淡路島の魅力を磨きあげるホテルを展開する「ホテルニューアワジ」グループ。ブランドを作り上げてきた社長 木下氏に、グループ拡大に込めた思いを伺いました。
ゲスト
株式会社ホテルニューアワジ/代表取締役社長
木下 学
京都産業大学を卒業後、株式会社ロイヤルホテルに就職。その後1998年に株式会社ホテルニューアワジに入社し、2006年に専務取締役、2015年に代表取締役に就任。現在は、株式会社HNA神戸代表取締役社長を兼務している。
インタビュアー
株式会社 Loco Partners 代表取締役(当時)
篠塚 孝哉
1984年生まれ。07年株式会社リクルート入社、11年9月に株式会社Loco Partnersを設立し、代表取締役に就任。2013年3月にReluxをオープン。趣味は旅行、ワイン、ランニング、読書など。
家業を離れて送った、ホテルマンライフ
篠塚:まず、木下社長の生い立ちから伺いたいと思います。
木下:私は、昭和43年に旅館を家業とする家に生まれました。昭和28年に、創業者である祖父が民宿をスタートしたのがその旅館のはじまりです。祖父は創業の7年ほど後に、都会の方に来ていただけるようないい場所を淡路島にということで、「ホテルニューアワジ」を建てました。私が生まれたときに会社を法人化しまして、昭和50年に、他の施設を買収するという1つの転機を迎えました。道路の向かいにある別館ですとか、本館を増改築することになり、「ホテルニューアワジ」は地域でトップの数字を上げるようになってきたのです。そんな家に生まれたので、旅館業というものが生活の一部になっていましたね。
篠塚:小さい頃から、宿業というものに馴染みがあったのですね。将来ご実家を継ぐということは、考えていらっしゃいましたか?
木下:それはありませんでしたね。学生時代は野球に打ち込んで甲子園に出場したり、体育会でゴルフをしたりしていました。就職活動では、3社だけ受けました。そのうちの1社、リーガロイヤルホテルの活気に魅力を感じて入社を決め、丸7年くらい勤めました。
篠塚:リーガロイヤルホテルではどういったお仕事をされていたのですか?
木下:1年目に12ヶ月間、ジョブローテーションでいろいろな研修を受けました。最初は宴会、次にメインダイニングへ行って、コーヒーハウス、ベルボーイ、ハウスキーピングなど、各部署で働いたということは、今のように社長という立場になるにあたって非常によい経験だったと思います。そして研修が終わってから、1番しんどいといわれたコーヒーハウス「コルベーユ」に配属されました。メインダイニングがあったり、30階のフランス料理レストランがあったりという中で、コーヒーハウスは花形ではないわけですよ。しかしながら、振り返ってみれば、それは非常に有意義な経験でした。そこで3年間お世話になって、現場キャプテンまで務めさせていただきました。
篠塚:コーヒーハウスに3年間勤められた後、残りの期間は何をなさっていましたか?
木下:リーガロイヤルホテルで働いた7年間のうちの最後の3年間は、営業をさせていただきました。地場の企業や旅行会社を回らせていただきました。その後、平成10年に淡路島に戻りました。
買収によって成長する「ホテルニューアワジ」
篠塚:淡路島へ戻られたのは、何かきっかけがあったのでしょうか?
木下:戻るタイミングは、自分で判断をしました。平成10年の4月に明石海峡大橋が開通したのですね。淡路島が大きく変わると思ったときに、地元へ帰って「ホテルニューアワジ」で仕事をしてみたいという気になったのです。そして、橋がかかる直前にリーガロイヤルホテルを円満退職させていただき、淡路島に戻りました。
篠塚:そのときの「ホテルニューアワジ」の規模は、どのくらいだったのでしょうか。
木下:そのときはまだ「ホテルニューアワジ」の1軒のみでした。私は平成10年の1月1日に「ホテルニューアワジ」に入社をして、営業全体を担当しました。営業といってもセールスではなくて、フロント業務や予約など全般を一社員として行っていましたね。入社から2ヶ月ほど経った2月末くらいに、「ホテルプラザ淡路島」買収の調印に立ち会ったのです。それが最初の大きな仕事でした。そうして3月頭から採用活動に入ることになりました。
篠塚:それが今に至るグループ展開の第一歩となったのですね。
木下:当時の社長が、明石海峡大橋の開通に合わせて5月1日に「ホテルニューアワジプラザ淡路島」をオープンさせることを決めたため、2ヶ月で社員を集めなければなりませんでした。その5〜6年後の平成16年に、今度は2軒目となる「四州園」を買収して「淡路夢泉景」をオープンしました。この買収をきっかけに1〜2年に1回のペースでグループ施設が増えていきました。「プラザ淡路島」、「四州園」に続き、「夢海游
淡路島」や四国こんぴら温泉郷の「琴平花壇」、ヨットハーバーの「サントピアマリーナ」とそのマリーナに位置する「海のホテル 島花」、現在は「渚の荘花季」になっている四州園の別館「なぎさ」、神戸六甲アイランドの「神戸ベイシェラトン ホテル&タワーズ」、淡路島西海岸・慶野松原の「あわじ浜離宮」を次々と買収し、再建してきました。
地域のムーブメント、その中心へ。
篠塚:木下社長はどのような思いで宿泊業をされていますか?「ホテルニューアワジ」で、何を大切に経営されていらっしゃるのでしょうか。
木下:「ホテルニューアワジ」のグループ施設というのは、金太郎飴のように同じものはほとんどなく、それぞれが特徴的です。淡路でいえば、淡路島の観光というブランドデザインを描く中で、こんなホテルがあったら嬉しい、こんな食があればいいというイメージを膨らませた上で、それぞれの土地の特性に落としこむのです。たとえば、「ホテルニューアワジ」の隣にあった「四州園」を買収した際には、「ホテルニューアワジ」はグランドホテルなので、「四州園」は個人向けのちょっとラグジュアリーな和の専門店にしようというイメージをもって改装し、「淡路夢泉景」をスタートさせました。地域全体のことを考える中で、どういうものがあればいいのかを考えるのですね。
篠塚:地域にフィットするものをつくっていくということですね。
木下:そうですね。地域にフィットするというのはとても大切です。ある場所に置く花、家具の選択をするのも、「地域にフィットしているかどうか」を考えるということです。その「場所」や「建物」が答えを示してくれるのです。また、お客様にフィットするおもてなしをしていくことも大切です。1軒目に買収した「プラザ淡路島」をオープンして3〜4年目の出来事が記憶に残っています。経営が苦しかった当時、屋外の芝生で夕日を見ながらのパーティーだとか、宴会場のお客様の目の前で料理をカービングサービスしたりだとか、それぞれのお客様に合ったオリジナルのおもてなしを始めたのです。価値を創造するということですね。宴会の翌日、お客様に「昨日はありがとう」と言っていただいた社員は涙ぐんでいました。自ら企画し提供するという機会をいただき、応援してくださるお客様がいらっしゃるということを実感した出来事でした。
篠塚:自ら機会を創造することで自分自身も、会社自体も成長していくというお話ですね。そうすることで、「ホテルニューアワジ」として地域の活性化に貢献されているのではないでしょうか。
木下:サラリーマン生活をしていたときには、地域のことは全く分かりませんでした。ただ、南淡路では、我々のような大手のホテルや公営宿泊施設、民宿はそれぞれ仲がよく、休暇村は広報を、民宿の主人はイベントの料理をというように、それぞれができることをして、地域に貢献しようとしていたのは確かでした。
篠塚:淡路島観光のムーブメントを作っていく中心地にいらっしゃったわけですね。
木下:そうですね。春は桜鯛、夏は鱧、冬はトラフグという南淡路の食の歳時記は、私たちが平成10年頃につくり上げたのです。当時、淡路では年中鯛が食べられていたのですが、それではということで、春夏秋冬の食の歳時記をはじめました。淡路島牛丼などのご当地グルメや、海ほたるツアーも、私達自身の手で協力しながら始めたのです。地域全体がよくなれば、最終的には自分たちのホテルも成長していくということですね。
「ホテルニューアワジグループ」が描く未来
篠塚:淡路島を盛り上げていくことによって島全体が潤い、その結果自社も潤う。そういう循環を作り出すために、いろいろな企画を行ってこられたのですね。
木下:はい。それは自社にとっても絶対にプラスだし、ローカルな魅力を磨き上げて、それを日本全国に、そして世界に向けて発信していくということが、地方にとってもプラスであることは間違いないと思っています。それぞれの地域には地域の持つ特性、いいものがあるので、それをしっかりと磨いて、全国津々浦々に海外の方にお越しいただける流れをつくりたいですね。ホテルというのは、この150年の間に全国に設立されたものです。これが外国人に向けた第一次的な動きだとすれば、今度は地域の魅力を世界レベルまで引き上げるようなことをして、各地を元気にしなければいけません。私たちはまずそれを淡路島、神戸で行なってきました。
篠塚:淡路島を盛り上げながら、そのモデルを別のエリアでもチャレンジされていくということですね。グループを展開される中で、人材育成についてはどのようにお考えですか?
木下:この5〜6年で新卒採用は安定的にできるようになりました。しかしこれからは、しっかりとキャリアを積んでもらいたいと考えています。こうしてグループが増えてきますと、社長や女将がすべてに目を行き届かせることは困難になりますから、それぞれの宿泊施設に現場を導いていくリーダーが必要です。しかし皆がバラバラなことをしていてはいけないのですね。社員たちはお客様の笑顔を見ながら仕事をしたいとイメージして入社してきます。心が躍る、高ぶる、痺れるような経験をさせながら、それぞれのホテルを任せられるような人材を育てていきたいですね。15年、20年後くらいの未来にやりがいを感じられるような、そんな社員を育てていけたらおもしろいと思います。
篠塚:宿を買収し再生させていくことが多かったということですが、どのホテルもきちんと回復を果たし、お客様からも支持されているというのは、全国的にも類を見ないと思います。なぜそれを成功させることができたのでしょうか?
木下:グループ内の宿泊施設はそれぞれ客層が違うので、どのような対応をしているのかというご質問をよくいただきます。基本は、そこで中心になる社員と協議をすることですね。若い社員でも、「それは、天原でやったらいけないでしょう」など、しっかり意見を言うようになってきています。あとは、何年後に黒字という経営的な計画は厳しく考えています。また、ホテルで1番よくないのは部署間の壁ですね。それをなくすために部署を超えての理解をする、手伝う制度の確立を推進しました。
篠塚:「ホテルニューアワジ」は、Reluxでもトップクラスの人気施設です。その一貫したコンセプトの中で、お客様には、「ホテルニューアワジ」をどのような場面でご利用いただきたいとお考えですか?
木下:それは誰と来るか、何を目的にいらっしゃるかによっていろいろと提案できますね。「上質」という共通事項のもとに、カップル、女性3人、その先に、今度お父さんを連れてホテルニューアワジに泊まりたいよね、おばあちゃんもここなら絶対喜ぶわ、そんな連鎖によってグループ内のリピーターをつくっていくというのが1つの目標でもあります。そして、それぞれの施設で「それだったら『天原』をおすすめします」ですとか、「それなら、ぜひこちらのホテルに行ってみてください」と、グループ内で協力し合えたらと思います。全グループで共通してスタッフに伝えているのは、「お客様にとにかく喜んでいただきなさい」ということです。閑散期対策はしなくていいので、閑散期でも喜んで来ていただけるリピーターをつくりたいということですね。
篠塚:お客様に喜んでいただくこと、感動していただくことは宿泊業の本質ですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。
写真:ayami / 文:宮本 とも子
株式会社ホテルニューアワジ/代表取締役社長
木下 学
京都産業大学経営学部を卒業後、株式会社ロイヤルホテルに就職。その後1998年に株式会社ホテルニューアワジに入社し、2006年に専務取締役、2015年に代表取締役に就任。現在は、神戸ベイシェラトン ホテル&タワーズを運営する株式会社HNA神戸代表取締役社長を兼務している。