Relux Journal

秘書やデザイナーなどの経歴を持ち、現在はザ・テラスクラブ アットブセナ/ジ・アッタテラス クラブタワーズの支配人を務める新垣氏。「ブセナの母」と呼ばれるようになるまでの歩みや、「日本一のウェルネスリゾート」への展望を伺いました。

ゲスト

ザ・テラスクラブ アット ブセナ/ジ・アッタテラス クラブタワーズ 支配人 新垣 瞳

ザ・テラスクラブ アット ブセナ/ジ・アッタテラス クラブタワーズ 支配人

新垣 瞳

1954年、沖縄県出身。1973年、コンピュータ関連企業に入社後、ハンドバッグデザイナーへ転身。1997年にザ・テラスホテルズ株式会社に入社。2003年にザ・ブセナテラス副支配人、2009年に執行役員に就任。2015年より現職。

インタビュアー

株式会社 Loco Partners 代表取締役(当時) 篠塚 孝哉

株式会社 Loco Partners 代表取締役(当時)

篠塚 孝哉

1984年生まれ。07年株式会社リクルート入社、11年9月に株式会社Loco Partnersを設立し、代表取締役に就任。2013年3月にReluxをオープン。趣味は旅行、ワイン、ランニング、読書など。

「ブセナの母」と呼ばれるまで

ザ・テラスクラブ アット ブセナ

篠塚:ジ・アッタテラス クラブタワーズ/ザ・テラスクラブ アット ブセナの両施設で支配人を務められていますが、どのようにここまで進まれてきたのですか?

新垣:社会人生活の最初はコンピューター関連の会社で約7年、秘書業務と管理業務をしていました。それから全く別のお仕事でハンドバッグのデザイナーをしていました。

篠塚:今のお仕事とはかなり違うコンピューター関連の会社へ、というのはどういった思い立ちだったのでしょう?

新垣:実は私は大学に行かなかったんです。「何となく」で大学に行きたくはないと思って高卒で社会に出て、でもやっぱり社会人として一人前になるために大学は必要なんだと気付いて。それで浪人生活をしようと思った矢先にそのコンピューター会社の入社試験があって、受けてみたら通ってしまって。ですけど、やはり大企業にいると余計に自分の限界が見えるわけですよね。

篠塚:お仕事の内容だったり、昇進だったりということですよね。

新垣:今は違うんでしょうけれど、その当時、私がやらせていただいた仕事は今まで女性がやったことのがない、前例のないフィールドだったんですね。海外とのスケジュール調整や機会の取りあいなど、「タフな仕事で女性は無理だろう」と言われました。そういうものを一つずつクリアしていって達成感がある一方で、高卒のキャリアの限界が見えてしまった。社会では学歴が大きくものを言うのだと実感しました。会社自体は福利厚生なども素晴らしく、とても心地よい空間で、普通にお勤めするだけなら何の不満もない環境でした。でも、欲張りな私はもっと自分の可能性を広げたいと思い退職したんです。しばらくして、偶然のつながりで「ハンドバッグのデザインをやってみないか」と声をかけられて、バッグを使うことはできてもデザインは描けないのではないかという不安はあったものの、思い切って転職しました。

篠塚:まったく未経験の状態で、デザインを開始されて。

ザ・テラスクラブ アット ブセナ

新垣:基本を学ぶために夜間のデザイン学校に行きました。まったく絵も描けない状態から勉強しましたがデザイナーとして才能がなく、3年間でアイデアは枯渇。絵が描けなくなってしまったんです。商業デザイナーだから会社からは「売れるものを作れ」と言われるけれど、できない。行き詰まった時に、雑誌社の方から「あなたはデザイナーよりも商品を売り込むような広報担当が向いているかもしれないよ」とアドバイスを受けて広報担当に異動。その後、広報のつながりで海外リゾートのお話を頂きました。

篠塚:それが「リゾート」に関わりはじめたきっかけだったのですね。

新垣:そうですね。「リゾート」は全く未知の領域でしたけれど、詳しく話を聞いてみるとオーストラリアで「この美しい地球を未来の子供達へ」というテーマで開発していると。

篠塚:それがすごく心に残ったのですか?

新垣:そうなんです。それで35歳から初めてリゾートに携わりはじめて。最初の1年間は、現地の方に開発プロジェクトのコンセプトを理解していただくための交流が主な仕事で、ずっとバーベキューなどをして過ごしていましたね。そのあと5年間くらいオーストラリアをベースに仕事をしたのですが、父が余命宣告を受けたため、仕事をやめて沖縄に帰ってきました。

篠塚:では、ザ・テラスホテルズ株式会社にはそのあとに就職されたのですね。

新垣:そうですね。沖縄に帰ってきた時に、沖縄ってこんなに素敵だったのかと改めて感じました。沖縄は環境資源や人的なポテンシャルはすごくあるのに、うまく表現できていない。それをもっとアピールできたらいいのにと思っていたところ、「ザ・ブセナテラス」の開業準備室でちょうど広報担当のお仕事に就くことがきました。その後、海外セールス、さらにサミットの準備室長を担当させていただいて、2003年に副支配人になってから12年が経ちます。

篠塚:そのポジションで成果をものすごく出されて、結果として今があると思うのですが、何を大切にされてきたのでしょうか?

新垣:ほとんど運に恵まれてここまできましたが、大切にしてきたことは「熱い思い」「志」「チームワーク」です。オーストラリアから帰って来た時に、生まれ島の沖縄で「何か自分が生きてきた証を残したい」と思いました。大げさに聞こえるかもしれませんが、独立系の地方のホテルが大きな目標をもって開業するという時、PR責任者としてこのホテルにかけた思いはとてもビジネスでは割り切れないものがあったんです。このホテルを愛し、すべてのスタッフを自分の子どものように思って接し、今まで一緒に歩んできました。ですから、一部のスタッフからは「ブセナの母」と呼ばれることもあります。母親的視点のマネジメントでは人はなかなか育たないとも言われますが、子どもを大きく突き放して成長させる父親的なリーダーはいっぱいいますから、母親的な人が一人くらいいてもいいかなと今はゆったり構えています。

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「ザ・テラスホテルズ」共通の価値観は、パーソナルなサービス

篠塚:新垣さんとして実現したい思いや、ザ・テラスホテルズとしての共通の価値観というのはどのようなものなのでしょうか?

新垣:弊社の入社面接の際、「本当はアメリカンスタイルの大型ホテルではなく、50室前後のブティックホテルで、パーソナルサービスができる仕事がしたい」と話したら、今の経営陣と互いに共感することができたのです。今から20年前くらい前ですね。

篠塚:当時、ブティックホテルというのは一般的だったのでしょうか?

新垣:まだ出始めでそこまでの認知度はない時代でした。それでも、オーストラリアで働いたホテルは60室でしたし、海外のヴィラタイプの色々なホテルを見る機会にも恵まれた中で、施設の規模を誇る大型ホテルにはない小さなホテルのパーソナルサービスに憧れました。ザ・ブセナテラスは410室ありますけれど、目指すのはそういうサービスだと最初から思っていて。その中でどれだけのことができるかというのは私の一つのチャレンジでもありました。以後、ザ・テラスホテルズは、マニュアル的ではないお客様に沿ったサービスをやっていきたいという思いがすべての基本です。

篠塚:そうすると、入社当時と今やられていることの「思い」は、実はあまり変わってないのですね。

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新垣:全然変わってないですよね。ホテルが大きくても小さくても、まずマニュアルを作るのではなく、お客様一人一人にできるだけ沿ったサービスをしていく。もちろん業務の手順やルールはあります。だけど、それはあくまでも業務の手順であって、私たちがお客様に接する際のサービスと業務はちょっと違うと思うんですよね。お客様と接する時にそれを業務だと思ったら全く心が通じなくなるんです。だから、可能な限りご要望に対応する姿勢、それは「ザ・テラスホテルズ」の全てのホテルで共通ですね。

篠塚:反対に、やってはいけないこともあるのでしょうか。

新垣:何でもアリではないですよね。私たちが承ることができるリクエストなら問題ないですけれど。たとえば他のお客様の居心地が著しく悪くなるようなことをなさるとか、常識の範囲を超えた無理難題をおっしゃる場合には、「応じられません」ということをはっきりとお伝えすることも重要です。

篠塚:あくまで、自分たちが大切にしていることは曲げないこともサービスのひとつであると。

新垣:そうです。あと、もちろん出来うる限りご要望にはお応えしますけれども、過剰な期待を持たせることはしないようにしています。良かれと思ってした過剰なサービスが次回の失望につながらないように、気をつけています。大切なのは費用面より、お客様を思う気持ちに手を抜かないことです。接客は、簡単なようで簡単ではない。たくさんの判断をしないといけないですよね。

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篠塚:なんでも承るよりも、きちんと判断をすることこそ接客であるということですね。

新垣:プライスレスな感動はどうやったら生まれるんだろう、ということだったり。そんなことをみんなと一緒に考えながら、接客のアイデアの引き出しをいっぱい作って準備することに取り組んでいます。

コンセプトは「ホリスティックなスパ」

ザ・テラスクラブ アット ブセナ

篠塚:ザ・テラスクラブ アット ブセナでは開業準備室から携わられているとのことですが、当初からコンセプトは明確にお持ちだったのでしょうか?

新垣:そうですね。2007年くらいから、次にホテルをオープンするとしたらテーマは「健康」というのはありましたね。社長や私たちのようなマネジメント側のスタッフが、そろそろシニア世代。だから、自分たち自身、健康に関する問題に直面してくるわけです。腰が痛いとか膝が痛いとか、そういう問題が出てくる年代になりましたが、いつまでも若々しくいたい、アンチエイジングに取り組みたいということが年代を超えた人間の願望です。健康はどれだけお金を払っても買えないですから、健康なうちに自分に投資して、メンテナンスして、自分の健康維持のために割く時間を持つことはこれから絶対に必要だとその頃から話していました。

篠塚:その後、2011年にオープンされるまではどんな流れで?

新垣:当初、もう少し早く開業を目指せたかもしれないんですけれど、2009年あたりでリーマンショックがあって。しばらく温めておいたんですね。それで、2011年の4月1日の開業を迎えることになったのですが、3月に東日本大震災があり、その時の日本中の状況や雰囲気を考えてレセプションも何もやらずに、静かにオープンしました。

篠塚:実は、私がLoco Partnersを創業したのも2011年なんです。まさに震災がきっかけで、震災の悲壮感を見て何かしなければと思いまして。そういった意味で、開業当時の大変さなども少し共感を覚えました。当時の状況として旅行に行くようなモチベーションが全体的に下がっていたと思いますが、いかがでしたか?

新垣:集客の状況としては大変難しかったです。最初の年は「ウェルネス」という方針を少しずつお客様に理解していただくことに注力しました。私たちが目指しているのは、タラソプールがあるだけのスパホテルではなくて、滞在することにより人間本来の健やかな心身を取り戻す本格的な「ウェルネス・ディスティネーション」ということで、最初からマーケットに浸透するまで時間がかかることは覚悟していました。

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篠塚:具体的にはどんなプランやプログラムがあるのですか?

新垣:タラソプールをコア施設としたタラソテラピーだけではなく、アーユルヴェーダやアロマセラピーもありますし、スパトリートメントのほかにも運動やヨガプログラムなどもあり、本物の「ホリスティックなスパ」を目指そうと考えています。基本となるのは運動、栄養、休養のこの3つのバランスを大事にするということ。この1~2年で、特に健康志向のお客様がぐっと増えました。あとは、誰でもある肩凝りや腰痛を日頃の疲れだから、と流してしまうのではなくて、それをきちんと治すことで内臓も元気になるというような気付きを滞在中に感じていただくなど、日常生活の見直しに繋がるご提案もあります。

篠塚:いま掲げられている「ホリスティックなスパ」、「ウェルネスリゾート」というコンセプトですと、みなさん何かをリセットしたりリラックスしに来られているわけですよね。

新垣:そうなんですよ。リセットしてチャージする、というイメージですね。お薬を使わないと眠れない方が、ここに滞在すれば、お薬を使わないでぐっすり眠れましたっておっしゃるんです。

篠塚:定期的に訪れるリピーターの方も多いのではないですか?

新垣:そうですね。3か月に1回くらいメンテナンスにいらっしゃるとか。開業から4年目ですけれど、20数回もお越しになっているリピーターの方や、ウェルネスを目的にお越しくださるお客様がいらっしゃるというのは、やっぱりすごく嬉しいですね。

専門性を極めた「ウェルネスリゾート」へ

篠塚:今後の展開については、どんな風に考えられていますか?

新垣:ザ・テラスクラブ アット
ブセナはますます、ウェルネスのデスティネーションリゾートとして専門性を高めていきたいと思います。今の世の中のニーズとして、都会の暮らしで疲れて本来の人間の生体リズムを失っている方は大勢いらっしゃるので、それをリセットするための場所は絶対に必要だと思うんです。だから、そういう方々のリセットのための場所としてあり続けたいと思いますし、ホテルに課せられたミッションというのを実現するために、ユニークな体験のできるラグジュアリーなクラブリゾートではありつつも、「ウェルネスライフ」を第一に掲げたいですね。

ザ・テラスクラブ アット ブセナ

篠塚:ラグジュアリーではあるけれど、煌びやかでキラキラした感じではなくて、ということですよね。未来の話ですが、その中でアジアで最高のウェルネスリゾートにしたいですとか、具体的な目標はお持ちなのでしょうか?

新垣:できたら、やっぱり日本のウェルネスリゾートと言えばザ・テラスクラブ アット
ブセナだよね、という風になっていきたいと思っていますね。ウェルネスって本当に色々な意味がありますから、奥は深く、今はまだヨチヨチ歩きで、一般的な不調の解消や睡眠の質の向上など単発のプログラムの提供が多いのですが、もう少し色々な意味で幅を広げていきたいと思っています。その第一歩として、今の主流の2泊3日のプランから1週間プランにシフトしたいと思います。クオリティ オブ
ライフ(QOL)を高めるためのホテルですから、宿泊環境とウェルネスプログラムの両方で満足できて、さらに先を行っているようなホテルでありたいと思います。

篠塚:ポイントは単に滞在中の2~3日だけの満足を提供するのではなく、きちんとQOLを上げていくというところですね。そして、日本を代表するようなウェルネスホテルを目指すと。

新垣:日本を代表するウェルネスホテルなどというのはおこがましいですが、志と思って受け止めてください。まずは今まで4年間で蓄積した色々なデータなどを参照しながら、多くの方にご共感いただけるプログラムやプランを提供していきたいと思います。現状では、人数から見ると40歳代の方が一番多くいらっしゃるんですね。多い方から40歳代、30歳代、50歳代となりますけれど、40歳代が一番体の変化をきたしやすいところなんですね。30歳代までは元気でも、40歳を越えたら疲れやすくなったなんてこともあります。様々な不定愁訴が現れるし、そういうものはリセットしていかなければならない。健康的な40歳代をつくるということは、10年後に病人を生み出さないということ。さらに20〜30年後に寝たきりの方をつくらないことに繋がるわけです。

ザ・テラスクラブ アット ブセナザ・テラスクラブ アット ブセナ

篠塚:では、ターゲットはこれからも30〜40歳代の方に絞られるのでしょうか?

新垣:欲張りなので絞ることはしませんが、やはり今は40歳代の方が多いのでその層のニーズにはしっかりお応えしたいですね。ただ、その方々のお子さま、中学生くらいの若い方も将来健康面で困ることがないように、意識づけになればとは思っています。そしてもう一方で60〜70歳代のお客様も含めて、ザ・テラスクラブ アット
ブセナでは体をケアするとか、自身の健康維持への高い意識を生活に取り入れていただけるよう、継続的なサポートを実施していきたいと考えています。

篠塚:一般的にはやはり建物やお部屋といったハードが取り沙汰されることが多いので、お話を伺ってみてコンセプトや未来についてとても理解をさせていただいたと言いますか、ものすごく深みが出たように感じました。本日は本当にありがとうございました。

ザ・テラスクラブ アット ブセナ

写真:奥間 聡 / 文:佐藤 里菜

ザ・テラスクラブ アット ブセナ/ジ・アッタテラス クラブタワーズ 支配人 新垣 瞳

ザ・テラスクラブ アット ブセナ/ジ・アッタテラス クラブタワーズ 支配人 新垣 瞳

新垣 瞳

1954年、沖縄県出身。1973年、コンピュータ関連企業に入社。1983年にハンドバッグデザイナーへ転身。1989年よりオーストラリアでのリゾート開発の企画・広報に携わり、1997年にザ・テラスホテルズ株式会社に広報宣伝マネージャーとして入社。海外セールスマネージャーやサミット準備室長を歴任し、2003年にザ・ブセナテラス副支配人に、2009年に執行役員に就任。2015年現在、ザ・テラスクラブ アット
ブセナ/ジ・アッタテラス クラブタワーズの支配人を兼任。

ザ・テラスクラブ アット ブセナ

ザ・テラスクラブ アット ブセナ

沖縄県 > 本部・名護・国頭

一望できるのは、透き通るような青空と紺碧の海の絶景。”健やかな”ライフスタイルを提案する、クラブスタイルのウェルネスリゾートです。