2016.04.25
目次
第7回 みなかみに心のふるさとを。スキーに学んだ主人が生んだ「別邸 仙寿庵」
別邸 仙寿庵/株式会社旅館たにがわ 代表取締役社長 久保 英弘
群馬県みなかみのルレ・エ・シャトー加盟旅館、別邸 仙寿庵。その主人 久保氏が、長年親しんできたスキーから学んだことやみなかみへの想いを語ります。
ゲスト
別邸 仙寿庵/株式会社旅館たにがわ 代表取締役社長
久保 英弘
1971年、群馬県みなかみ町出身。幼少期よりスキーを始め、2001年にはフランス・バルトランスで行われた世界選手権とスイスで行われたワールドカップに出場。大学卒業後、食品卸の会社に入社。退職後、旅館業を継ぎ現職。
インタビュアー
株式会社 Loco Partners 代表取締役副社長
塩川 一樹
1979年生まれ、立命館大学経済学部卒。株式会社ジェイティービーを経て、株式会社リクルートへ中途入社。旅行事業部にて、首都圏・伊豆・信州エリア責任者を歴任し約2,000施設以上の担当を歴任。2012年7月より株式会社Loco Partners取締役に就任。
スキー経験から学んだ「やり続ける」姿勢
塩川:まず、久保さんのこれまでのご経歴、歩みを伺いたいと思います。
久保:私は1971年3月17日生まれなのですが、小・中・高校、大学とスキーをしてきまして、オリンピックに出たいということがひとつの夢でした。スキーを続ける中で「やり続けること」というポリシーを持ちました。やり続けることによって夢を叶える、夢は掴めるものだという考え方が私の中にあるのです。
塩川:スキーの道に入ったのはどうのようなきっかけからだったのですか?
久保:両親が旅館業で忙しかったために、やることがないからスキーに行きなさいと言われたことがきっかけでした。旅館から歩いて10分ほどのところにホワイトバレースキー場というのがあり、そこに近所の子と一緒に通っていました。夏には野球もしましたが、河原に行って潜ったり、魚を突いたりと、自然の中で遊びまわっていましたね。河原で遊んで、人の家の露天風呂に入って怒られたりもしていました。
塩川:活動的な子ども時代だったのですね。高校へ入学されてからはどんなことをされていましたか?
久保:高校はスキーの関係で埼玉に進学したのですが、そのときもやはりスキー漬けでしたね。体育コースに入ってスキーを続けていました。夏場は陸上部と一緒にトレーニングをし、冬場は12月なかばから合宿をして、1月にはインターハイや国体に出ていましたので、ほとんど授業には出席できませんでしたね。
塩川:大学に進学されてからもスキーを続けられたのですか?
久保:東京農業大学へ入学したのですが、大学へはスポーツで入ったわけではないのでもう部活はしなくてもいいと思ったのです。ところが、先にスキー部に入った仲間から声がかかりまして、「はい」と言って入ってしまいました。大学の部活というのは社会人と同じで、右と言ったら右、左と言ったら左。自分の意志よりは会社の方向に向かわなければいけないという雰囲気があるではないですか。それを大学で学びましたね。ルールも厳しくて、返事も「はい」ではなくて「押忍」と言わなければいけなかったり、学ランを着なければならなかったり、体育会にはそういうしきたりが多くあったのですが、それもひとつの伝統なのだと思いました。
塩川:スキーはどういった種目をされていたのですか?
久保:私は小学校ではアルペンスキー、中学で複合、高校ではクロスカントリー、大学ではスキージャンプも経験しています。このようにスキーは全部の種目をやってきたのですが、中学校でスキー部に入部したきっかけも、競技種目の選択も、すべてが自分の意志というよりも周りの人に動かされるようにしてきたのですね。中学のときにクロスカントリーを始めて、どれだけ練習しても勝てなかったのですが、高校になって入賞することができたのです。それが「やり続ける」というポリシーを持つきっかけになりました。
塩川:やり続ければ夢は叶うという原体験をされたのですね。そして大学へ進学されてもスキーを続けられて、それまで培ってきたものが開花したのではないでしょうか。
久保:まさにそうですね。大学ではインカレに出場することを目標としていたのですが、東京では大学のスキー部のランクが1部から4部まであり、私たちは4部に属していました。そこからスタートして、アルペン競技、クロカン競技、ジャンプ競技、それぞれが健闘して最後の年に2部に上がることができたのです。私たちの代で2部校に上がって今は1部校になっていますが、その足がかりをつくったという経験から、「やり続ける」ことと、目標を設定したうえで何をすべきかを考えることが大切なのだと学びました。
塩川:オリンピックを意識されるようになったのはその頃だったのでしょうか。
久保:全日本クラスの選手と対等に戦える実力になって、やはりオリンピックに出たいという夢が出てきました。当時、ちょうどノルウェーのリレハンメルオリンピックがあってテレマークスキーに出会ったのです。それがバンクーバーかトリノでオリンピック種目になるかもしれないという話がありましたので、競技をはじめました。ここでも「やり続ける」ことで世界選手権の切符をつかみ、2001年にはフランスで行われた世界大会とスイスで行われたワールドカップに出場しました。「やり続ける」ということが自分の中でプラスになること、さらに「人がやらなさそうなこと」に早めに狙いを定めること。これが意外と重要なのです。
「心のふるさと」をつくる
塩川:大学を卒業されて社会人になるときには、どんな業界を見据えて就職活動をされたのですか?
久保:旅館を見据えていましたね。新卒で業務用の食器卸企業に就職したのですが、それは色々な旅館やホテルの裏側を見たかったからです。就職から1年が経った頃に別邸 仙寿庵をつくるということで退職したのですが、ある種、先を見据えて就職をしました。
塩川:スキーによって「やり続ける」「目標を持つ」ことの大切さに気づかれたということでしたが、旅館との関わりというのはいつ頃から考えられていたのでしょうか。
久保:小さい頃から両親には旅館を継ぐのだということを言われていたのですが、そのときにはそこまで継ぎたいと思っていなかったのです。しかし、スキーを続けさせてくれたという親への感謝がありましたし、中学生の頃からスキー競技のために民宿や旅館、ホテルなど色々な宿泊施設に泊まってきたことも大きかったですね。民宿へ行けば人の温かさや土地ならではの良さがありますし、ときには世界のホテルやリゾートも見ることができる。そうしているうちに、自分が見てきたものを旅館に落としこんで「心のふるさと」をつくりたいと思うようになったのです。
塩川:スキーを続けさせてくれたご両親への感謝があり、また、競技を通してさまざまな宿や地域をまわられたことが根底にあって、旅館を継ぐ決心をされたのですね。
久保:中学生のときに、東京に住んでいる親戚のお兄さんに「谷川岳はすごい、これは宝だよ」と言われたことがありました。その時は言葉の真意がまったく分からなかったのです。川があって山があって谷川岳があって、四季のうつろいがある。当時の私にとって、それはごく当たり前の風景だったのですが、そのお兄さんに言われたひと言はずっと頭に残っていました。当時、「谷川岳に手が届きそう」というキャッチフレーズを掲げていた「旅館たにがわ」へは、この山を見るために旅館へお越しになるお客様が大勢いらっしゃいました。両親も、「谷川岳はすごいものだ」と言っていたのです。しかしそうしたことは全く意識していませんでしたし、社会人になってこの地に戻ってきて、お客様から「谷川岳に登りに来た」、「景色がいいですね」と伺ったときに、あの時お兄さんが言っていたのはこういうことなのだなと思いましたね。この自然、環境、すべてがあってお客様に来ていただけるのだということに気づいたのです。
世界基準に届く旅館をめざして
塩川:故郷に戻ってきたことで、谷川岳の素晴らしさに気づかれたのですね。「旅館たにがわ」からはじまった別邸 仙寿庵ですが、開業の背景はどういったものだったのでしょうか。
久保:私の祖父母が昭和27年にみなかみに来まして、谷川岳に魅せられて「谷川本館」を買ったというのがスタートです。昭和56年には私の両親、つまり現在の社長と女将がお客様に喜ばれる「心のふるさと」をつくりたいということで「旅館たにがわ」をオープンしました。当時の谷川温泉は特徴のない場所でしたので、「谷川本館」に檜風呂をつくってお客様を呼び込んだのです。「旅館たにがわ」では檜風呂、露天風呂、そして脱衣所に畳を敷いたのですね。その当時、脱衣所に畳が敷いてあるというのは初めてでしたので、他の旅館との差別化を図るという意味では成功しました。そうした経緯があり、お風呂で升酒を飲めるようにしたりとお風呂での演出にこだわったところお客様が増え、リピーターも増えていったということですね。
塩川:そのあとに、別邸 仙寿庵ができたのですね。
久保:はい。両親が開業した「旅館たにがわ」の周りが賑やかになってきまして、もっと自然の中でくつろげる場所をお客様に提供したいということで、平成9年の5月に別邸
仙寿庵をオープンしました。「旅館たにがわ」よりももっと上質なものをつくりたいというのが私どものひとつの夢だったのですね。「谷川本館」のときは売上や旅館規模が水上温泉の中でも下位に位置していました。そこで悔しい思いをしましたので、温泉に対するこだわりや、谷川岳に対する強い思いを形にし、谷川温泉で本当にいいものをつくりたいということでオープンしたのです。
塩川:別邸 仙寿庵はルレ・エ・シャトーに加盟されていますが、それによって得られるメリットはありますか?
久保:ルレ・エ・シャトーに加盟することによって、世界基準を満たした施設としてお客様に安心してご宿泊いただけます。地域として、県としての認知度も上がりましたね。現在、日本でルレ・エ・シャトーに加盟している宿泊施設は16軒あります。そのうちの1軒が群馬県にもあるということで、群馬だけでなく色々な地域の方に知っていただくことができました。その反面、ルレ・エ・シャトーが定める基準を常に満たしている必要がありますので、品質を維持するために我々も常に意識していますし、モチベーションを維持できています。世界の宿泊施設が目指している方向性が分かるという点でも、ルレ・エ・シャトーに加盟してよかったですね。
塩川:品質を維持するために、特にどのようなところを意識されているのでしょうか。
久保:ルレ・エ・シャトーは「食」と「宿泊」の2点を重視しており、それらの品質を向上させなければなりません。「食」に関してはもっと地域性を出すにはどうしたらよいかという部分で我々も頭を悩ませていますが、そうした課題があるからこそ旅館を確立していいものを提供できるようになるのですね。加盟したことによりお客様が増えるということは考えておらず、それよりもいかにして旅館としての雰囲気をつくるかというところに重きを置いています。
「みなかみ」への想いと「別邸 仙寿庵」の未来
塩川:別邸 仙寿庵の今後の展望をお聞きかせください。
久保:旅館の使命は「非日常」と「明日への活力」だと思っていますので、みなかみの自然環境や風土を活かしたものづくりをしていきたいと考えています。例えば、雪国というひとつの文化の中で、雪国の歴史を学んだり、雪国の食を提供するなど、地域や文化性をもう少し掘り下げて旅館の中に取り入れていきたいと思っています。新しくなにかをつくるというよりも、ひとつの幹をもっと太くするということです。現在の旅館業は人材不足ですので、教育、待遇などをより良くしてまず定着をしてもらい、地域に馴染んでいけるようにできたらとも思っています。
塩川:お話をお聞きしていると、みなかみという土地に対する感謝の気持ちや、スキーで経験されたことが別邸 仙寿庵の根幹にあるなと感じます。
久保:実は、まだ実現できていないことではありますが、スキーを通じてお客様とともにこの土地に触れるという企画を考えているのです。近くのスキー場をご案内したり、一緒にこの地域を歩いたり、そういったことをしたいですね。また、みなかみは関東の水瓶とも言われておりますので、「水」でなにかを表現していきたいとも考えています。
塩川:これまでの旅館業の経験を通じて、お客様とのエピソードや忘れられない思い出はありますか?
久保:ドイツ人のお客様が来られた際に、つたない英語と身振り手振りで接客をしたのですが、お客様が帰られるときに「本当に感動した」とおっしゃって、ご自身のバッグからビスケットを渡されたことがありました。それは、お互いに言葉が分からないながらも心が通じあったからで、そういったところが旅館の楽しさでもあるなと思うのです。他にも、オープンしたての頃から毎年来てくださる常連のお客様もいらっしゃったり、お客様と一緒に谷川岳や尾瀬に行ったりしたこともありましたね。
塩川:お客様の楽しみ方に合わせて一緒に活動されたりだとか、あまりタッチをせずに過ごしてくださいということもあれば、そこは思い思いの時間を過ごしていただくということですね。
久保:そうです。そうしたシチュエーションをつくれるよう、周りの環境を活かしていけたらと思っています。
塩川:小さい頃にスキーに出会い、周りの方から与えられたきっかけの中で楽しみを見つけて頑張って来られたという経験が別邸 仙寿庵の礎となり、これからの展望につながっていくのだなと感じました。また、スキーで培った精神は仕事に通じるところがあるのではないでしょうか。
久保:なにも考えずに度胸だけで動くという部分ではそうですね。なにごともそうですが、お客様からお呼びがかかればすぐに駆けつけることが重要ではないかと思うのです。考えるよりもまず動くことですね。スキーのジャンプでもそうですが、一発目は怖くとも、スタートしてしまえば止まることはできないわけですから、それは心を据えてやるしかないですね。また、スキーはお金がかかりますので、学生時代には色々なアルバイトをしていて、当時の仕事には何の楽しみもなかったのですが、そうした環境の中からも自分で楽しみを見つけていくしかないのです。今では、自分が楽しいものは何だろうと思ったときに、スタッフの笑顔や、お客様からかけられる「また来るよ」のひと言だと思えるのです。
塩川:幼少期からはじめられたスキーでさまざまな経験をされ、それが現在の旅館業に活きているということが、はっきりと伝わってきました。とても貴重なお話をお聞きすることができました。本日はありがとうございました。
写真:田中 和広 / 文:宮本 とも子
別邸 仙寿庵/株式会社旅館たにがわ 代表取締役社長
久保 英弘
1971年、群馬県みなかみ町出身。幼少期よりスキーを始め、2001年にはフランス・バルトランスで行われた世界選手権とスイスで行われたワールドカップに出場。大学卒業後、食品卸の会社に入社。退職後、旅館業を継ぎ現職。