Relux Journal

伊豆・稲取の海辺の宿、食べるお宿 浜の湯。「食べること」を原点とするこの宿の代表 鈴木氏に、旅館のおもてなしをさらに向上させるための取り組みや、めざしていくべき未来を伺いました。

ゲスト

庭のホテル 東京 総支配人/株式会社UHM 代表取締役 木下 彩

食べるお宿 浜の湯 代表取締役社長

鈴木 良成

1964年、静岡県出身。当時釣り宿(民宿)だった「浜の湯」の長男として生まれ、大学卒業後2年間、山形県にて旅館業の修行を積む。その後「浜の湯」へ戻り、設備投資などを通じて施設の拡大に寄与。2008年より代表取締役社長を務める。

インタビュアー

株式会社 Loco Partners 代表取締役(当時) 篠塚 孝哉

株式会社 Loco Partners 代表取締役(当時)

篠塚 孝哉

1984年生まれ。07年株式会社リクルート入社、11年9月に株式会社Loco Partnersを設立し、代表取締役に就任。2013年3月にReluxをオープン。趣味は旅行、ワイン、ランニング、読書など。

はじまりは小さな釣り宿から

食べるお宿 浜の湯

篠塚:食べるお宿 浜の湯のはじまりは、小さな釣り宿だったと伺っています。鈴木社長のこれまでの人生と浜の湯がどのように寄り添い合ってきたのか、お聞かせください。

鈴木:浜の湯は銭湯と釣り宿からはじまりました。私が小学校3年生の頃には銭湯をやめて旅館になり、中学2年生のときには現在の場所に移転してきましたが、実は私は浜の湯を継ぐ気はなかったのです。20部屋の小さな旅館に将来性があるようには思えませんでしたし、子供の頃は家族揃って食事をすることがなかったという思い出もあり、旅館を継ぐことだけはしたくないと思っていました。父には好きなようにしなさいと言われて東京で大学生活を送っていましたが、祖父が「長男のくせに商売を継がないとは」と、東京まで出てきまして。それで5年でも6年でも、ひとまず実家に戻って手伝いをしようと考え直したのです。それからホテル専攻科のある専門学校に通い、その後は山形の旅館で2年間修業をさせてもらいました。

篠塚:もともと継ぐつもりのなかった浜の湯に戻って来られて、そこで鈴木社長を旅館業に目覚めさせたものとは何だったのでしょうか。

鈴木:戻って早々に、修業させていただいた山形の旅館と浜の湯との客層の違いに衝撃を受けました。山形の旅館は団体の比率が高かったのですが、浜の湯はリピーターの個人客しかいなかったのです。そのリピーターのお客様との関わり方というのがとても温かくて。お客様と宿屋との関係を超越した親密な関係が、おもしろかったのです。それが旅館業に興味を抱いた一番の理由でした。しかし当時は建物も老朽化していて、設備投資をしようという話ばかりしていましたね。

篠塚:設備投資をして、より良い旅館にしようというビジョンに向かって動き始めたということですね。当時の浜の湯はどんな宿だったのですか?

食べるお宿 浜の湯

鈴木:改築前の浜の湯は、広告宣伝費やアメニティにはお金をかけず、とにかく料理にこだわっていました。例えば舟盛りですね。舟盛りよりも姿造りの方が大きくて、しっぽが飛び出ているのです。また、当時の稲取の最高級魚だった黒ムツの中でも脂の乗った良いものばかりを仕入れ、浜の湯に行かなければ黒ムツを食べられないという状況をつくったのです。それが、広告宣伝費0円で年間フル稼働という結果につながりました。バブル崩壊後の貸し渋りが蔓延する時代に、大手旅行会社に協定を結んでもらえないほど小さな宿に22億円もの融資が下りたのはそのためです。

篠塚:融資をきっかけに、平成7年に現在のようなかたちでリニューアルオープンされたのですね。そこに至るまでに悔しい経験をされたとお聞きしましたが、具体的にはどのようなことがあったのでしょうか。

鈴木:小グループや団体のお客様を獲得するために旅行会社に営業に行ったときのことです。事務所で営業マンに対してパンフレットを広げて説明をし終え、カウンターの方にもよろしくとお話をしているときでした。先ほどの営業マンの方が、私の目線に入るところでパンフレットをゴミ箱に放り投げたのです。「地方の小さな旅館が来ても使うわけない」ということを態度で示されてしまったのです。

篠塚:その悔しさを乗り越えて、平成7年のリニューアル時には44部屋に増築されて。その後、平成14年に6億円、19年に8億円、22年には3億円をかけて増築をされたのですよね。昔からのリピーターのお客様の反応はいかがでしたか?

鈴木:リニューアルオープン後は、リピーターの方に助けていただきました。平成7年11月のグランドオープン時、その中旬から伊豆半島で群発地震が起きて稲取の辺りはどの旅館も稼働が低下してしまいましたが、浜の湯だけはリピーターのお客様のおかげでほぼ満室でした。融資を返済するための売上目標も大きく上回り、そうした意味でもリピーターの方々には本当に助けられました。

食べるお宿 浜の湯

「旅館のサービス」を認めてもらうために

篠塚:リニューアルされてからは順風満帆な印象を受けますが、その中で乗り越えられてきた大きな壁はありましたか?

鈴木:はい。リニューアル後のメインは団体のお客様だったのですが、バブル崩壊以降、団体のお客様の数が右肩下がりになってしまったのです。その減少に歯止めがかからない中、平成14年の設備投資では売上単価を利益に還元できるよう高質化路線をとることになりました。それまでの44室に加え、新たに露天風呂付き客室を8室増やして52室にしたのですね。しかし、そうなると旅館のサービス、料理としては圧倒的にシェアの大きい44室に注力することになってしまうのです。そうすると当然のごとく8室のお客様からはご不満の声が上がりますよね。新しい8室のオープン初年度の稼働は98%と高かったものの、お客様からは不満がたくさん出てしまったのです。

食べるお宿 浜の湯食べるお宿 浜の湯

篠塚:そうした状況を打破するために、どんな工夫をされたのでしょうか。

鈴木:まずは料理の改革を始めました。圧倒的なボリューム感で驚かせるというそれまでの料理から、一品出しの料理に少しずつシフトしていったのです。平成19年には8億円をかけて露天風呂付き客室をさらに8室増設する一方で一般客室も改装し、全体的な単価を引き上げることで完全な一品出し料理に切り替えました。ただし、基本的な舟盛りのボリューム感や、昔ながらのリピーターさんが好んでいた部分は継承しました。浜の湯の成長を助けてくれたのはリピーターの方々ですので、その方たちに失礼のないようにしようと。しかし、ベテラン社員が高質化路線に反発して辞めていってしまいました。その代わりに、積極的に新卒採用を始めたのです。

篠塚:社会の縮図のようですね。今までのやり方に慣れているからと既得権益を守る方と、顧客価値を上げようという新興勢力の戦いに陥ってしまったのではないでしょうか。

鈴木:そうですね。浜の湯の息子は馬鹿だ、四大卒の子が旅館の仲居なんてやるわけがないと、そんなことを言われたこともあります。でも、それでくじけてしまえば誰もやっていないことに挑戦した意味がありません。当時、書店に行けばリッツ・カールトンやディズニーなどサービスの本が並んでいますが、旅館の接客サービスを説いている本は1冊も見かけたことがなかった。旅館のサービスというのはそこまで認められていなかったのです。それを変えたいからこそ、質の高いことをやりたいと思いました。その後も新卒採用を続け、4年ほどで従業員数20名のうち半数を若いスタッフが占めるようになり、主導権も若いスタッフに移っていきましたね。

篠塚:鈴木社長の「旅館のおもてなしをもっと日本に広めたい」という思いは、どこからきているのでしょうか。

食べるお宿 浜の湯

鈴木:浜の湯という旅館が本当に好きだからこそ、誇りを持ってお客様を迎えたいというところからきています。リッツ・カールトンでは顧客と向き合い、顧客情報を的確に入手した上でサービスに反映させている。昔ながらの完全担当制の部屋出しをしている旅館であれば、絶対にそれに劣らないサービスをご提供できると思ったのです。1泊2食にまたがって完全担当制をしている仲居さんの情報収集力を活かすこと。それを完璧にやりきろうと思ったのです。やりきるためには、それをこまめにできる人、情報収集、展開、対応ができる優秀な人物が不可欠でした。

篠塚:それを実現するために積極的に新卒採用をされて、情報収集やサービスにどのような影響があらわれていますか?

鈴木:新卒採用のスタッフが半数を超えた頃、社内で顧客カルテをつけることを義務化しました。当初ベテランのスタッフは反発していたのですが、若いスタッフが顧客カルテを活用することでお客様からお褒めの言葉を頂くようになり、そのコメントを見て徐々にベテランのスタッフも取り組むようになりましたね。宿泊施設というのは設備投資をしたオープン初日が一番商品力の高い状態であり、毎年お越しになるお客様からすれば、施設の魅力は年々下がってしまうのです。しかし、人的サービスの商品力というのは、1回目よりも2回目、2回目よりも3回目と常に右肩上がりで高まっていくものです。それをより高めるための1つの方策が、顧客カルテの活用だと考えています。

食べるお宿 浜の湯

篠塚:年数を重ねるごとに劣化してしまう施設の設備については、自体は定期的な投資で改善を繰り返す。一方で、人が介在するサービスへの満足度というのは来館回数を重ねるごとに上がっていくということですね。

鈴木:そうです。業績が右肩上がりなのは、リピーター比率が高まっているからなのです。リピートしていただけているのは決して設備が良いからという理由ではなく、今までのサービスの蓄積なのです。「この仲居さんに会いたくて」と人についてきてくださる。旅館の仲居さんほど働く価値、働きがいが高いものはないと思いますね。そのお客様にとっては自分が主役ですから。そうした中で、昔ながらの旅館のスタイルを大切にしていきたいと思っています。仲居さんによる料理のお部屋出しのスタイルや、出迎えからお見送りまでの完全担当制。和室におけるふすまの開け方からはじまって、お辞儀の仕方、起座の姿勢で料理の提供をすることなど、今ではほとんど見かけられない「日本の文化」を後世に伝えたいですね。

篠塚:変化させるべきはきちんと変化させていきながら、残すべきはきちんと残すというやり方ですね。残すべきところと変えるべきところというのは、どのような軸で考えられていますか?

鈴木:「自分のつくりたい旅館」に合うか合わないかですね。ですから、部屋出しをやめようと思ったことは一度もありませんし、拘束時間が長くなったとしても仲居さんによる担当制をやめようとも思いません。担当制をなくしてしまったら、浜の湯で働く客室係たちはみんな働きがいを失ってしまう。料理提供をさせていただくわずか2時間しか主役になれないとしたら、自分の「ファン」をつくれませんから。

「食べる」が原点の料理旅館

篠塚:やはり鈴木社長がおっしゃるように、担当制で接客することで外資系のホテルでもマネできないようなサービスを提供でき、お客様は浜の湯に来るたびに満足度が上がっていくということですね。一方で、担当制ながら合理的な運用をされている印象も受けます。

鈴木:すべてのスタッフが高いレベルで担当制ならではの接客をできているかと言ったら、当然難しいわけです。コツコツと精度を高める努力をしていかなければなりません。料理にしてもそうですね。顧客カルテを元にして、そのお客様にしか対応しない料理のあり方というのをもっと極めるべきだと思っています。ただ、それは50室を超える旅館では難しいとおっしゃる旅館の経営者もいらっしゃいます。しかし、私は50室を超える旅館でも温かい料理を温かいままご提供することは不可能ではないと思っています。それを極める1つの手段として、新たに厨房を約1億円かけて改装します。

食べるお宿 浜の湯 食べるお宿 浜の湯 食べるお宿 浜の湯

篠塚:今回の厨房の改装では、料理の部屋出しのための利便性を上げる仕組みが施されるのでしょうか。

鈴木:料理はより提供しやすくなるし、質も上がります。例えば、舟盛りをストックできる巨大な冷蔵庫を作ります。捌いたばかりの伊勢海老を盛り付けの最後に乗せて、動いている状態でお部屋で提供する。そうしたことも今までよりスムーズにできるようになります。また、各パントリーに温蔵庫をしつらえて、保温が可能で食材のうまみも失われない料理を保管しておくことで、それ以外の保管ができない料理のレベルを上げて、ご提供直前に後出し料理として作ることができるようになります。

篠塚:東京の高級料理店がいくらお金を出してもできないような、伊豆ならではの料理を提供されることも重要ですよね。

食べるお宿 浜の湯

鈴木:やはりお客様には美味しいものを食べていただきたいですね。例えば、稲取の港では季節によって小アジが釣れるときがあるのです。稲取の人は、それを軽く揚げて食べるのですね。都会でも出しているお店はあるのですが、新鮮さは稲取が勝ります。一般的な東京の割烹とは違う、旅館らしい特徴のあるものを季節ごとにご提供すれば、喜んでいただけるだろうと考えています。この地で獲れる魚の品質に関しては、どこにも負けないと思っています。足の速い魚は水揚げ当日にしか刺身では食べられませんから、そういう魚は東京では出まわりませんが、この場所なら提供することができるのです。獲れる量は日によって差はありますが、仕入れられるだけ仕入れたい。そして、ここでしか食べられないものをお客様にご提供したいですね。

篠塚:それが先ほどもおっしゃっていた、リピーターのお客様にとっての価値につながるのかもしれないですね。急遽獲れた魚をご提供してみたら、それまでの来館時とは違う驚きがあったりなど。

鈴木:お客様へのアンケートに「あの時期に食べたあの魚が美味しかった」と書かれていれば、その方がまた同じ時期に来られたら、同じ魚を予め仕入れておいて、絶対またこのお客様にご提供しようとなるのです。浜の湯はもともと魚が自慢の小さな釣り宿で、お客様は「また泊まりに来る」ではなく「また食べに来るから」とおっしゃっていた。それが「食べるお宿」として、今このように料理を提供することの原点です。

ファンに慕われる宿を目指して

篠塚:ここまで過去、現在のお話をお聞きしてきたのですが、これから先についてはどのようなイメージをお持ちですか?

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鈴木:今の形を崩さずに、と考えています。露天風呂付き客室と一般客室の比率については今が一番バランスがよいのですが、老朽化はしていくので、タイミングにあわせて設備投資をして商品価値をしっかりと上げていこうと思っています。一般客室については改装しながら商品力を上げていくのと同時に、タイプ数を増やして宿泊の選択肢を増やしていきたいですね。そうして、施設の部分ではリピーターのお客様に主眼を置いて、飽きられることのないよう設備投資はこれからもしていきます。あとは、次回の設備投資でバー・ラウンジが新たに設置されますが、そこではリピーターのお客様に無料でアルコール類などを提供します。

篠塚:リピーターのお客様限定になるのですか?

鈴木:チェックインから夕食が始まるまでの18時までの間は、リピーターのお客様限定の時間帯を設けます。今まで以上にリピーターのお客様の満足度を上げるための施設、そして仲居さん以外のスタッフもファンづくりができる場所を目指したいのです。通常は、無料で飲食ができるスペースにはスタッフを配置しませんが、敢えてスタッフを配置します。そこにいらっしゃるお客様は何度もリピートしている方なので、そのお客様と仲居さん以外のスタッフとの接点をそこで持たせてあげて、仲居さんとは違った方法で自分のファンをつくらせてあげようと思っています。

篠塚:これからの未来、変えることや新たに挑戦していかれることはたくさんあるものの、きちんとファンづくりをしていくという根幹は一切変わらないということですね。

鈴木:自分を慕ってくれるお客様が年に何人いらっしゃるか。それによって自分の気持ちというのは大きく変わります。だから、スタッフには「自分にもファンがいる」という経験をさせてあげなければかわいそうだと思うのです。旅館というのはリピーターのお客様なしでは成り立ちません。リピートしてくださるお客様が多ければ多いほど、スタッフは気持ちよく接客ができますので、それを実現できる場所をつくってあげたいですね。

篠塚:「自分のファンになっていただけるような接客を」ということですが、おもてなしの自由度というのは広く設けていらっしゃるのですか?

鈴木:それぞれの接客サービスについて支配人に確認しなければならないというようなルールは、一切ありません。例えば、自分にしかできない接客としてメッセージカードを極めているスタッフもいます。一方で、文章を書くのが苦手なスタッフには、メッセージカードでなくとも自分らしい思いの伝え方を考えて接客すればいい、それがほかの人と違えば違うほど、お客様は君のファンになるからと言っています。接客の中に自分らしさを表現して、ファンづくりをする。それが接客の醍醐味ですよね。それを叶えられる場所であり続けたいと思っています。

篠塚:旅館によっては、設備だけ整っているけれどサービスが追いついていないというケースを見かけることもありますが、浜の湯の場合には、ここでしか食べられない料理を提供されていたり、旅館文化を踏襲しながら接客レベルを高められているという一貫した姿勢を感じることができました。本日は貴重なお話をありがとうございました。

食べるお宿 浜の湯

写真:田中 和広 / 文:宮本 とも子

食べるお宿 浜の湯 代表取締役社長 鈴木 良成

食べるお宿 浜の湯 代表取締役社長 鈴木 良成

鈴木 良成

1964年、静岡県出身。当時釣り宿(民宿)だった「浜の湯」の長男として生まれ、大学卒業後2年間、山形県の「観松館」にて旅館業の修行を積む。その後「浜の湯」へ戻り、1995年(22億円)、2002年(6億円)、2007年(8億円)、2010年(3億円)の設備投資などを通じて施設の拡大に寄与。2008年より代表取締役社長を務める。

食べるお宿 浜の湯

食べるお宿 浜の湯

静岡県 > 東伊豆

名物・稲取金目をはじめ、新鮮な魚介類を余すところなく提供する「食べるお宿」。目の前の海を眺めながら、美食を味わえる一軒です。