきている。だからあなたも樹を植え続けなさい」と。とても哲学的なことを言ってくださいましたね。とある経営者の方からは「次はダーウィンの海を泳ぎ切らなければならない」という言葉を頂きました。また、詩人の方からは「単なる一度の出会いを出会いと呼ぶのではなく、新しい視点に出会ったことを『出会い』と呼ぶのだ」と教えていただきましたね。

塩川:人生を賭けて何かを目指している方に、田島さんの情熱がすごく受け止められているように感じられます。不思議なのは、私もこの後チェックアウトして帰らなければいけないわけですが、「頑張らなくては」という気持ちになるのです。

田島:そんなお客さまが、他にもいらっしゃいましたね。ビジネスに成功されていらっしゃるお客さまで、滞在中にものすごく飲むし食べるし遊ぶわけです。でも、あれは自分をピュアにしていくための、心を全てクリアにするためのこと。あれがご破算なのでしょうね。後日、その方たちが新しく作った製品を見せていただきましたが、無から有を作り出されていましたね。やはりここで、無というか原点に戻っているのだと思います。

塩川:戻る場所でもあり、またスタートする場所でもあり、そういう場所だとお客さま側も受け止められたのですね。

田島:終わりが始まりであり、始まりが終わりであり、ですね。「舞台演出業」が僕の仕事ですよ。僕が舞台装置を作って、大道具が天空だったり頂上だったり川だったり散歩道だったり。僕はそういうステージを作っている。お客さまは舞台の主役です。

TENKU|天空の森 TENKU|天空の森

塩川:主役になってご自身で表現をするわけですね。

田島:何かを演じていますね。脚本を書くのも、その人たち。踊るのも、その人たち。僕たちはそれの準備をする。

塩川:引き立てる環境があるということですね。そのお話にも関連して、最後に田島さんの考えるラグジュアリーとは何かをお聞きしてみたいと思います。

田島:「現代人でありながら万葉の歌を書ける」というのが、究極の喜びでありラグジュアリーだと思います。万葉の恋歌が、ここに来れば書けます。お風呂や温泉に浮かぶ月ひとつ見ただけでも、夜の寒いとき、風の中でも書けると。最高なのは、満月の夜に香る桜の香りかもしれない。だから、桜ムーンという間を作ってみたいとは思っています。お客さまには、そういうかけらをお渡ししたいですね。そこを入口にして、自分らしいラグジュアリーを発見していただければと。

塩川:なるほど。人生も豊かになりますし、そこに関わる方も豊かになっていくというのは、そのきっかけを作ることがひとつのラグジュアリーのようにも感じられますね。

田島:そうだと思いますよ。やはり自然とともに生きることでしょうね。雨は友達、風は友達ですよ。

塩川:私もそこまでのことを感じられるように、努力しなければなりませんね。本日はありがとうございました。

TENKU|天空の森

写真:杉本 圭 / 文:佐藤 里菜

 

 

 

 

雅叙苑観光有限会社 社長 田島 健夫

雅叙苑観光有限会社 社長

田島 健夫

1945年、鹿児島県 妙見温泉の湯治旅館に誕生。東洋大学卒業後、銀行員を経て70年に「忘れの里 雅叙苑」を創業。94年より霧島連峰を見渡す竹山を開墾し、04年にリゾート「天空の森」をオープン。「リゾートとは人間性回復産業である」を信条とし、常識では考えつかないラグジュアリー体験を追求している。

TENKU|天空の森

TENKU|天空の森

鹿児島県 > 霧島

自分自身を取り戻し、人間性を回復するために――。半世紀の時を経て生み出され、今なお旅の本質を追求する未完のリゾート。

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