2019.03.14
目次
第40回 「翠 SUI」から始まる、新しいラグジュアリー 〜「その土地ならでは」を実現する価値創出の秘訣〜
翠嵐 ラグジュアリーコレクションホテル 京都 総支配人(取材当時) 河本 浩
土地に根ざした体験価値をつくること、そして第六感で再訪したくなるホテルをつくること――。嵐山と沖縄に「翠 SUI」ブランドを作り上げてきた総支配人、河本氏がその秘訣を語ります。
ゲスト
翠嵐 ラグジュアリーコレクションホテル 京都 総支配人(取材当時)
河本 浩
1970年生まれ。1997年渡米。米国の大学で観光業、ホスピタリティ経営学を学びながら、ホテルオペレーションに従事。2003年に帰国後、内外資のホテルで研鑽を積む。ウェスティンホテル仙台、東京マリオットホテルの総支配人を経て、2015年より翠嵐ラグジュアリーコレクションホテル 京都の総支配人を務める(2019年2月28日時点)。
インタビュアー
株式会社 Loco Partners 代表取締役副社長
塩川 一樹
1979年生まれ、立命館大学経済学部卒。株式会社ジェイティービーを経て、株式会社リクルートへ中途入社。旅行事業部にて、首都圏・伊豆・信州エリア責任者を歴任し約2,000施設以上を担当。2012年7月より株式会社Loco Partners取締役に就任。
第1章 ホテルの「理論」を学んだアメリカ留学
塩川:まず、河本さんのこれまでの歩みから伺いたいと思います。ホテルとの出会いのきっかけは、どこにあったのでしょう。
河本:東京で生まれ育って、高校まではサッカー、大学からアメリカンフットボールをしていました。ここからホテルにつながるのですが、学生時代に行ったハワイで、格好いいホテルや黒いスーツを着こなしたスタッフに出会って、シンプルに「かっこいいな」と感じたことがホテルとの出会いでしょうか。
塩川:そんな学生生活を終えて、次のキャリアはどのように選ばれたのですか。
河本:卒業後、最初はメーカーに就職して、セールス・企画を担当する営業マンになりました。そこで3年半ほど働いている間にアメリカでマネジメントの勉強をしたいと考えて退職し、1年間は自分でも「よく働いたな」と振り返るほど様々なアルバイトを昼夜行なってお金を貯め、留学することを決めました。学生のころ感じたホテルへの憧れと、ホテルなら英語が必要、英語ならアメリカだろう、という感覚がアメリカ留学の理由でした。社会に出て、「学び」が仕事に活きてくることをより鮮明に感じるようになり、その「学び」がその先の自身のキャリアやステップアップにも繋がるのであれば何よりだな、と。
塩川:ホスピタリティが学べる学校に留学されたと伺っていますが、特に深く学んだことやご自身の価値観が変わるようなエピソードはありましたか。
河本:アメリカという文化に触れて、自身のスキルを磨くことで、生きる選択肢が拡がることを肌で感じ、そして自分の強みだと感じていた「人間関係の構築」や「コミュニケーション」について、異文化・異言語でのコミュニケーションがいかに難しいかも実感しました。少しニュアンスが違うだけで、伝わりはしてもそこから先、人を動かす中心部分に浸み込んでいかない、押すべきボタンが違う、というようなことですね。
塩川:異文化の中で、どうコミュニケーションをとるかというハードルを越える留学期間だったということですね。ホテルに関する学びはいかがでしたか。
河本:P/L(損益計算書)やレベニューマネジメント、コストオブセールス、ブランディングなどの基本はもちろん体系的に学びました。その他に、レストランサービスやチェックイン・チェックアウトなど、様々なホスピタリティにおけるゲストとのタッチポイントについての授業もあり、論理的にもメンタル的にも深い学びが出来ました。
塩川:この領域における基本を体系立てて学ばれたのですね。学校を卒業して、実際にホテルの仕事に就かれてからの体験はいかがでしたか。
河本:実はアメリカでの就職活動ではなかなか就職先が決まらず、実際に経験したのは小さなカンファレンスホテルでした。私としては、そのホテルで全体の流れや実経営を学びたいと思っていましたから、「とにかく色々な分野・レベルに挑戦させてほしい」と、目を輝かせてずっと言っていたと思います。
塩川:アカデミックに学んだことがあるからこそ、現場で全てを体験したいというハングリー精神があったのですか。
河本:そうですね。仕事のあとで教科書を振り返ったりしながら、実務と知識が結びつくことで、より自分の中で明確に体系立ててホテルマネジメントを捉えることが可能になりました。
塩川:学びと実践、さらに河本さんの得意なコミュニケーションもご自身のストロングポイントになったのではないでしょうか。
河本:コミュニケーションに関しては、異文化・異言語の中でも、お客さまが予約時に「河本が持つテーブルに」と指名やリピートをしてくださったことがあり、当時はとても嬉しかったことを覚えています。
塩川:辛い期間を乗り越えてお客さんを掴んだ、成功体験の瞬間ですね。そのころ河本さんは30代ですが、日本には帰国されないつもりだったのですか。
河本:将来も、いられる限りはアメリカにいたいと考えていました。とにかく「ここでトップになる」という気持ちで。ただ、9.11(アメリカ同時多発テロ事件)によって、ホテルスポンサー側とのビザの関係もあり帰国せざるを得なくなってしまったのです。
第2章 現場で培ったホテルマンとしての勘
塩川:突然日本に帰国することになって、その時の心境を振り返るといかがですか。
河本:働く先など、「どうしよう」「いや、どうにかなるか」という複雑な気持ちでしたが、その後ご縁があってヒルトン・ホテルズ&リゾーツ(以下、ヒルトン)のヒルトン東京ベイに入ることができ、いわゆる大型ブランドホテルのあり方を初めて知ることができました。カンファレンスホテルは独立系のホテルでしたから、そこまで深くキャリアパスに繋がるシステマティックなトレーニングは受けていなかったのです。ですから、様々なセグメントを迎え入れるヒルトンに入って、改めて大型ホテルの運営、ブランドなど色々なことを学べました。
塩川:ここで、点が線になるようですね。努力して習得された英語、そしてアメリカのホテルの仕事を経験され、また階段を登ってヒルトンでチャレンジされ、知見が広がったことと思います。ここから少し話題を変えて、ヒルトンの先のキャリアについてお聞かせいただけますか。
河本:もともとヒルトンにいた方が立ち上げたイシン・ホテルズ・グループ(以下、イシン)に入社し、京都のホテルでルームズディビジョンマネージャーを務めることになりました。
塩川:国内で初めてのご転職、勤務地も初めての京都ですね。期間は2年半ほどだったと伺っていますが、京都ではどんな経験をされましたか。
河本:「京都でビジネスをするということ」を学びながら、当時のイシンのホテルでは、会社のビジョンを持って各プロパティに合った方向性を決め、国内老舗ホテルをグローバルホテルに変えていくための様々な取り組みをしていました。これは、完全なブランドスタンダードとシステムでオペレーションを動かすヒルトンとは異なる部分です。既存のシステムを各プロパティに合わせ直して、クラッシュ&ビルドを繰り返しながら課題を見つけて改善し、そしてリビルドするというスタートですね。同時に、もともとおられる方々の経験値が高く、宿泊のみではなくホテル自体のことがすごく勉強できました。
塩川:なるほど。イシンを経て古巣のヒルトンに戻られていますね。思い出やエピソードも多いのではないでしょうか。
河本:イシンからヒルトンへ戻ってからヒルトン東京に着任したのですが、最初に経験した「ヒルトン東京ベイ」とは客層もホテルとしてのプレゼンスも違いました。従業員の動きも、お客さまに対する考え方、お客さまと過ごす時間も全く違います。イシンで体得した「自らシステムを変えて良くする」という経験をヒルトン東京でも同じようにやってみて、ブランド・システムの中でオペレーションを構築する上で自分の成長も実感することができました。
塩川:ここまでお話を伺って、ホスピタリティをどうビジネスにつなげるか、という興味を一貫してお持ちだということが見てとれました。
河本:その通りです。ホテルは労働集約産業「ピープルビジネス」です。人が携わることで生まれる複雑な人間関係、言葉のニュアンス、五感を通したインスピレーションなども測るべきものですが、数値指標はレベニュー、コストなど、とてもシンプルです。しかし、シンプルなやり繰りを行なうのは結局「人」なのです。日々のホテルオペレーションに向かい、役職に関係なく皆が高い意識で働き、結果として数字を伸ばせることへの興味は尽きませんし、奥が深く楽しいですね。
塩川:ビジネスとしては数字の積み上げがあるわけですが、スタッフの方がどうお客さまを喜ばせたかが時間をかけて数字になっていくというつながりも見えますね。その後に河本さんの活躍の舞台となるのが、マリオット・インターナショナル(以下、マリオット)ですね。
河本:京都時代のご縁でウェスティンホテル仙台の宿泊部長を経て総支配人に着任したのですが、2010年8月に開業して2011年3月に東日本大震災が発生し、その際にはホテルはコミュニティの重要なインフラのひとつだと痛感しました。また、当時の東北に初のインターナショナルブランドを立ち上げたウェスティンとして、地域・仙台のよいものを表現、発信することに傾注していました。自分たちのホテルだけで発信を行うには限界があり、行政や地元の方々、メディアとも連携しなければ、自分たちのプレゼンスやロケーションの魅力を外に伝えられないことも学び、コミュニティに存在するホテルのポジショニングなども改めて感じました。
第3章 ラグジュアリーコレクションの始まり
塩川:いよいよ本題ですが、ウェスティンホテル仙台を経てこの翠嵐 ラグジュアリーコレクションホテル 京都(以下、翠嵐)に着任された経緯を伺いたいと思います。
河本:マリオットのトップブランドであるラグジュアリーコレクションが日本に初進出すると聞き、是非やってみたいなと。当社オーナーから機会を頂戴したことと、場所がゆかりのある京都だったこともあり、総支配人に挑戦することにしました。
塩川:着任されてからの4年間を振り返ってみて、いかがですか。これまでの河本さんのキャリアが総動員されているのではないかと思っているのですが。
河本:日本初のラグジュアリーコレクションブランドですので、当初はチームの全員が「ブランド、ビジョン、コアバリューをどう日本国内に表現すればいいのか?」という状態でした。また、すでに確立されたブランドである京都という土地に外資系ホテルブランドを持ちこむことが、当地の歴史や伝統の発展にどのように貢献できるか、ラグジュアリーコレクションブランドならではの「新しい本物」をどうコミュニティの皆さんと発信していけるかが、フォーカスすべきポイントでした。
塩川:その土地では新参者なので、歴史や伝統への敬意をもって溶け込むための努力をされたと。
河本:嵐山の一等地をお預かりしてホテルビジネスをするにあたっては、「嵐山の一部として、嵐山にどう貢献できるか」を常に念頭に置くことを全ての意思決定のひとつの軸としています。それが、地域とともに発展できるホテル運営だと信じているからです。
塩川:歴史ある嵐山に佇むこの建物は、実業家 川崎正蔵さんゆかりの建物ですね。どのように継承していくか、議論も多々あったのではないでしょうか。
河本:翠嵐のホテルコンセプトに「継往開来」を掲げています。これは、先人が作り、守り続けてきた歴史や伝統、文化などを現代に生きている我々が受け継ぎ、リノベートする。そして、我々が作ったものと融合させて新しいものを作りだす。それをさらに次の世代につなげていくことを表しています。翠嵐のように、建物はそのままに、内装にモダン要素を取り入れた改装でお客さまに提供できたことは、まさにコンセプトを形にできた結果だと考えています。
塩川:お客さまに提供する価値のもうひとつの鍵がホスピタリティだと思うのですが、接客のコンセプトはどう表現されているのですか。
河本:お客さまは、「京都のラグジュアリーコレクション」というブランドに対してどんな期待をお持ちなのか、その期待を良い意味で裏切る要素を常に持っているか、それをどのように発信しお届けできるのかは、常に頭にあります。例えば体験やその他の特別な「翠嵐にしかないもの」をどう言葉で表現してお客様にお伝えできるか。◯◯という体験があるとき、それがone of
themではなく、嵐山の翠嵐にお越しいただけたからこそ体現できる「本物」であることをお伝えする。そのために、どんな言葉で伝えるかはグローバルとドメスティックの両面で大切にしています。名前に「ラグジュアリー」が入っている以上、「本物の体験を提供する」スタンスを大切にし、その上でお客さまとのタッチポイントの一つひとつを「与えられた貴重なひととき」にしながら、適切な言葉で“翠嵐プライド”を提供しようとスタッフに伝えています。
塩川:お客さまへ伝えたいことを言葉にしていく部分は、河本さんのアメリカでの原体験を、同じようにスタッフの皆さんに伝えているのではないかと思います。そして、もうひとつお客さまに体験価値を提供する以上は、自らも「本物」を理解するということを徹底されているのではないでしょうか。実際、スタッフの方から、付け焼き刃ではなく地域の伝統と文化を勉強していると伺う場面がありました。
河本:そうですね。昔から継承されてきた「本物」がある京都という恵まれた環境は、我々にとって変えがたく、ありがたいものです。このロケーションにいられることも、ラグジュアリーコレクションブランドを展開するうえでのひとつの重要なポイントですね。
第4章 「翠 SUI」ブランドがめざす未来
塩川:ここまで「本物」「ラグジュアリー」という言葉が多く出てきましたが、この翠嵐はとても温かい宿ですね。日本と海外どちらのゲストも快適に過ごせるホテルの機能を持ちながら、旅館の良さも持ち合わせた、いわゆる「宿」だという印象があります。
河本:とても嬉しいお言葉です。マリオットのラグジュアリーブランドカテゴリーには、オーセンティック・ラグジュアリーとディスティンクティブ・ラグジュアリーの2つ路線があります。翠嵐は、「独自のブランドラグジュアリーをお届けする」という後者に分類されます。ホスピタリティ業界においてラグジュアリー分野が成長し、そのサービスはTraditional(従前の格式)からExperimental(体験を伴う)へ、そしてTransformative(変革自在な要素を伴う)へと変化しています。お客さまがご自宅に帰られたときに「居心地の良いホテルだった」とおっしゃってくださることがすべての答えだと考えていますし、そのようなホテルでありたいと思っています。
塩川:翠嵐に宿泊させていただく中で、庭園を望みながら頂く朝食や伝統ある意匠に囲まれて頂く夕食の体験が心に残っています。翠嵐の食については、どんなこだわりをお持ちですか。
河本:翠嵐のレストランでは、フランス料理と日本料理のシェフが同じキッチン内で働いています。「継往開来」というコンセプトのもと、二人を中心に料理が出来上がっているのです。ひとつのものに対して、「日本料理ならどうなるか」「フランス料理ならどうなるか」と、互いの引き出しを見せつつ良いものを作ろうと心がけていますから、最終的にテーブルにお届けする料理としてはとても自信のあるものをご提供できています。フランス料理と日本料理が融合する、あるいはぶつかることで生まれるスパークのようなものこそが、翠嵐の料理です。また、翠嵐の食事は、料理そのものだけではなく日本庭園越しに嵐山を望みながら味わっていただく体験も含めて、「完成形」になると思っています。
塩川:建物と嵐山というロケーションに、さらにフレンチと日本料理のシェフが融合した価値を生み出しているわけですね。翠嵐がいかに特別な存在なのかがよく分かります。
河本:良いハードを作ることは多くの方に出来ることですが、ハードのストーリーを理解し、そこにプライドも感じ、その上でどんなソフトを加えていくかを練ることがオペレーターの仕事の醍醐味だと思うのです。
塩川:このロケーションを活かした特別な食事を味わっていただくことが、翠嵐の楽しみ方としてはマストかもしれませんね。そして、今年5年目を迎える翠嵐のほかに、河本さんはいま翠嵐と同じ「翠 SUI」というブランドで、沖縄に「イラフ SUI ラグジュアリーコレクションホテル 沖縄宮古(以下、イラフ)」を立ち上げるミッションもお持ちですね。その展望についてもお聞かせください。
河本:サービスではなくエンゲージメントの向上を目指していきたいと考えています。お客さまの想像より一歩先へ進む、あるいはお約束したものを超えることで、お客さまに心の奥で「翠嵐やイラフに来てよかった」と感じていただきたいのです。最終的には我々がコンセプトとしている「翠
SUI」、つまり混じり気のないものに対して一つひとつ丁寧に彩りを加え、それぞれのお客さまに合った色も付けていきたいと考えています。カスタマイズではなく、無=何もないところにそれぞれのデスティネーションに合わせた彩りを加え、お客さまの感じた色を残していただけるホテルを展開していくということです。
塩川:お客さまの人生のキャンバスに「翠 SUI」を残したいということですね。
河本:「翠
SUI」はまだ立ち上がったばかりのブランドですが、弊社がこれから展開していくラグジュアリーのホテル同士がつながりを持てる状態を実現したいとも思っています。一つひとつのプロパティの彩り、味、見た目、コンセプト、特徴的なデスティネーションなどが、ブランドの中ですべてつなぎ合わせられている状態を「ラグジュアリーデスティネーションネットワーク」と説明して、それを体現できるのが「翠
SUI」ブランドであると定義しています。もうひとつの深い目的としては、その土地に建っているホテルだからこそ出来ること、そこでしか体験できないことをお客さまに提供してまいりたいですし、お客さまにはそれを新たな発見だと感じていただきたいと思っています。
塩川:お客さまに、何かその土地ならではのインスピレーションを与えるきっかけになればということですね。ラグジュアリーという名を持ちながら、決してとっつきにくい場所ではなく、温かいブランドであることがよく分かりました。本日はありがとうございました。
写真:徳山 耕平 / 文:佐藤 里菜
翠嵐 ラグジュアリーコレクションホテル 京都 総支配人(取材当時)
河本 浩
1970年生まれ。1997年渡米。米国の大学で観光業、ホスピタリティ経営学を学びながら、ホテルオペレーションに従事。2003年に帰国後、内外資のホテルで研鑽を積む。ウェスティンホテル仙台、東京マリオットホテルの総支配人を経て、2015年より翠嵐ラグジュアリーコレクションホテル 京都の総支配人を務める(2019年2月28日時点)。