Relux Journal

福島の心と身体のリゾートへ。「好きなことを続けていく」という強い思いを持った、おとぎの宿 米屋・有馬氏に、幼い頃から見ていた「米屋」の姿とこれからの宿作りについてお話いただきました。

ゲスト

米屋企業株式会社 常務取締役 有馬 広隼

米屋企業株式会社 常務取締役

有馬 広隼

1991年福島県生まれ。大学では経営学を専攻し、卒業後、都内東証一部上場企業にて不動産営業の経験を経て、2017年家業である米屋企業株式会社に入社。2019年に常務取締役に就任し、現在に至る。家業後継、アップデートに向け、宿の運営に尽力する日々を送っている。

インタビュアー

株式会社 Loco Partners 営業部 部長 新村 崇

株式会社 Loco Partners 営業部 部長

新村 崇

大学卒業後、組織人事コンサルティング会社に入社。様々なクライアント企業の人事・組織開発プロジェクトに従事。2013年に株式会社Loco Partnersに入社し、Reluxのサービス立ち上げに参画。日本全国の宿泊施設様への営業活動等に従事し現職に至る。

第1章 苦労してたどり着いた”おとぎばなし”のコンセプト

新村:最初に、旅館を開業された背景をお伺いできますか。

有馬:元々はこの地でお米屋さんを営んでいました。私が3代目となります。先代は色々なものに興味を持ち、幅広く手がける破天荒な人だったそうで、お米屋さん以外に、ボウリング場などのレジャー施設やスーパーなどを手がけていたそうです。当時、この稲田地区が少子高齢化によって過疎化しはじめていたようで、「この場所をなくしたくない。守っていきたい」という思いから人を呼び戻すために、首都圏から企業を誘致し、所有している土地を分譲して住宅用地に変え、地域に賑わいを取り戻しました。そして、先代は元々何もなかったここの丘で温泉を掘り当てました。うそみたいな話ですが、「この場所を掘りなさい」と先代の夢の中でお告げがあったそうです。

新村:それまたおとぎばなしですね。

有馬:そうなんです。それで掘ってみたら本当に温泉が出てきたので、先代の「サービス業の頂点は旅館業」という思いが叶って、この地で旅館をオープンしました。

おとぎの宿 米屋

新村:先代はこの場所で生まれ育って、この場所に思い入れがあったんですね。それを受け継いだのが今の社長ですね。

有馬:はい。ただ、それまで培ってきた事業をすべて整理して、「米屋」一つにしたのは現社長なんです。更なる地域への貢献と、お客さまに愛され、スタッフが誇りを持てる理想の宿づくりを目指していこう、と決めたそうです。

新村:展開していた事業を止めるという決断は難しかったと思います。旅館一本に絞り込むことに葛藤もあったのでしょうか。

有馬:おそらくあったと思います。ですが、先代が築いてきた想いを受け継ぎつつも、自分たちのやり方でこれからの米屋を作り上げていこう、私たちの思いをお客さまに伝えていこう、というのが一番だったと思いますね。

新村:宿をオープンされた時から、コンセプトはおとぎばなしだったのですか。

有馬:そうではありませんでした。私も小さい時だったのですが、覚えているのは団体客と日帰りのお客さまばかりだったということです。基本的には団体と日帰りのお客さんで回している大衆旅館のような感じでしたね。

新村:当時は団体旅行が主流だった時ですよね。これが1992年にスタートされて、そこから少しずつ宿が変化していくんですね。

有馬:2001年に「うつくしま未来博」という博覧会が開催されました。それをきっかけに、別館を団体客から個人客向けへシフトチェンジすることに決め、当時はまだ珍しかった和室ベットに露天風呂付きの客室に改装しました。別館を先陣に本館、食事処とリニューアルを重ね、2007年には完全個人客対応の宿へと生まれ変わりました。業態転換が、サービス業の頂点である旅館業への第一歩だったのだと思います。

新村:その中で、おとぎばなしのコンセプトが生まれた背景を教えていただけますか。

有馬:私たちを寝かしつける時に、女将からおとぎばなしを読み聞かせてもらっていたところからきています。おとぎばなしは昔、高貴な人が退屈しないためにあったお話だったそうなんです。現代は、退屈を感じることがないほど忙しい毎日を送っていると思うので、退屈な時間を贅沢に過ごしてほしい、という思いと、誰もが子供の頃になれ親しんだものである、というところからコンセプトをおとぎばなしと決め、個人向けにして、と方向転換していったそうです。おとぎばなしのコンセプトの代名詞となったのは食事です。普通の会席料理では話が弾まず、いつも通りの食卓になってしまう、というところから、おとぎばなしを料理で楽しめたら会話が生まれる素敵な食卓となるのでは、と夕食の光景を思い浮かべて作ったのがおとぎ会席です。

新村:料理とおとぎばなしを組み合わせるのは難しそうですよね。料理長にもスムーズに受け入れていただけたのでしょうか。

おとぎの宿 米屋

有馬:今の総料理長が女将と一緒に生み出したのですが、一つ一つ細かく、物語やテーマに沿ってその世界観を再現していく必要があるので、すごく苦労したと言っていました。今でもそうですが、私たちも試行錯誤しながら一緒に考えています。ただ、その反面やっていて面白いんですよね。魔女のイメージを表現するために、黒いスープにすれば不気味な様子になるのではないか、と考えたりするのは面白いです。

新村:お料理作りを起点にして、おとぎの宿の構想が深まっていったのですね。おとぎの宿に名前も変えられたのは2000年ですか。

有馬:そうです。2000年に「おとぎ話の宿 米屋」として営業を始め、2003年に現在の「おとぎの宿 米屋」に名称を変更しました。段階的にリニューアルを重ね、コンセプトのクオリティを高めていきました。

第2章 「いいね」と愛される宿を継ぐ

新村:広隼さんは小さい頃からご両親の姿を見てこられたと思います。実際に宿の経営に携わるまでの道のりをお伺いできますか。

有馬:長男として生まれた時から米屋を継ぐことは決まっていたので、それに向けて過ごしていたのだとは思います。小さい頃は温泉に入れてラッキーくらいにしか思っていませんでしたが、当時の常連のお客さまに「ここを継ぐんでしょ」「ここの坊ちゃんだね」とか言われていましたね。後継者であることを意識し出したのは、高校生くらいの頃です。高校の時に、強豪校で野球をやっていたのですが、父親に「ここを継ぐためにメンタルを鍛えるから野球をする」と言ってたそうです。社長は未だにそのことを話しています。

新村:嬉しかったんでしょうね。小さい頃から旅館がそばにあり、将来を考える時期には継ぐための準備をされていたのでしょうね。

有馬:反発はありました。中学生くらいの時は美容師になりたい、とか、洋服関係の仕事をしたいとか色々思っていましたが、今では全部ここでかなうと気付きました。

おとぎの宿 米屋

新村:将来が決まっていることに対して、周りからの目が気になることはありましたか。

有馬:特に周りの目が気になることなく、宿があることを誇らしく思っていたと思います。両親は忙しく学校の行事にもなかなか来られなかったので、寂しく感じたこともありましたが、家業が旅館であることに、誇らしさがありました。

新村:大変さがあった中で、誇りを持てたのはどうしてなのでしょうか。

有馬:地元の方々から「米屋さんすごいね」「温泉いいね」とか言っていただけていたからではないでしょうか。それを聞いて「うちの宿ってすごいんだ」と子供ながらに思い始めてからですかね。

新村:地元の方から認められるのは誇らしいことですよね。

有馬:誇らしかったですね。その時に、うちの親ってすごいんだとは思わなかったですけど、今になってすごかったんだな、ちゃんとやってたんだ、というのは感じますね。

新村:高校卒業後はどうされたのですか。

有馬:東京の大学で、経営に関する勉強をするために商学部に入りました。アルバイトでは接客もしていたので、今にもつながっていると思いたいですね。その後は一度東京で就職し、営業をしていました。半年たったある時、父親から「戻ってこい」と電話がかかってきました。30歳くらいまでは戻らずに、色々なことをして学んでおきたいと思っていたので悩みましたが、戻ってこいって言われたので戻りました。5年前です。

新村:戻られてすぐ気持ちは入りましたか。

有馬:最初の1年くらいは、こんなの簡単じゃんって本当に舐めていました。掃除をしたり、接客をしたり、体力勝負なので余裕だと思っていたんですが、いざ中に入り込むと接客の難しさ、人を動かす難しさがありました。戻ってきてから、今が一番宿経営の難しさを実感しています。

新村:宿の経営に様々なハードルを感じならが歩んでいらっしゃるんですね。

第3章 本当にいいものを届け続ける

新村:米屋さんをこれからも継承していくにあたって、大事にしていきたいのはどんな部分でしょうか。

有馬:本当にいいものを伝えていきたい、という軸は変えたくないです。例えば、オーガニックは今後も続けていきたいと思っています。環境への配慮など、お客さまご自身でいいものを摂り入れる大切さを感じ、知るきっかけの場でありたいし、お客さまの身体にも心にもストレスを与えないものをずっと続けていきたいという思いです。一方で、時間に縛られてしまう旅館感が抜けきれていないので、そこは改善して、アップデートしていきたいです。

新村:軸としてオーガニックというワードが出てきましたが、詳しくお聞かせいただけますか。

有馬:はい、オーガニックの始まりは2011年の東日本大震災による放射能の影響について考えたのがきっかけでした。放射性物質は検査しているが、農薬が人体に及ぼす危険性はどうなのだろうと学び、調べていく中で、オーガニックや自然栽培にたどり着きました。そしてBIO HOTEL認証とめぐり会い、取得に向け舵を切りました。BIO HOTELはヨーロッパ中心に行われている、環境や宿泊されるお客さま、そして従業員の健康までに意識を向けるホテルのことです。口に入れるもの、肌に触れるもの、全てを見直し、食材、調味料、飲料、アメニティのコスメなどを身体や環境に優しいものに切り替えていきました。

おとぎの宿 米屋

新村:難しい取り組みだったのではないでしょうか。

有馬:はい。認証取得の為に90近くある審査項目をクリアする必要があり、1年間で約2,000品目を変えました。当時のBIO HOTELへの挑戦がなければ今の米屋はないと思っています。

新村:おとぎばなしのコンセプトにさらにオーガニックを追加されたのですね。

有馬:はい、おとぎ会席にオーガニックが加わったのでさらに料理人泣かせになりました。米屋のオープン当初から勤めてくれている料理人は、3回くらい転職したように会社が変わっている、と言っていますね。変化を続けてきた社長と女将はすごいと思います。自分にはできるのかなと、不安になる部分もありますが、超えたいという気持ちもあります。

新村:お客さまにいいものを体験してもらうために、やる必要のあることを続けてこられたのですね。

第4章 あると安心できる、大人のリゾートへ

新村:今後はどういったお客さまに、どんな体験をしていただきたいですか。

有馬:ここで働くようになってから、様々なお客さまに出会いました。世界中を歩き回っている方とか、普段は仕事ばかりしている方とか、年間9割くらい旅行されている方とか。ただ、うちに来てくださるリピーターの方ってすごく米屋を愛してくださっています。そういった方々に支えられて営業を続けられているので、この場所でしか味わえない豊かさとか、何もしない贅沢な時間を、感じながら過ごしてほしいと思っています。

新村:お客さまは米屋のどういう部分を好きになってしまうのでしょうか。

有馬:やはり温泉のファンになってくださる方が一番多いです。あとは、食事と人ですね。こっちの方を通ったからちょっと寄ってみた、というお客さまもいらっしゃったりします。嬉しいですね。

新村:お客さまとの間に、人と人との絆が生まれているんでしょうね。

有馬:そうですね。結局、ここでゆっくりとした時間の流れを楽しみ、自分の体が整うような気分になってもらえるのが一番理想なのかもしれないです。

おとぎの宿 米屋 おとぎの宿 米屋

新村:お話を聞いていると、有馬さんご家族がこの地で、いいと思う生き方を続けていらっしゃる部分が宿作りに生かされていて、宿作りを楽しんでいるように感じました。

有馬:米屋に関わるすべての人、お客さまやスタッフ、取引業者さまが最良のものを選択するきっかけとなりたいです。そして、その思いが伝わったらいいな、共感してもらえたらいいな、というところだと思います。米屋にお越しいただいた方にしか味わえないものがあると思うので、米屋で過ごすことで日頃のストレスが浄化されて、デトックスされるのが一番贅沢で、理想的です。

新村:米屋さんのみなさんが体現されている空間を見て、お客さんも「この世界いいな。私も仲間にいれてほしいな」と感じるのではないでしょうか。館内の空間とかデザインもこの地にあった素敵なものですね。

有馬:社長と女将がインテリア好きということもあり、お部屋のイメージとあわせつつ、実際に座ってみて座り心地の良い椅子だけをそろえています。あとは、居心地の良い空間、空気感を過ごしていただけるよう、木や石など自然由来の素材を使った家具や古材も利用しています。

新村:環境への配慮や、地域との共生も重要なテーマかと思いますが、意識しているところはありますか。

有馬:ヒートポンプとV2Xシステムを利用しています。温泉熱を使って館内の空調やシャワーの温度を調整しています。また、太陽光パネルを用いて日頃使っている電気に変えたり、災害に備えての蓄電や電気自動車の充電と、その電気自動車からの放電もできたりします。これも東日本大震災があって始まったことです。米屋なら温泉もあるし、太陽光を使えば電気だってあるし、なんでもあるから、万が一に何かあった時にお客さまや地元の人たちも安心して過ごすことができて、人々を守れる避難所のような場所になれたらいいなという思いがありますね。

新村:通常宿作りでは、いかにお客さまに来ていただくかと考えますが、それだけではなく地元の方々に避難所として使ってもらえるようにという思いもあるのですね。

有馬:米屋がなくなったら困る、と地元の方に思ってもらいたいです。米屋ならすべて揃えられるし、食材だってある。米屋があるから安心して過ごせるというような存在になっていけたらいいなと思いますね。

新村:最後に、今後米屋がどんな風に変化されていきたいのか教えていただけますか。

有馬:ここを旅館ではなく、リゾートのようにしていきたいと考えています。心と体のリゾートとして、身も心も整えられるような場所にしていきたいです。温泉と料理とお部屋と人と。すべて揃っていて、日々成長していけるテーマパークのような、ちょっとした大人のリゾートですね。ここは何もない場所なので、自分たちで作って、米屋を福島の定番にしていきたいです。「福島に旅行に行こう。米屋しかないね。」とか「ちょっと疲れたね、米屋行こうか。」という存在になりたいです。

新村:すごく素敵ですね。具体的なものもあるかと思いますが、考え方が伝わってきました。

有馬:先代や現社長から引き継ぐ思いはそのままに、自分が思う理想の宿づくり、場所づくりを続けていきたいです。

新村:おとぎの宿 米屋というと、”おとぎの宿”が一番印象としてあったのですが、ここ最近でも、今後に向けてもアップデートし続けているのだと感じました。ありがとうございました。

おとぎの宿 米屋

写真:秋澤 初帆 / 文:伊藤 里紗

米屋企業株式会社 常務取締役 有馬 広隼

米屋企業株式会社 常務取締役

有馬 広隼

1991年福島県生まれ。大学では経営学を専攻し、卒業後、都内東証一部上場企業にて不動産営業の経験を経て、2017年家業である米屋企業株式会社に入社。2019年に常務取締役に就任し、現在に至る。家業後継、アップデートに向け、宿の運営に尽力する日々を送っている。

おとぎの宿 米屋

おとぎの宿 米屋

福島県 > 郡山・磐梯熱海・須賀川

目にも楽しいおとぎ会席に、肌にまとわりつく源泉掛け流しの湯。田んぼの真ん中にこっそり隠れるように、「大人のおとぎの世界」が広がる一軒宿。