沖縄県の東海岸に佇む「百名伽藍」は、旅館のようなリゾートホテル。そのしつらえやコンセプトで、国内外から高い人気を得ています。”無”になり、本来の自分に戻れる場所でありたい――。そんな想いの源泉と百名伽藍が目指す未来を、オーナー兼総支配人の渕辺氏に伺いました。
ゲスト
百名伽藍オーナー兼総支配人
渕辺 美紀
鹿児島県出身。客室乗務員等での勤務を経て、昭和60年に(株)ビジネスランドの代表取締役社長に就任。平成5年には(株)ジェイシーシー設立、代表取締役副会長に就任。
インタビュアー
株式会社 Loco Partners 代表取締役(当時)
篠塚 孝哉
1984年生まれ。07年株式会社リクルート入社、11年9月に株式会社Loco Partnersを設立し、代表取締役に就任。2013年3月にReluxをオープン。趣味は旅行、ワイン、ランニング、読書など。
禅の世界を感じる「まったく新しいリゾート」を目指して
篠塚:鹿児島から沖縄に出てこられて、最初は飲食の事業を展開されていたと伺っています。なぜ宿泊施設を開業されたのですか?
渕辺:飲食店はサービス業ですよね。そして、私たちにとってのサービス業の頂点はホテルだった。ホテルをやりたい、そして自分たちが本当にゆっくりできる、自信を持って沖縄を発信できる拠点を作りたいと思って。沖縄の文化発信というコンセプトをもっと集中して実現できる場所こそが、ホテルでもあると考えたんです。
篠塚:今回、館内のしつらえなどを拝見して、まさに沖縄文化を体験させていただいているように思います。それを、飲食店ではなくホテルで実現されたかったのですね。
渕辺:飲食店には飲食店の良さがありますが、滞在時間は2~3時間ほどですよね。それが、ホテルなら丸1日、長い方だと1週間ほど宿泊していただける。だから本当に自分の思いを込めてお客様と接することもできますし、お客様にも沖縄の魅力やホスピタリティを受け取ってお帰りいただけますよね。
篠塚:そんな背景があったのですね。なぜこの土地を選ばれたのですか?
渕辺:沖縄南部の東海岸である「百名(ひゃくな)」の土地を選んだのは、今までの沖縄のリゾートが西海岸や中央部に集まっていたからです。従来のリゾートといえばサンセットを楽しむことが基本だったのですが、こちらではサンセットとサンライズの両方を見ることができる。今まで西海岸が基調だったものを東海岸に、中央部にあったものを南部に展開するなんて今までにないチャレンジですし、あらゆる面で今までとは違っている。そういったところでも、百名伽藍のコンセプトが多くの人から支持していただけたり、自分たちが望むものが出来ると考えたので、あまり迷うことなく作り上げてきました。
篠塚:あえて、従来の「沖縄本島のリゾート」とは反対のことをされているということですね。
渕辺:建物の造りをご覧いただくと、リゾートホテルとは言いながら旅館的な雰囲気があるんです。私たちは、やはり「独自のものを作りたい」という思いがありましたし、百名伽藍の隠れたテーマは座禅の「禅」なんです。禅の「すべてをそぎ落として無になる」という精神が究極のリゾートだと思っています。
篠塚:リゾートの定義を「無になる」ことと定義したのですね。それは、あまり表には出さないんですか?
渕辺:言葉で伝えるものではなく、あくまで感じていただくことなのであまり表には出していません。リゾートとはつまり、「リソート(Re;sort)」、自分をもう一度「ソート(sort)」するということですよね。それは禅の精神性とまったく同じものですから、お客様がここにきて、余計なことや災いがない状態で浄化されたり、解放感を感じたりしていただいて。そして自分で自分をリセットし、リフレッシュし、エネルギーをチャージしていただける場所になればと思っています。
宿の完成はゴールではなくスタート
篠塚:そういう思いまで込められてこの空間が出来上がったのですね。構想から実際の開業までは、どれくらいの時間を掛けられたのですか?
渕辺:土地取得の段階を含めると10年ですね。なかなか百名のような土地がないものですから、土地を見つけるところから。この場所はこの地域の方にとっては聖地なんですね。久高島が見えますし、近くには斎場御嶽というそれこそ聖地のような場所がある。ですから、地域の方々の中には、その環境を崩さないで欲しいという思いもあったと思います。
篠塚:様々な意見があったと思うのですが、最終的に地域の方にはどのように納得していただいたのですか?
渕辺:とにかく自分たちの思いをきちんとお伝えしていきました。普通はホテルというとビルを想像しますけれど、あくまでもこの地域に溶け込んで、ホテルを作ることで自然がもっと豊かになるようなものを作っていきます、と頭を下げてご理解いただいて。そうして土地を取得した2年後にようやくコンセプトづくりが始まって、主人と2人で高野山や鎌倉の色々な寺社仏閣を見てまわったんです。
篠塚:寺社仏閣を参考にされたのですね。
渕辺:禅をテーマにすることは決まっていたので、本当に心身ともに落ち着く空間がどういうものか、回廊の作り方、建物の木の質感はどんなものかといった空気感を現地で確認していたんです。福井県の永平寺にも足を運んで、朝3時に起きて勤行(ごんぎょう)といいますか、座禅を組んで。そうすると、「宿坊」や禅の持つ実際の空間がどんなものかも分かりますよね。
篠塚:コンセプトづくりのために宿坊での宿泊や座禅を体験されて。それによって伝え聞いたり、本で読んだだけの知識とは違うものを感じ取れたということですね。
渕辺:何かひとつサンプルがあれば、それに近づいたときが「完成」ですけれど、そうではなくて「無」から作っていくわけですから、自分たちの理想像は永遠に途切れないですよね。ですから「完成」はなくて、どうすればさらに進化できるか追求していなければいけない。そのためにも、実際に触れてみることは大切なんです。
篠塚:コンセプトづくりを経て今もさらに成長している、生きている感じですね。ここまでこだわりを持って進まれてきて、実際の反響はいかがですか?
渕辺:2015年10月に香港で「ワールドラグジュアリーホテルアワード」を受賞したご縁で、業界の世界的権威のような方にも訪れていただけるのですが、特に海外の方々が百名伽藍のコンセプトにとても共感してくださっています。リピーター率はとても高くて、開業から3年半ではありますが、もう7〜8回目の宿泊という方もいらっしゃいます。3〜4泊で滞在される方も本当に多いですね。
篠塚:再訪したくなる、長期滞在したくなる魅力があるということですね。本日実際に伺ってみて、私もできることなら3泊でも4泊でもさせていただきたいと思いました。
渕辺:波の音が聞こえますでしょう?
本来私たちが持っている五感、たとえば聴覚、視覚、感じる力といったものが、今の人工的な生活の中ではどんどん麻痺したり薄くなったりしてしまう。だから、ここに来たらそれが呼び起されて、何となくでも「本来の自分」を感じていただけると思うんですよね。夜はネオンの明かりは見えませんけども、逆に暗いことがラグジュアリーな雰囲気を生み出していて、自分を振り返ったり、あるいは安らいだりできるということもあると思います。ホテルとしてはまだまだではありますが、この空気感や自分たちの個性は崩さないように、さらに進化させたいと思っています。
磨いてきたのは、目には見えない「伽藍ホスピタリティ」
篠塚:ここまでのお話を伺うと順調に進まれてきたように見えますが、困難はありましたか?
渕辺:コンセプトを具現化する作り方には本当にこだわってきたのですが、もともと飲食事業が中心でしたので、ホテルの接客はほとんど素人なんですね。とにかくお客様に接するにあたっての心得を一番大切にしていましたけれど、技術的なものはないんですよね。だから、納得のいく接客に至るまでに少し時間がかかりました。
篠塚:まったくゼロの状態から、どのように百名伽藍の接客の基礎を作られたのですか?
渕辺:最初はすべて私ひとりで整えていきました。私自身も旅行が好きで色々なホテルや旅館に泊まっていたので、その時に経験した接客の流れやどんな風にすれば気持ちが良いかという点を落とし込んで。ひとつひとつ、基本的なサービスから始まったので少し時間は掛かりましたけれど、今ではスタッフ自身が自分たちのやり方を極めてくれています。おかげさまで、「百名伽藍のスタッフはスーパーマンですね」というようなお言葉も頂いています。
篠塚:実際の事例はありますか?
渕辺:ある時、ご家族4人のお客様がいらしたのですが、船を準備してほしいと仰るんです。理由を伺うと、お父様が亡くなったので生前に好んでいた沖縄の海に散骨にいらしたということで。それで、私が「散骨が済んだら陰膳を用意しよう」と思い立ったんですね。ただ、そこから先はスタッフが一歩踏み込んで、お客様との会話の中で亡くなったお父様が好きだったものを聞き出して、それを厨房のスタッフに伝えて準備を進めて。そして、夜にはお父様が好きだったものを盛り込んだ陰膳が用意されていました。
篠塚:素晴らしいエピソードですね。そんな現場では、どんなことを大切にされているのですか?
渕辺:百名伽藍には、実は接客のノウハウのマニュアルが一切ないんですよ。百名伽藍は16室の小さなホテルですし、お客様は旅に自分のストーリーを持っていらっしゃる。だからお客様への対応というのは全て異なります。そのことを感じる力、応対する力を持ってほしいということで、あえてマニュアルは作っていないんです。どうしたらお客様に「ここにきてよかった」と喜んで帰っていただけるかを考えることが私たちの役割なので、マニュアルに拘束されたくないんですね。自分が考えるおもてなしを自由に届けられますから、スタッフも喜んでくれますよね。
篠塚:十人十色のサービスを提供されているのですね。実はReluxでも、旅行者の方の課題や要望に対してマニュアル化された画一的な対応をするのではなく、とにかく課題解決を目指そうという話をしているんです。なので、すごく勉強になります。
渕辺:そういったサービスの方が、スタッフの喜びになりますよね。百名伽藍では「伽藍ホスピタリティ」という言葉を作って、「百名伽藍がお届けするべきものは伽藍ホスピタリティだから、それを理解して実践していきましょう」と全員に伝えているんです。その精神は目には見えないですけれど、何がやりがいかと言ったら、お客様の喜びを受け取れること。スタッフが、お客様の心からの「ありがとう、よかった」という言葉を受け取れる環境を作ってあげることが重要だと考えています。ホテルに対してではなくて、スタッフ個人へ「ありがとう」を言っていただけたらと。
沖縄の文化発信、その中枢を担うために
篠塚:ここまで過去から現在のお話を伺ってきましたが、今後の5年、10年についてはどんなビジョンを描かれていますか?
渕辺:「百名」は地名、「伽藍」はお寺の伽藍を表しているのですが、伽藍というのは、一般的に「大伽藍」や「七伽藍(なな/しちがらん)」と表現されることが多いんですね。このホテルには4つの棟がありますけれど、やはり大伽藍として、もっとたくさんの方が集まってきて喜んでくださるような場作りをしていきたいですね。もちろん、地域の方々にもご理解いただきながら手入れを続けていかなければとも考えています。将来的には、百名伽藍がこの地域に不可欠なものだったり、ある意味では精神的なものも含めた沖縄文化の発信源、その中枢になれたらと思っています。
篠塚:文化や空間、音に触れたりということを通して、とにかく沖縄の全部を感じてほしいということですね。そういった役割を達成するためには、やはり地域の方に受け入れていただくことも必要ですよね。
渕辺:百名伽藍のような、この土地にとっては新しいものの開発が「破壊」ではなくて「創造」につながればと考えているんです。館内にガジュマルや植栽も多くありますけれど、開業当初よりも緑が濃くなっているんですね。百名伽藍が出来たから土地も元気になっていくというように、この地域を創り上げていくことができたらと思っています。
篠塚:たとえば、その創造を他のエリアに広げたりは?
渕辺:いい場所があれば、とは考えていますが百名以上の場所がないんですね。これだけ海に近くて、波の音まで聞こえるというロケーションはないですし、やはり私自身として、そして百名伽藍として体現したいコンセプトや想いを追求したいと思っています。
篠塚:やはり単なるビジネスではなく宿とコンセプトやご自身の想いを深められたい、ということなんですね。開業から3年半とは思えないほど、重厚感や歴史を感じることができました。本日は、素晴らしいお話しをお聞かせいただきありがとうございました。
写真:奥間 聡 / 文:佐藤 里菜
百名伽藍オーナー兼総支配人
渕辺 美紀
鹿児島県出身。客室乗務員等での勤務を経て、昭和60年に(株)ビジネスランドの代表取締役社長に就任。平成5年には(株)ジェイシーシー設立、代表取締役副会長に就任。沖縄国際大学や琉球大学の非常勤講師を歴任し、平成24年に百名伽藍を開業。オーナー兼総支配人を務める。