2016.05.23
目次
第10回 宿という枠組みを超えて。地域とともに前進する老舗「草津温泉 奈良屋」
株式会社ニューコーポレーション・株式会社奈良屋 代表取締役社長 小林 恵生
宿という枠を超えて、地域の発展や長寿企業になることを実現させるーー。草津温泉 奈良屋の専務取締役 小林氏が、草津の“今”を伝える老舗旅館の役割を語ります。
ゲスト
株式会社ニューコーポレーション・株式会社奈良屋 代表取締役社長
小林 恵生
1975年、静岡県生まれ。亜細亜大学卒業後、大手旅行会社に勤務。2003年、妻の実家の家業である旅館・リゾート業の継承のため草津町へ移住。株式会社ニューコーポレーション・株式会社奈良屋 専務取締役に就任し、海外からの観光誘客にも積極的に取り組む。
インタビュアー
株式会社 Loco Partners 代表取締役副社長
塩川 一樹
1979年生まれ、立命館大学経済学部卒。株式会社ジェイティービーを経て、株式会社リクルートへ中途入社。旅行事業部にて、首都圏・伊豆・信州エリア責任者を歴任し約2,000施設以上の担当を歴任。2012年7月より株式会社Loco Partners取締役に就任。
「気楽な次男坊」から宿屋の主人へ
塩川:小林社長のご実家は旅館を経営されていると伺いました。そうした点を含め、「奈良屋」に入られることとなった経緯をお聞かせいただけますか?
小林:私の実家は伊豆・下田で「ふたみ屋」という旅館を経営しています。幼少期からの経験もあって、大学を卒業してから旅行会社に就職したのですね。そして、学生結婚をした妻も、偶然にも旅館「奈良屋」の娘さんだったのです。ただ、当時はまだ実家や奈良屋を継ぐという具体的な話があったわけではなく、まず旅行会社に勤めて将来的には香港かシンガポールに渡り、観光に限らず貿易や経済面で何か日本の役に立つ仕事をしたいと考えていました。
塩川:なぜ香港やシンガポールに行こうと思っていたのですか?
小林:日本と同じアジアの国なのに、ヨーロッパの影響を受けてオリエンタルな雰囲気を持っているという点に興味を持ったのです。どちらも金融の中心ですので、そこを拠点に世界の人々がさまざまな方面で活躍していました。私が学生の頃は、日本と香港・シンガポールの交流はまだ活発ではなかったのですが、将来的には必ず親密な関係性になると思っていたのです。先ほど申し上げたように、日本に近いアジアの国で、日本の役に立つ仕事をしたいというイメージも持っていました。
塩川:そうした考えを持ちながら、結果的に日本で奈良屋を継ぐことになったのですね。そこには、どのようなきっかけがあったのですか?
小林:妻の父、つまり当時の奈良屋の主人から「君たちが奈良屋を継がないか」と声をかけていただいたのです。その当時、私は大手旅行代理店に就職し海外旅行を担当していましたが、奈良屋を継ぐのであれば国内旅行の流通の仕組みを知って修行しなければと思い、国内旅行を扱っている鉄道会社の旅行部門に転職をしました。配属された横浜では修学旅行やお寺の檀家旅行、一般企業の社員旅行や官公庁の研修旅行などを3年間担当し、そののちに奈良屋を継ぎました。実家が宿屋であること、旅行代理店で海外旅行から国内旅行までを担当したこと、そのすべてが今の奈良屋の経営に活かされています。
塩川:大手旅行代理店を経て歴史と伝統ある老舗旅館を継ぐことになったとき、戸惑いやプレッシャーはなかったのでしょうか。
小林:偶然、私の実家も宿屋でしたので、学生時代には土日になると私も家業を手伝っていたのですね。皿洗いや布団敷きをやっていましたので、宿屋業を継ぐということに対してはまったく抵抗がありませんでした。宿屋業はいいものである、楽しい商売だという印象があったのです。また、実家が伊豆・下田で雪が降らない地域ですので、冬の草津の雪景色も新鮮でしたね。いまだに、草津の雪景色は大好きなもののひとつです。
観光で前進する町、草津
塩川:実際に草津温泉へ来られてみて、いかがですか?
小林:草津温泉は山奥の立地であるにもかかわらず旅館にかかわる方々は都会的な感覚の人が多いという印象を受けましたね。現在の草津温泉の人口は7,000人ほどなのですが、そのうち2,500人ほどが飲食店や旅館、ホテル、清掃などの観光業に従事しています。このように観光業で生活している方がほとんどなので、町の税収も含めて自分たちの生活も観光産業で成り立っているということが共通認識になっているのです。
塩川:町全体でひとつの目標に向かっているということですね。「その資産たるは温泉だ」ということを共通認識として持っているので、風土や町を大事にする雰囲気があるということでしょうか。
小林:そうですね。それから、商工会、旅館組合、観光協会、観光課など、この町の主要機関が集まって話し合いをする際、「どうやってお客様に足を運んでいただくか」という点で皆の利害関係が一致しているのです。これが他の地域になりますと、観光業以外に農業などもありますから、「この時期にたくさんの車が来ると困る」という意見も出てきます。しかし、この地においては、やろうと決めたことはきちんと準備さえしておけば、ほぼ100%決まるのです。
塩川:町全体が観光で前進している印象を受けますね。
小林:はい。それから、町全体の土地面積が広くないので新規の旅館を建てられないのです。バブルの時期もリゾートマンションが増えたぐらいで旅館が増えることはなかったために、落ち込みの幅が低く市場の波が比較的フラットなのですね。また、人口が7,000人前後にもかかわらず、スキー場やゴルフ場など、本来この規模では持てない要素がきちんとあり、それで観光誘致をしようという前提があります。
塩川:草津温泉は資産的にも恵まれているのですね。
小林:恵まれていますね。スキーに関しては、ブームは去ったと言われますが、実は8年前が人気の底だったのです。スキー人口は昭和40年代から下降線をたどり、毎年7%程度ずつ落ちていました。それが、8年前に最低値を記録してからは10%から13%の伸び率になっているのです。本来、この地域は冬場の12月から2月にかけてオフシーズンになるのですが、スキー場があったおかげで一転してオンシーズンになりました。
塩川:奈良屋でも温泉と雪という資産を十分に活かしているということですね。日本人のほか、海外からのお客様の誘致も積極的に行なっていると伺いましたが、具体的な取り組みはありますか?
小林:奈良屋の考え方としては、今後、インバウンド需要が高まる中でも、基本的にはまず日本のお客様に楽しんでいただきたいと思っています。日本人が好きな温泉地であるという前提がなければ、外国人の方には来ていただけないと思っているのです。一方で、日本人のお客様が減った分をインバウンドで補っている地域もあります。もちろん単価を落としてお客様を増やすこともひとつの考え方なのですが、奈良屋のインバウンドに関する取り組みとしては、日本の伝統やリゾートなど、日本人に人気のあるものを外国の方にそのままの形で楽しんでいただきたいと思っています。
エンターテインメントとしての宿泊体験
塩川:奈良屋で実践されている「古き良き伝統を大切にしながら新しいことに取り組む」ことへの思いをお聞かせください。
小林:これまでの1泊2食の純和風スタイルですと、お客様が到着すると客室係がお部屋にお連れしますよね。それから、お茶を淹れ、浴衣を合わせ、お料理の提供や寝具の用意など、お客様の滞在中に約10回は客室係がお部屋に出入りするのです。以前はそうした旅館の常識に慣れているお客様が多くいらしたのですが、近年では旅館に泊まったご経験が少ない方が増えています。そうすると、私たちがお部屋に入って接客させていただくことがよいおもてなしだと思っていても、お客様には「心地よくない」と捉えられてしまうのです。
塩川:従来の旅館の常識が受け入れられなくなってきているということですね。奈良屋ではそれをどう乗り越えていかれたのですか?
小林:今から5年前までは草津温泉に来るお客様の60%以上が55歳以上だったのですが、55歳以上の方は2025年を境に一気に減ってしまいますので、これからは若い方たちを集客しなければいけません。そこで、草津温泉を訪れるお客様の年齢をこちらが意図的に下げました。Web媒体をうまく利用することで20代、30代、40代の方々に来ていただけるようになったのですが、その半面、客室係が何度もお部屋に立ち入ることでお客様にとって心地よくない場面が出てきたのです。それであれば、伝統的な日本旅館のおもてなし様式を残しながらも、お客様の生活行動に合わせてホテル形式を取り入れていこうということになりました。
塩川:時代に合わせて滞在のスタイルを変えていくということですね。
小林:ホテルのスタイルを取り入れるもうひとつのメリットとして、経営効率の改善が挙げられます。これまで客室係がお部屋に10回入っていたところを4回に減らすことができたら、作業としては6割減ですよね。このように、昔に比べて人材確保が難しいという問題をオペレーションしやすいように変えることで補うことができるのです。さらに、利用率の低かったバスルームを改装するたびに廃止し、その代わりにパウダースペースを2ベースにしたり、部屋によってはお手洗いを2つご用意したりと、ハード面を充実させていきました。
塩川:滞在スペースに関しては、国内のお客様の過ごし方や増加する海外のお客様に合わせて改装を続けているということですね。
小林:草津温泉に来る外国の方は、日本的な良さ、草津温泉らしさを楽しみたいと思っていますので、あえて彼らを意識した宿づくりは一切していません。最近では日本人の20代後半から30代のお客様からご予約いただくケースが増えているのですが、その方たちの滞在スタイルを見ると、一種のエンターテイメントなのです。ディズニーランドへ行くように、旅館での宿泊体験をしたいと考えていらっしゃるようです。それはつまり、和の文化体験ですね。日本人のお客様も館内の柱や和紙、格子細工を携帯電話で写真に収めるのですが、外国人の方もまったく同じ行動をされているのです。
塩川:つまり、国内外の方に喜んでいただける非日常体験というのは「日本らしさ」であり、そこを追求されているということですか?
小林:そうです。奈良屋ではターゲットとして30代の女性を意識しています。30代の女性が好むものは、そのお母様世代である50代の女性も好むものなのです。今の30代の女性とお母様は団体旅行を選ばず、自分自身で旅の楽しみを選ぶ傾向にあります。ですので、そのようなタイプの方々に好んでいただけるような宿づくりをするのです。それから、写真に撮りたくなるような場所をいくつもつくるというのもその一環ですね。このように、奈良屋に関しては「和風のつくり」を徹底しています。
「今だけ、ここだけ、あなただけ」の思い
塩川:奈良屋をはじめとする運営施設のコンセプトや思いはどのようなものですか?
小林:「今だけ、ここだけ、あなただけ」です。「今だけ」は、草津温泉の四季や食事など、今だけの瞬間を感じられる要素をきちんと出すということ。「ここだけ」は、温泉はもちろん、奈良屋ならではの純和風のしつらえなど、草津温泉の中心地という立地条件だからこそ体験できる雰囲気のこと。「あなただけ」は、春休みの家族旅行やお誕生日の旅行などの「あなただけの大事な瞬間」を私たちも大切にしますということです。
塩川:そうした思いを持って、奈良屋の今後の展望についてはどのように考えられているのでしょうか。
小林:「今だけ、ここだけ、あなただけ」をより高品質でご提供するために、品質の向上に取り組んでいきたいと考えています。奈良屋は創業から140年が経過していますので、歴史的建物を大切に使用しています。代々使ってきたものを毎日磨くことによって、歴史的な雰囲気などが今後の価値と安心感につながると考えているのです。お湯づくりと同じで、そうしたところをきちんと大切に守り抜き、「変わらない良さ」として提供し続けていきたいですね。一方で、ライフスタイルの変化に合わせた改装や快適な機能の追加も施していきたいと思っています。
塩川:そうした部分をつくり込んで、お客様に来ていただくのですね。
小林:そうですね。ただ、お客様にはアプローチをしないと来ていただけません。なぜ営業をするのか、なぜ露出するのかといえば、知っていただくためなのです。「これを見に来てください」という商品をきちんとつくって、それを知ってもらうために国内向けに露出したものが海外に輸出されれば、それを見て海外からお客様が来てくださいます。また、単独で外国のブロガーをお呼びして滞在の様子をSNSに上げていただくという取り組みなどは、良い具体例ですね。
塩川:ここまでのお話を聞いていますと、奈良屋だけでなく草津温泉全体のマーケットを対象にした取り組みが非常に印象的です。先進的な取り組みを続けながら、地域で生き抜いていくという思いの背景はどのようなものでしょうか。
小林:人口減少は増加するときと比べて3倍のスピードで進んでおり、今から意識してシミュレーションしておくことが大切です。また、温泉だけでなく企業全般にいえることですが、会社を閉じる理由の50%は後継者不足によるものです。これらを草津のマーケットに落とし込んだときに、そうしたことで悩んでいる方を私たちが受け止めるということも考えていますし、それは「ご縁」だと思っています。雇用も含めて、地域の衰退を防ぐということです。創業から100年で老舗企業、200年を超えると長寿企業と呼ばれますが、私はその長寿企業を目指しています。私の世代では長寿企業に届かないので、次の世代にバトンタッチをして達成してもらわなければいけないのですが、そのために私の時代に何をしたらいいのかを考えて実行しています。
塩川:それがご縁をつないでいくということなのですね。具体的には、どのようなことをされているのですか?
小林:現在、7年にわたって続けている草津
温泉らくごは、リピーターの方からの「夕食後に楽しめるものはないの?」という質問がきっかけで始まりました。「楽しみ」を個人向けの商材として開発し、実際に投入して継続することが地域のバリューアップになると考えています。人が流通する時間が伸びれば消費が生まれ、地域がより潤うのです。仕事もある、お客様が来られる、楽しいとなれば、草津は住みたくなる町に変わります。政治家にならずして住みたい町をつくることが私のライフワークですね。民間企業として、スピード感を持ってコンテンツを増やしていくことに特化していきたいです。
塩川:宿という枠を超えて、地域の発展や長寿企業になることを実現するための取り組みは非常に勉強になりました。本日はありがとうございました。
写真:田中 和広 / 文:宮本 とも子
株式会社ニューコーポレーション・株式会社奈良屋 代表取締役社長
小林 恵生
1975年、静岡県生まれ。亜細亜大学卒業後、大手旅行会社に勤務。2003年、妻の実家の家業である旅館・リゾート業の継承のため草津町へ移住。株式会社ニューコーポレーション・株式会社奈良屋 専務取締役に就任し、海外からの観光誘客にも積極的に取り組む。妻と1男4女の5人家族で、趣味はスキー、素潜り、釣り、家族旅行。