2016.10.31
目次
第23回 「遊びを売る空間」を大切にし、「アート」ともに進化するパークホテル東京
株式会社芝パークホテル 監査役/林 義明
「遊びを売る空間」であることを大切にし、オンリー1であり続けるパークホテル東京。アーティストルーム誕生と、ホテルの未来について伺いました。
ゲスト
株式会社芝パークホテル 監査役(2021年)
林 義明
1981年芝パークホテル入社。ベルボーイからスタートして宿泊予約、フロント、フランスレストラン支配人などを経験。中国料理「北京」帝国ホテル店支配人を経て、2000年パークホテル東京開業準備室長に就任。2016年現在、パークホテル東京総支配人。
インタビュアー
株式会社 Loco Partners 代表取締役副社長
塩川 一樹
1979年生まれ、立命館大学経済学部卒。株式会社ジェイティービーを経て、株式会社リクルートへ中途入社。旅行事業部にて、首都圏・伊豆・信州エリア責任者を歴任し約2,000施設以上の担当を歴任。2012年7月より株式会社Loco Partners取締役に就任。
ジェネラリストとして経験を積んだ、ホテルマン時代
塩川:まず、過去を振り返って林さんがホテルマンとしてどう歩んでこられたか、ご自身の経験をお聞かせください。
林:学生時代、ホテルのルームサービスのアルバイトをしたのです。そこで私は、お客さまに「ありがとう」と言っていただける、自分のしたことが返ってくるというのはいいなと思いました。そして就職活動をする段階で、自分にはホテルマンが合っているのかもしれないと思い「芝パークホテル」を受けたのです。当時「芝パークホテル」の社長は犬丸二郎氏だったのですが、「帝国ホテル」に勤めていた私の父と仲が良く、そうしたご縁もあってここへ入社したということですね。
塩川:お父様が「帝国ホテル」にお勤めされていたということで、幼少期からホテルマンの姿が身近にあったことも影響していたのでしょうか。
林:父が働いている姿はあまり記憶にないのですけれども、「帝国ホテル」で食事をしたりとか地方のホテルへ泊めてもらったりという機会は多かったですね。学生時代は陸上競技をしていましたのでスポーツ関係の道に進むという選択肢もありましたが、ホテルでのアルバイト経験と父がホテルで働いていたことは大きかったです。
塩川:さまざまなご縁で「芝パークホテル」に入社され、そこからあらためてホテル人生がはじまったということですね。印象に残ったできごとはありますか?
林:ホテルの仕事はさまざまな面を持っています。私の場合は入社後すぐ、ベルボーイを担当して、その後に宿泊予約、フロントと12年ほど宿泊業務に従事しました。そして30歳を過ぎたときに、フレンチレストランを担当するよう辞令がくだりまして、横浜の「ホテルニューグランド」のメインダイニング「ノルマンディ」へ研修に行きました。フロントとはまったく違う世界ですので、通勤時間の2時間はずっと料理の勉強をしました。5年ほどフレンチレストランの支配人を務めたあと、「帝国ホテル」の「北京」という中華レストランの支配人を2年ほど務めました。
塩川:宿泊業からレストラン業務まで、ホテル業に携わるのであればどの部分も欠かせないということを、身をもって体験されたのですね。
林:そうですね。私はそのどちらをも経験したジェネラリストですが、今はなかなかそうした経験をする人が少ないですね。ですから、当時の社長に宿泊業務だけでなくレストラン業務も経験させていただき、その都度あたらしい勉強ができたことは、ありがたいと思っています。現在こうして総支配人をしていて、宿泊も分かるしレストランのことも分かる。そういう意味でジェネラルな知識が身についたのですね。特に、レストランでは料理について深く掘り下げることができましたし、お客さまと接する時間も非常に長いのでとても勉強になりました。その後、2000年に「パークホテル東京」を立ち上げるということで、開業準備室に戻ってきたのです。オープンしたのが2003年ですが、この3年間はものすごくホテルに関して勉強しました。
「遊びを売るホテル」の誕生と、「ホテルを楽しむこと」の原点
塩川:ホテルマン人生のこれまでを振り返ると「パークホテル東京」の開業が一番のビッグイベントだったのでしょうか。
林:このホテルは私がつくりましたので、愛着がありますね。支配人時代も含めて15年ほどやってきましたが、社会人としてパワーがあるときに打ち込めるものがあったということはとてもありがたいですし、このホテルは今でも自分の中での金字塔ですね。人ができない仕事を1から10まで、1人で任せてもらいました。私は絵を描くことやデザインが好きで、それから音楽も好きでした。そうした一見無駄な人生が、ホテルをつくるときに役立ったのですよ。無駄だと思っていたことがここに集結したという感覚はおもしろかったですね。
塩川:それまでに培ってこられたデザインや音楽に対する感性が、ホテルづくりに活かされたのですね。
林:ホテルというのは、遊びを売っている空間であるということが大切だと思います。雑誌などでもデザイナーズホテルが特集されまして、私はとても興味がありました。ただ、実はこのホテルをつくるときアトリウムの空間をデザインする人がおらず、デザイナーが4回も変わったのです。最終的にはある方の紹介でフランス人デザイナーのフレデリック・トマ氏にお願いする事になり、そのときには日本中のモダンなホテルをずいぶん見ました。予算もある中、デザイナーの意図を殺してはいけないですから調整を重ねることに苦労しました。
塩川:そして、いよいよ2003年に「パークホテル東京」がオープンしたときの心境はいかがでしたか?
林:立ち上げの時点から付きっきりでしたので、いざ外見ができて内装が整ったときに、そこに上がって「この空間だ」と眺めたときは感動的でしたね。内装チームを中心にフロントカウンターもレストランの壁も、客室の家具も、イタリア製(B&Bイタリア)のものを自分たちで詰め込みました。当時の社長が自由にやらせてくれたので、彼らは燃えましたね。ホテルづくりは一度体験すると、やめられなくなります。
塩川:そこに自由と遊びがあって、より思いが込められた空間ができあがったのですね。開業から現在まで、この中でどのような変遷があったのでしょうか。
林:このホテルのコンセプトは「オンリー1」。個性を売りにしており、それが今回の「アート」にもつながっています。まず音楽からはじまり、プロジェクションマッピング映像などですね。「パークホテル東京」には当時デザインホテルという肩書がありましたので(注:すでに退会)、ロビーではさまざまなブランドのパーティーも開催しました。その集大成として、ホテルを一棟貸しにして大企業の周年パーティーを開いたこともありました。
塩川:世の中が欲している隠れたニーズを見つけて、「パークホテル東京」の個性と結びつけ、情報を発信してこられたのですね。そこからさらにつながりが生まれたのではないですか?
林:つながりはつながりを呼びますが、それにはやはり自分たちがある程度流行の先端を走っていること、そして「いいホテルですね」と言われる雰囲気がないと人は来てくださらないと思うのですよ。
塩川:みなさんがホテルを仕事としてだけとらえているのではなく、ホテルを楽しんでいるという、そこに原点があるという印象を受けました。
林:そうですね。そこに原点があると思います。よく皆にも言うのですが、おもしろくない人間はおもしろいホテルをつくることはできないのです。「ホテルは楽しく働いた方がいい」というのが私の持論です。1人の魅力的なスタッフがいて、そのスタッフが1人のお客さまの心をつかむ。もしかしたら10人の心をつかむかもしれません。魅力的なスタッフが多ければ多いほど、ホテルにはたくさんのお客さまがいらっしゃいます。そういうスタッフ1人1人の魅力がお客さまを集めるという考え方が、私は好きなのですね。
「アーティストルーム」の革新性に見る、インバウンドの手応え
塩川:「アート」を取り入れたホテルづくりについてお聞かせいただけますか?
林:今回のアートの取り組みは、「パークホテル東京」10年目の節目にホテルをリブランディングしようという話があって実現しました。我々は、デザインを優先したホテルということでさまざまなことに挑戦してきましたが、そこから抜け出すためのキーワードが「アート」でした。スタッフがブレーンストーミングをした中で、「日本の美意識が体感できる時空間」をテーマにしたいというアイデアが出たのです。当初、私はデザインはホテルと密着するが、アートというのは難しいのではないかと感じていたのですが、彼らに説得されて、それではやろうということになったのです。それからは、「アートカラーズ」という展示会を年に4回開催しているのですが、開始当時はアートをキュレーションするために、画廊、カメラマン、イラストレーター、映像作家などでチームを組み、「アート」で何を表現するかということをやっていたのですね。そして、彼らの意見をきっかけに生まれたのが、「アーティストルーム」というコンテンツでした。
塩川:日本のホテルという枠組みの中で、ホテルの客室に壁に絵を描くという取り組みは周りにあったのでしょうか。
林:ないですね。キャラクターを使ったコンセプトルームとかはありましたが、やるのであれば本物をやろうということで、「アーティストルーム」をはじめたのです。
塩川:第一弾が完成したときの印象はいかがでしたか?
林:思った以上に迫力があったので「これはいいな」と思いましたし、日本を象徴するデザインで、海外の人にも非常に受けるだろうという印象でした。ターゲットが外国の方でしたので、日本の美意識を感じさせるという意味で墨絵が多かったのですね。こちら側から日本をモチーフにしたものを描いてほしいとリクエストを出すのですが、どれもアーティストの世界観があるのですよね。その世界観を感じとるというのが大事なことだと思います。
塩川:1つ1つアートをつくりあげていく中でエピソードが生まれ、アーティストのみなさまとのつながりもできてきますね。
林:「パークホテル東京」は「アートフェア東京」というイベントのオフィシャルホテルになった事があるのですが、イベントのたびに次の人とつながっていくのですね。「銀座ギャラリーズ」という銀座の画廊の集まりや大阪や名古屋でアートフェアを開催しているARTOSAKA事務局ともつながりが生まれたことで、今年に続きホテルアートフェアを来年2月にもここで開催することも決まっています。そんな風にして、2年前から、アーティストやプレスカウンティを含め150名ほどのコミュニティつくりあげたのです。そういう人たちのパワーが集まることによって、次の挑戦ができるようになるのです。
塩川:アーティストのみなさんとのコミュニティがあり、情報や刺激が集まるような場ができているという手応えがおありなのですね。一方で、先ほどターゲットとおっしゃっていた海外のお客さまからの反応はいかがでしょうか。
林:外国の方に、「アーティストルーム」のお部屋をすすめると「とてもラブリーで素晴らしい部屋よ」という反応をされますね。「デザイン」といったキーワードは、海外の方には合うのかもしれません。スタッフが非常にフレンドリーに接客していますので、大変よい評価をいただいていますね。今、そうしたソフト部門に一番力を入れています。利便性ももちろんあると思うのですが、英語力や使い勝手のよさも、外国の方をおもてなしする際には欠かせないと思います。
塩川:そうしたご感想を頂けるのは、インパクトのあるものですとか、そもそもスタッフみなさまが協力し合うカルチャーがきれいにまわっている結果ではないかと思いますね。
林:いろいろなメディアにも取り上げていただきましたが、アートとホテルはどうしても平行線といいますか、アートをやっている人が泊まるかというとそうではないわけです。けれども、ここまでいろいろと挑戦してコミュニティができてきますと、違った世界がひらけてくるのですね。1つの象徴的な部分があって、そこにホテルがあるというパターンになっていくのです。ですから、土台となるサービスをしっかりしたうえで、そこに寄せる魅力として、これからは「高品質で魅力的なグローバルホテル」をつくっていきたいですね。
「美術館」のようなホテルの未来
塩川:最後に、今後の展望についてお聞かせいただけますか?
林:アーティストルームに泊まった方にはエグゼクティブサービスをご提供しようということで、31階のギャラリールームで簡単な朝食、夜はカクテルをお出ししています。日本の美意識、「アートカラーズ」の次の展開としては、絵だけの価値観をホテルの価値観と融合させたいと思っています。日本の文化をレクチャーできるプロを呼んで、お話ししていただくなどの取り組みをしていきたいですね。
塩川:欧米のお客さまが非常に多いとのことでしたが、国内のお客さまにはどういったホテルステイを楽しんでいただきたいとお考えですか?
林:このホテルを立ち上げたときに、アロマや食、バーなど、ホテルでどう過ごすか、自分の楽しみ方にあったホテルライフを提案できるコンシェルジュを置きたいと思っていたのですよ。ホテルの真髄ともいえる過ごし方があると思うのですね。ルールはないのですけれども、体験するのがホテルだなと思うのです。
塩川:ホテルライフの楽しみ方を知っていただき、滞在の価値を高めるということですね。
林:例えば、外国の方はノンスケジュールでいらっしゃるのです。「10日間滞在するのだけども、何をしたらいい?」とコンシェルジュにお尋ねいただければ、ここへ行って、これを食べて、周りにこれだけ文化がありますということも説明できると思うのですね。また、来年からですが、「パークホテル東京」のスタッフによる観光やグルメマップをつくろうと思っています。ここにしかないマップを、3年間で冊子にできるほどつくり込んでいきたいですね。
塩川:ホテルの仕事は自分の職域で完結してしまうとただの仕事になってしまいますが、スタッフによるマップづくりなど、ボーダーを取り払うことで楽しみの幅も増え、サービスを享受するお客さまも楽しめるということですね。アート関係については今後どのようになっていきますか?
林:先述のように、アーティストルームに宿泊される方の価値観を上げる工夫をしていきます。また、現在25階に展示している「アートカラーズ」を31階の廊下に配置して、ゆっくり見ていただくような展示の形態に変えていこうかと思っています。作品をゆっくり見ていただいたあとはギャラリールームでお茶を召し上がっていただき、アーティストや31階専門の「アートコンシェルジュ」と接するという体験も考えているのです。そして、これからの3年間は「日本の美意識が体験できる時空間」を、「日本的なサービス精神」に置き換えようとも提案しています。「お客さまを丁寧にお迎えする」「心からおもてなしをする」「お帰りは気持ちよく送り出し、安全な帰宅とおもてなしの心が伝わったかどうかということを思う」という、「3つのおもてなし」のために、ロビー専門のコンシェルジュを置こうと思っているのですね。それから、レストラン専門のコンシェルジュとアート専門のコンシェルジュ。この3つが連動してお客さまを迎えていきます。誰に聞いてもアートのことが分かり、レストランもフロントが案内することもできるという、グリーティングのネットワークをつくることが次の3年間の計画です。
塩川:コミュニケーションのタッチポイントを増やしていく発想で、「パークホテル東京」らしさを出していくということですね。
林:とても優秀なイタリア人スタッフが以前いたのですが、その彼がいることによってお客さまが立ち止まるのですね。それが、グリーティングがいれば素通りする人が立ち止まるのだというヒントになりました。私はいつもロビーのところに立っているのですが、お客さまが最後に満足した顔で帰ってくださると嬉しいのです。お客さまと会った15秒間ですべてが決まる。だから、その瞬間に心をつかむということは一番大事だと思っているのですよね。
塩川:お話をお聞きして、「パークホテル東京」では五感を使ったお仕事をされているという印象を受けました。そこに日本の美意識を大切にする旅館と通ずるところがあるとも感じます。本日は、ありがとうございました。
写真:川田 悠奈 / 文:宮本 とも子
※この記事は2016年に取材・制作したものです。
株式会社芝パークホテル 監査役(2021年)
林 義明
1957年東京都生まれ。日本大学商学部卒。 1981年芝パークホテル入社。ベルボーイからスタートして宿泊予約、フロント、フランスレストラン支配人などを経験。1998年中国料理「北京」帝国ホテル店支配人を経て、2000年パークホテル東京開業準備室長に就任。2016年現在、パークホテル東京総支配人。