Relux Journal

Relux人気宿ランキング「Relux OF THE YEAR 2016」の九州エリアで1位に輝いた「草屋根の宿 龍のひげ/別邸 ゆむた」。その人気の秘訣を語っていただきました。

ゲスト

草屋根の宿 龍のひげ/別邸 ゆむた 社長 日野 信介

草屋根の宿 龍のひげ/別邸 ゆむた 社長

日野 信介

昭和34年生まれ。21歳で結婚し、妻の実家である別府の旅館で働き始める。32歳で地元・湯布院に戻り林業へ転身し、そこで伐採した木材を使って「山荘 ゆむたの森」をオープン。その後、改築を進めて2012年に「草屋根の宿 龍のひげ」、2014年に「別邸 ゆむた」を完成。

インタビュアー

株式会社 Loco Partners 代表取締役副社長 塩川 一樹

株式会社 Loco Partners 代表取締役副社長

塩川 一樹

1979年生まれ、立命館大学経済学部卒。株式会社ジェイティービーを経て、株式会社リクルートへ中途入社。旅行事業部にて、首都圏・伊豆・信州エリア責任者を歴任し約2,000施設以上の担当を歴任。2012年7月より株式会社Loco Partners取締役に就任。

旅館業×林業の経験で生まれた宿

草屋根の宿 龍のひげ/別邸 ゆむた

塩川:まず、日野社長の幼少時代や、これまでの歩みを教えていただきたいと思います。

日野:私は畜産農家の長男で、牛飼いをしていました。幼少時代から活発で、魚を取りに行ったり、春は野いちご、秋は自然薯を掘りに行ったりもしていました。大きな図鑑を買って葉っぱを調べて、あの木は「柏」でこの木は「ゆずりは」で、という風に何種類もある樹木を学びました。この辺りの山の樹はほとんど熟知していますね。

塩川:そこからどのようにして旅館業への挑戦がはじまったのでしょうか?

日野:結婚した相手がたまたま旅館の娘で、彼女の母親が別府の北浜で宴会旅館を経営していたのですが、後継者がいないということで私に白羽の矢が立ったのです。牛飼いはできても、人に頭を下げてありがとうの一言も言えない21歳でしたが、慣れというのは怖いものです。旅館に入って3ヶ月ほど経った頃に社長(義父)が別館の経営を私たちに任せるということで、私と家内でやることになりました。しかし、それまで営業もかけていませんでしたので、お客さまがいないのですね。そして、その半年後くらいに営業活動を始めました。そのときに、お客さまに「宿までの送迎をしてほしい」と言われ、送迎ができないと商売にならないと思い、本館からマイクロバスを拝借してお客さまを呼び込みました。そこで6,7年勤めたあとは、本館の人が足りないということで、本館に勤めるようになりました。

塩川:本館ではどのような経験をされたのですか?

日野:本館はホテル形式で、45室ほどの規模です。家内の弟が社長をやっていまして、今でも立派な運営をしていますけれども、私はそこに7年ほどいました。その後、「夢たまて箱」という湯宿を新築する際に私も携わったのですが、大成功いたしまして今でもすごい数のお客さまが訪れていますね。しかし、私はその頃、旅館業がいやになってしまったのです。

塩川:そこで一旦、旅館業から身を引かれたわけですね?

草屋根の宿 龍のひげ/別邸 ゆむた

日野:はい。当時ちょうどそこに大きな台風が来まして、このあたりの杉山などは全て被害を受けてしまったのですが、周りに林業をする人がいませんでした。そこで、私は木の伐採の師匠について林業をやり始めました。はじめは木の伐採ではなくて苗木の根払いの人手が足りないということでしたが、それよりも木を切りたいという話をしました。私は勘がいいのかすぐに慣れまして、大きな営林署の木がある由布岳や鶴見山の伐採をするなど、それはそれで本当に楽しかったですね。

塩川:まず旅館業を経験され、そこから林業に転換されたのですね。その後、旅館業に戻ったきっかけはどのようなものだったのでしょうか?

日野:ちょうどその頃に大分自動車道の建設が始まり、伐採の仕事をすることになりました。伐採した木材は市場に出荷したり、自由に使えたりしたので、それで自分の家を建てるつもりだったのですが、せっかくなら民宿にしたらどうかと考えたのです。そして、「山荘
ゆむたの森」という一番目の旅館をつくりました。ほとんど自分で切り出した木を製材所に出して、それを使って大工さんに建てていただきました。私は生まれたときから自然と触れ合ってきましたので、この宿の庭木も自ら植えています。この時期はこの花が咲くだろうということを考えながら、ほとんど自分の好きな木を植えました。

家族の力を結集して、人気の宿へ

塩川:再び旅館業をはじめた時は、どのような状況でしたか?

日野:「山荘 ゆむたの森」は、お子様の受け入れはお断りして、落ち着いた空間にしました。はじめた頃は、口伝えでぱらぱらとお客さまに来ていただいたので、遊び半分で経営していたのですが、福岡にある文榮出版社の編集長がテレビの番組を持っておりまして、「新しく出来た宿をぜひ取材させてくれないか?」とお声をいただいて、取材に来ていただいたのです。

塩川:テレビの取材があったのですね?お客さまからの反響はいかがでしたか。

草屋根の宿 龍のひげ/別邸 ゆむた

日野:その番組は深夜番組なので、お客さまはそこまで増えないだろうと思っていたら、放送の次の日からどんどん電話がかかってくるようになりました。さらに、編集長から、ガイド本に1ページ分掲載していただけるというお話も頂き、それを見てまた次々とお客さまが来られるようになったのです。夫婦でぼちぼちやればいいと思っていたものが、だんだん忙しくなってきたのです。

塩川:そのときの宿のお部屋の数はいかがだったのでしょうか。

日野:お部屋は5部屋のみで、最大18様ほど収容できるという規模です。お風呂が2つしかなく、食事処も八角形のテーブルで、最大で7席しかありません。当時はまだ温泉ではありませんでしたので、隣の土地を買いまして一発勝負で掘ってみたところ、温泉が出たのです。結構な量が出ましたので、露天風呂を作ろうということで、3つの貸切り露天風呂を作りました。これがまた当たってさらにお客さまから好評いただくようになりました。当たるのはいいのですけど、本当に休みもなく働かなくてはいけないのです。

塩川:おやすみが取れないほどお忙しくされていたのですか?

日野:その頃はパートさんを募集してもなかなか来ませんし、掃除は家内ともう1人のパートさんでやっていたのですが、間に合わないのです。経費がかかりますが、メンテナンス会社を入れなければ回っていかない状況だったので、嬉しい悲鳴かもしれませんが、我々にとってはきつかったですね。

塩川:最初は「山荘 ゆむたの森」でぼちぼちとやっていたけれども、メディアに取り上げられたことでブームが到来し、温泉掘削に成功してさらに話題を呼ぶようになったのですね。

草屋根の宿 龍のひげ/別邸 ゆむた

日野:当時はちょうど露天風呂ブームで、テレビや旅行雑誌でもたくさん取り上げられていました。メンテナンス会社も「他の旅館にはお客さんがいないのに、なぜここだけ毎日満室なのか」ということを言っていましたが、それはスタッフが良いということもあります。家内のサービスは本当にすごく良くて、おそらくスタッフはその姿をみて同じようにやってくれているのだと思います。

塩川:お忙しい日々が続いていたと思いますが、そこから「草屋根の宿 龍のひげ」を建てるに至ったきっかけとはどのようなものだったのでしょうか。

草屋根の宿 龍のひげ/別邸 ゆむた

日野:当時、息子が湯布院にある「山荘 無量塔」へ料理の修行をしに行っておりました。そこで相当頑張って調理場の2番手、3番手ぐらいのところまでいったのです。それくらい鍛えていただいて、こちらにはもう帰ってこなくてもいいと思っていたのですよ。しかし、息子は帰ってくると言いました。そうは言っても、「山荘 ゆむたの森ではそんなにお給料も出せませんので、「山荘
ゆむたの森の上に位置する土地で新たな宿泊施設を建てようと考えたのです。金融機関にも恵まれましたし、後継者もいるということで決断しました。

塩川:ご子息様も奥様もやる気があって、導かれるようによい土地も見つかり、少しずつ路線を変えていこうという感じになっていくのですか。

日野:その頃から「離れ」がブームになりました。離れで露天風呂付きが当たり前でしたので、それならばそうしようと思いました。しかし安くは売りたくなかったので、やるのであれば徹底的に料理やおもてなしにこだわることを決めました。そして、これは間違いなくいけるなと思いましたね。

塩川:「草屋根の宿 龍のひげ」は、日野社長のこだわりと奥様のおもてなし、ご子息様の本気の料理と、家族の総力結集で出来上がったのですね。

スタッフもみな家族。独自のスタイルで極める「家族経営」

日野:スタッフを雇用するとき、「うちは家族経営」ですよと伝えます。それを理解してもらった上でうちに来たら、私は、娘や息子のように彼らに接するというわけです。こちらも本気ですから、それくらいの仲にならなければみんながよくしていこうという気にはなりません。

塩川:原点はご家族であり、一緒に働く方も新たな家族として迎えて、本気でお客さまにおもてなしをしていこうというお考えなのですね。

日野:Reluxのお客さまからも高い評価を頂いていますけれども、他のオンライン宿泊予約サイトでも全国1位になったことがあり、スタッフのみんなには「なんてすごいんだ。ありがとう。本当にありがとう。」と言いましたね。嬉しいときにはみんなで一緒に祝います。

草屋根の宿 龍のひげ/別邸 ゆむた

塩川:離れが完成されたのが2012年の6月。そして、その2年後に5室の「別邸 ゆむた」が完成。次々と順調に進んでいきますね。

日野:無垢の木ばかりを使ってつくった「山荘 ゆむたの森」を壊すのが忍びなかったのですけれども、「草屋根の宿 龍のひげ」の利用者からの評価がよくても、「山荘 ゆむたの森」の評価が悪いと、同じところに口コミが集まるので、どうしても全体的な評価が下がるのですね。それで、思い切って「山荘 ゆむたの森」を壊しました。

塩川:先ほどインターネットについてのお話が出ましたが、どのように集客をしてきたのでしょうか?

日野:私はアナログ人間だったのですが、後輩から電話が1本ありまして、「これからネット社会が来るけれども、あなたはできないでしょう」と言われたのです。そこで、その後輩から紹介されたのが川嶋氏(株式会社 旅月
代表取締役)だったのです。それから彼と二人三脚で歩んできました。そうして、オンライン宿泊予約サイトの審査が通り、掲載いただけることになりました。販売のプロである川嶋の他に、経理のプロである緒方がいます。本当にその道のプロが、みんなよく集まってきたと思いますね。

塩川:家族やスタッフだけではなく、販売や経理など「草屋根の宿 龍のひげ/別邸 ゆむた」に関わるみなさんの力が結集されているのですね。みなさんを取りまとめて経営をしていくなかで、大切にしていることはありますか?

草屋根の宿 龍のひげ/別邸 ゆむた

日野:「草屋根の宿 龍のひげ/別邸
ゆむた」を始めて3、4年目のころに、月に5日間は宿ごとお休みさせていただく休館日を設けました。その中で連休を取り、従業員にはさらに1日追加のお休みを与えています。それを決めるのにも勇気が必要でしたが、税理士や銀行と話をして一度やってみようということになりました。それで年間3,000万円くらい売上が変わるのですが、従業員が楽しく過ごせるのであればそれがよいと思います。私も家内も休むことができますし。

塩川:休みを取るということは、旅館やホテルの一番のジレンマだと思います。それを決意した背景も踏まえて、人に対する思いをお聞かせいただけますでしょうか?

日野:働く人に休みは絶対に必要でしょう。1週間に1回は必ず休まなければいけないと思っています。ただ、そうするとシフト制ではまかないきれないのです。シフト制だと、忙しい時になぜ休むのだと経営者は言い出します。それは絶対に良くないと思いました。また、「うちには休館日がある」とアピールしておくと、求職者も応募しやすいので安定した雇用ができます。他にも、スタッフにはクリスマスプレゼントやお年玉を渡したり、誕生日にケーキや花束を渡したりもします。

塩川:お客さまも大事だけれども、その前にスタッフは家族で、休みも必要だしイベントはお祝いをしてあげたい、当たり前の家族像を具現化していらっしゃるのですね。

日野:家族みたいなものですね。ふつうの会社とは違うと思います。部署によって働きやすさを考えたり、無理をしないよう工夫したりしています。

新鮮な気持ちで、変化を楽しめる宿へ

塩川:日野社長は今後の展望をどのようにお考えでしょうか。

草屋根の宿 龍のひげ/別邸 ゆむた

日野:改装については、離れは「こごみ」からはじまって「くぬぎ」も終わりましたので、今年は「わらび」「つくし」をやろうと思っています。こうやって少しずつ変えていくことで、お客さまには変化を楽しんでいただけます。スタンスは変えずに、この調子でお客さまに楽しいと感じていただけるようにしたいと考えています。規模を大きくしなくてもできる範囲でやっていきたいですね。

塩川:お客さまが楽しまれる、来て喜んでいただけることを積み重ねていかれるということですね。

日野:昨年、オンライン宿泊予約サイトで頂いた口コミはすべていいのですが、飽きられるのが一番怖いなと思います。料理は1ヶ月ごとに変えられますが、施設や設備の変更にはお金がかかります。しかし、ここが悪くなったということがあったらすぐに変えます。

塩川:「草屋根の宿 龍のひげ/別邸 ゆむた」は、サービスの面でも高く評価されていますが、どのようなサービスを心がけているのでしょうか?

日野:例えば、「ここが暗いからスタンドライトが欲しい」や、「コンタクトの洗浄液が欲しい」「煙草が欲しい」など、お客さまからの様々な要望にはNoとは言わず、すべてお客さま本位でご用意をしています。料理でもそうですが、ネギがダメと言われたらすべて変えますし、生魚がだめなら焼魚に変更します。常にお客さま本位であることは昔から変わりません。とても嬉しいことに、ここ1,2年でリピーターさんが増えました。そうすると、リピーターさんはだんだんとわがままを言うようになるのですね。それを聞くのもいいなと思います。何度訪れていただいても、きちんとお客さまであるという部分には線を引いて、馴れ馴れしくはしません。いつも新鮮な気持ちで滞在を楽しんでいただきたいと考えています。

塩川:最後に、湯布院という場所に対する日野社長の思いをお聞かせください。

日野:うちに宿泊をしなくても、湯布院に来るすべてのお客さまに対して、ありがたいと思っています。国籍や出身地は関係なく、みんなで楽しさを分かち合っていきたいですね。特急
ゆふいんの森号(九州旅客鉄道)が駅についたときは、駅前のメイン通りが歩行者天国状態になるのですが、湯布院の町の人たちには、お客様をよけながら絶対に事故を起こさないように、クラクションは鳴らさないように、ということを言っています。湯布院の駅前はみんな友だちなのですね。それが旅館のスタッフだけではなく、例えばガソリンスタンドのスタッフであっても、湯布院の町でつながるわけです。そうした現地のつながりが、訪れてくれるお客さまの心に残るおもてなしになるのだと思いますね。湯布院に来るお客さまには、「湯布院はいい所だった、よかった」と思って帰っていただきたいです。

塩川:町に来るお客さまのことも考えて、湯布院の町全体を愛して皆さんとコミュニケーションとられているのですね。日野社長の温かな思いが「草屋根の宿 龍のひげ/別邸 ゆむた」、ひいては湯布院が人気の温泉地である答えのような気がします。本日は貴重なお話をありがとうございました。

草屋根の宿 龍のひげ/別邸 ゆむた

写真:中島 舞 / 文:宮本 とも子

 

 

 

 

草屋根の宿 龍のひげ/別邸 ゆむた 社長 日野 信介

草屋根の宿 龍のひげ/別邸 ゆむた 社長

日野 信介

昭和34年生まれ。21歳で結婚し、妻の実家である別府の旅館で働き始める。32歳で地元・湯布院に戻り林業へ転身し、そこで伐採した木材を使って「山荘 ゆむたの森」をオープン。その後、改築を進めて2012年に「草屋根の宿 龍のひげ」、2014年に「別邸 ゆむた」を完成。

草屋根の宿 龍のひげ/別邸 ゆむた

草屋根の宿 龍のひげ/別邸 ゆむた

大分県 > 湯布院

湯布院の森の中に隠れ家のように佇む「草屋根の宿 龍のひげ/別邸 ゆむた」。それぞれ趣の異なる10室の離れは、くつろぎの時を演出します。粋をつくした料理や、心あたたまるサービスで、訪れる多くの人から愛される宿です。