Relux Journal

創業者の想いを受け継ぎ、全世界に通用するGARANブランドへ。これからの『伽藍』の展望とその背景について、現オーナー兼総支配人の渕辺俊紀氏に伺いました。

ゲスト

代表取締役社長 渕辺 俊紀(ふちべ としのり)

百名伽藍(株式会社ジェイシーシー) 代表取締役社長

渕辺 俊紀(ふちべ としのり)

1980年、鹿児島県生まれ。生後3週間で沖縄県移住後、沖縄県で育つ。2009年、株式会社ジェイシーシーに入社し、外食事業に従事。2010年にはホテル事業の立ち上げに携わり、2014年社長に就任し現在に至る。「沖縄の文化を広く、深く、正しく全世界に発信する」を企業理念に「食」を中心としたホテル・外食事業以外に、ブライダル・貿易・宅配事業などを沖縄県外で多岐にわたって運営。

インタビュアー

株式会社 Loco Partners 営業部 部長 新村 崇

株式会社 Loco Partners 営業部 部長

新村 崇

大学卒業後、組織人事コンサルティング会社に入社。様々なクライアント企業の人事・組織開発プロジェクトに従事。2013年に株式会社Loco Partnersに入社し、Reluxのサービス立ち上げに参画。日本全国の宿泊施設様への営業活動等に従事し現職に至る。

第1章:渕辺俊紀社長のこれまでの歩み・ご経歴について

新村:俊紀社長のこれまでの経歴・歩みについてお聞かせください。

渕辺:県外から沖縄に戻り、経営母体の「ジェイシーシー」に入社したのは2009年です。当初は「ジェイシーシー」グループの一つである飲料の会社の運営を任せられ、スーパーバイザー職として入社しました。2010年にこのホテル(「百名伽藍」)を開業することとなるのですが、実は、当時もうひとつビジネスタイプのホテルを国際通りに再オープンするため、社長であった父から再建を任せられていました。「百名伽藍」の開業と同年、同月にそのホテルもオープンしましたが、私は常務として、そのホテルの運営を行い、黒字化した半年後、「百名伽藍」の運営に本格的に入り携わってきました。

新村:俊紀社長の社会人としての経歴は見えてきたのですが、幼少期のお話など伺ってもよろしいでしょうか?

百名伽藍

渕辺:もちろんです。もともと父の両親が鹿児島にて観光土産の会社をやっており、沖縄県の日本本土復帰直後の「海洋博(沖縄国際海洋博覧会)」を契機に、沖縄で商売しようとやって来たそうです。

新村:沖縄の復帰が1972年、その後の大きな沖縄県としてのイベントが1975年の海洋博で、そこが契機だったんですね。

渕辺:そうです、当時はすごいニュースになりましたが、「海洋博ショック」と言われ、今でこそ沖縄県への観光客が1千万人超ですが、当時は海洋博があっても150万人の観光客でしたので、期待していたよりも非常に集客も少なく、経済効果も見込めなかったそうです。私の祖父が非常に苦しんでいた折りに、私の父も応援に呼ばれ、沖縄に来て50年になります。私も生後3週間ごろから母と一緒に沖縄に来て、狭いアパートの一室におりました(1980年ごろ)。身寄りもないなか、両親共働きで母もとても苦労したようです。父はその後、「南風堂」という今では「雪塩ちんすこう」など、沖縄の代表的なお土産の一つを擁する会社を兄弟で運営し、父は専務を務めておりましたが、45歳の時に独立してこの会社「ジェイシーシー」を創業しました。父の兄(伯父)はそのまま「南風堂」を牽引しており、兄弟それぞれ県外から来て、会社をここまで大きくするのに苦労もいろいろあったのではないかと思います。

新村:そうですか。それでは幼い頃からお父様や、伯父様が沖縄を中心とした観光領域でお仕事する背中をご覧になってこられたんですね。育ってくる過程で沖縄があり、観光というものがすごく身近だったんですね。

渕辺:幼少期は特に意識はしていなかったのですが、携わってみて、商売人の姿をずっと見てきたんだなぁということを感じます。

新村:「会社の理念」にも「沖縄の文化を広く、深く、正しく全世界に発信する」ということが書かれていましたが、沖縄文化を知る機会というのは、幼い頃よりお父様やお母様から薫陶を受けてこられたのでしょうか?

渕辺:そうですね。特に琉球についてだけではありませんが、歴史の話はもうずっと幼少の頃から、二人兄弟の妹と一緒に聞かされて育ちました。ねらいもあったのか、歴史の本なども近くに置かれていて、ずっと読んできました。会社を運営するにあたっても、歴史・文化というものは非常に重要で、家では空気を吸うように当たり前の環境でした。一方で学校では、歴史・文化については教わる機会も少なく、疑問に思っていました。ただ琉球の歴史・文化を調べていくととにかく面白い、「第一第二尚氏王統」というのは合わせて450年という歴史の深さです。江戸幕府でも260年ですから、世界に類のない長い歴史があって、戦争でさまざまなものが焼失したなか、多くの逸話も残っています。当ホテル1階の「自了館」というギャラリーを見るとよくわかりますが、とんでもない偉人や大先輩たちがこの琉球にはいました。私たちも今貿易事業をやっていますが、当時栄えた「万国津梁」(ばんこくしんりょう/世界の架け橋の意味)の時代には、北海道から昆布を仕入れてシャム王国(今のタイ)に売りに行くなど、この小さい島国の先輩たちが本当にワールドワイドだったのです。このことを沖縄の人が習うことができれば、ものすごい自信になると思っています。私たちとしては、事業を通して沖縄の文化を世に発信していくということが、原動力の一つになっています。

新村:琉球の歴史・文化を知れば知るほどリスペクトの念が湧き、またお父様やお母様の背中を見て、これを伝えることが使命であると自ずと感じていらっしゃったんですね。

渕辺:そうですね。経営理念も非常にすんなり頭に入りましたので、2014年に父から私に社長交代をした際に、経営理念を全く変えるつもりはありませんでした。「沖縄文化の発信」を目指していけばいいだけだと。

第2章:コロナ禍で気づいた百名伽藍の強み

新村:社長になられ、「百名伽藍」というシンボリックな事業を立ち上げ、担ってこられた約10年間だと思いますが、直近の「コロナ禍」で変わったこと、変わらなかったことはありますか?

渕辺:2020年3月にコロナ禍となり、同年の5月には、初めて1ヶ月間休館をし、その後「緊急事態宣言」も明けたり明けなかったりしたなかで、再オープンをしてと大変だったのですが、一方で見えてきた強みもありました。当館は18室というコンパクトなホテルですので、大型ホテルとは異なりお客様同士が接する機会もありません。「光と影と風」というコンセプトから、風の流れを非常に意識した造りの館内で、換気が良いこともあり、キャンセルが相当多く出るかと思っていたのですが、その影響はほぼありませんでした。また国の旅行業支援政策等もあり、実は開業10年で最高売り上げ・最高利益を出したのもこの時期でした。このご時世だからこそ選んでくださった、それは当館のコンセプトの強みが出たということかもしれません。

新村:周辺観光よりも、宿でゆっくりできる貴社の強みがまさに発揮されたんですね。

百名伽藍

渕辺:そうですね。当館を利用される方は、周辺を散策される方もいらっしゃるのですが、普段とてもお忙しい方が、その分とってもゆっくりと過ごされていて、お部屋にずっと閉じこもり執筆をされているということもあります。当館は10歳以下のお子様の受け入れをお断りしておりますが、とても静かに過ごせるという点で選んでいただけたのではないかと思います。施設の強みを再認識し、新たなお客様との出会いなどを通じて、今まで行ってきたことが決して間違いではなかったと感じることができました。

第3章:俊紀社長が考える百名伽藍のこだわりと、おすすめの過ごし方

新村:すでに体験した方も多くいらっしゃると思いますが、これから訪れる方に対しておすすめの過ごし方はございますか?

渕辺:開業時から目指してきたのは、ありきたりの「リゾート」という概念を覆すような「禅」というコンセプトです。つまり「全て削ぎ落として無になる」ということ。「時間の故郷に帰る」とでもいいましょうか。なぜかここにいると、故郷に戻ってきたかのような、それは自分の産まれ育った場所というよりも、幼少期に戻ったような不思議な感覚が呼び覚まされるのです。それは当館ならではの海の近さによる波のゆらぎや、一定のリズムで寄せて返すように聞こえる波音など、唯一無二の要素があります。心理学でいう「ダークセラピー(人間の負の感情を引き出し解消していくセラピー)」のように、どこか懐かしさを感じる体験を、ぜひ味わっていただきたいです。また、沖縄に来たんだということを心から実感し、沖縄の人の温かさを感じていただけるサービスを提供したいと、スタッフが「伽藍ホスピタリティ」を掲げています。そういったものもぜひ味わっていただきたいですね。

百名伽藍 百名伽藍 百名伽藍

新村:自身の内面に立ち戻ることを、この景観だったり、環境や建物の造り、人の温かいおもてなしで後押しされているんですね。

渕辺:まさに私たちの役目は、環境をいかにつくるかですね。やはり普段いろいろな情報に触れると、脳が分析してしまいますし、なるべく忙しい人たちの脳を働かさないように、客室ではテレビは隠しておいたりと、そういった細々とした仕掛けもやっています。その空間の中で「お客様がぼんやりと遠くを見つめながらご自身を振り返っているような姿」を見るのが我々は一番嬉しいですね。以前お客様より「いろんな決断を実はあのテラスでしたんですよ」と聞いたことがあります。まさにそういう場になれればいいなと思っています。

新村:他とは一線を画した場所でもあり、自分をリセットしたい人には特別な場所になるんですね。そんな場所を提供したいと思ったきっかけはあるのでしょうか?

百名伽藍

渕辺:2019年の11月〜12月にエストニアとフィンランドに行ったのですが、強烈なインパクトを感じたのは、背景にハイテクを駆使した仕組みがありつつも、街の表現とか、街中のレストランなど、「ハイタッチなアナログ」だったんです。例えば、道を歩いているとおばちゃんが売りに来る名物のスープ屋さんがあったりして。古い建物をしっかりと活かしながらハイテク化していく中で、そういった「情緒感」というものが実は魅力的だと感じました。実際、世界の幸福度ランキングではこれらの国が高いですよね。これから技術革新が進んでいくと、実はこういった「情緒感」が求められてくるのではないか。百名伽藍としてはそこを常に意識し、さらに人間らしさというものを提供することが差別化に繋がるのではないかと改めて感じました。

新村:ご自身で見聞されて戻ってこられると、やはり改めて良さを感じますか?

渕辺:いやいや、まだまだ当館に戻るとあれがしたい、これがしたいと創業者の父とも毎日のように話しています。もっともっと自然も増やしたいですし。実際にここは開発した当初よりも緑が豊かになっています。「木々にデザインさせる館にしていきたい」と。こういう木々が建物を貫いてもいいくらいですね(笑)。自然は天才設計士です。オンリーワンのデザインですから。

百名伽藍

新村:館に入ると「ガジュマルと一体化している」と感じ、館よりも大切にされているように感じますが、その理解はあっていますでしょうか?

渕辺:そう言っていただけると狙い通りです。

第4章:お客様とのエピソード

百名伽藍

新村:お客様の表情、会話をされている様子をご覧になって、嬉しく感じますか?

渕辺:当社は年末年始も本日も同額で、シーズナリティーを設けないということを10年間続けてきました。その理由は経営とは少し離れますが、滞在する魅力は一緒だと思っているからです。雨の日も冬の日もいい。例えば、雨の日もあえて雨樋をつけずに雨の滴る音、雨のカーテンを楽しんでいただきたいです。そういう「あ、雨だけどいいわね」という会話や、チェックアウトする際に1年先、2年先の予約を安心してとっていただける様子から「あぁ、我々の狙いをご理解いただけているんだ」と非常に嬉しく感じます。特に年末年始などは2年先まで予約が埋まっており、そのようなハードリピーターが多いのは自信にも繋がっています。また、お客様の中には「ここの風が気持ち良すぎて、お部屋で窓を全開にして、風や波の音を聴きながら朝まで寝てしまった。こんな体験は初めてです」とおっしゃる方もおられます。そんなお客様の声を聞きながら、毎年12月に改装をしており、完全に閉じていた窓ガラスを開放したりと、気づきがあれば随時改修に活かしています。例えば「まだここは風が抜けないなぁ」という場所を変える、「海の上に浮かんでいるような感覚を味わっていただきたいので、ベッドから起きた時に水平線と目線が一緒になるように」など。さらに「蛍の光のようにぽっと浮き上がるような館に」と少しずつ照明を抜く計画もしております。滞在中、普段使っていない自らの感覚が研ぎ澄まされることもぜひ味わっていただきたいと思っています。来年は伽藍別館のところに200坪の改装工事を予定しており、まだまだ進化を続けていきたいと考えています。

第5章:今後の百名伽藍としてのビジョンと展望、その背景

新村:最後に今後のビジョンをお聞かせください。

百名伽藍

渕辺:沖縄観光のシンボルのひとつになれたらと思っています。今の百名伽藍を海側から見ると「モン・サン・ミッシェル」みたいな造りになるんですね。「モン・サン・ミッシェル」もフランスにあるというのは知られているのですが、フランスのどこにあるというのは、あまり知られていません。百名伽藍も日本にあるというのは知っているけど、調べたら沖縄というところにあったと。そう知っていただけることが、我々の理念の「沖縄の発信」につながります。沖縄のリゾート地といえば恩納村で、ハイクラスのホテルが数多くありますが、我々は我々の想いを体現した全く別のところでやろうと考えました。ホテルができるまで10年、開業して10年経ちますが、ちょうど20年前にこの地(南城市)を選んだのもそういった狙いです。

新村:その当時は20代ですよね?

渕辺:はい、そうです。その当時は特にですが、沖縄観光といえば、どこかバリ風、グアム風、ハワイ風を模造し、サイズを小さくしたようなものはたくさんあったのですが、「THE琉球」というような沖縄の歴史・文化を感じられるようなホテルはありませんでした。そしてこれは我々がやろうじゃないかということから、コンセプトづくりを始めました。場所は「琉球開闢の地」で神の島である「久高島」が見えて、その島から琉球を作った神「アマミキヨ」が降り立ったというここに決めました。土地を買うのもまぁ大変だったと聞いています。購入まで6年間かかっていますから。

新村:構想と土地の話で10年、開業して10年と考えるとまだ始まったばかりですね。また琉球王朝まで遡れば、まだ歴史の一コマにもなっていないということですね。

渕辺:はい、その通りです。私も子ども達が4人いますが、父とは三代、四代と続く構想をしており、絵にもしています。それを私の代でどこまで進められるかですね。足もとだけでなく後世に残せる、琉球への追求でもあり探究でもあります。そうすると、一代では到底終わらない。何十年、何百年かけてでもやっていこうと、そんな話をしています。また、「引き算の美学」を目指していこうと考えています。ホテルの名前でもある「伽藍」という言葉は、仏教用語で「空っぽだけどなんでもある」「ない物はない、あると思えばある」という考えのコンセプトです。経営や収益面を考えると難しいことも多いのですが、その「伽藍」をぶらさずにいこうとしております。

新村:日々鍛えられますね。足りないものは付け加えたくなるけど、引き算するというのは本当に難しいですよね。

渕辺:例えばですが、沖縄にはオリジナルなものに異文化のものを融合させて新しいものを生み出す「チャンプルー文化」というものがあります。「コーレーグース」は「高麗の薬」という語源などもその一例ですが、同様にホテル事業を通して、外の知恵を入れて新しい沖縄文化を作り出し、世界で通用する食材を作り出したいというのが課題ですね。それから「GARAN」という名前で、お土産として購入できるようなオリジナルブランドを作りたいとも考えています。例えば「泡盛の古酒(くーす)」やアメニティなど、沖縄の文化や素材を生かしたホテル発信の物品ブランドです。それが際立っているから、ホテルも際立つという、持ちつ持たれつの関係性の価値あるものを生み出したいです。また、それが次の私の仕事だと思っています。

百名伽藍

百名伽藍(株式会社ジェイシーシー)代表取締役社長 渕辺 俊紀(ふちべ としのり)

百名伽藍(株式会社ジェイシーシー) 代表取締役社長

渕辺 俊紀(ふちべ としのり)

1980年、鹿児島県生まれ。生後3週間で沖縄県移住後、沖縄県で育つ。2009年、株式会社ジェイシーシーに入社し、外食事業に従事。2010年にはホテル事業の立ち上げに携わり、2014年社長に就任し現在に至る。「沖縄の文化を広く、深く、正しく全世界に発信する」を企業理念に「食」を中心としたホテル・外食事業以外に、ブライダル・貿易・宅配事業などを沖縄県外で多岐にわたって運営。

百名伽藍

百名伽藍

沖縄県 > 沖縄本島(那覇・南部)

琉球創世神話の舞台として知られる神秘の地に、静かに佇む百名伽藍。青い海に臨み、樹木に包まれた白亜の城は旅人を優しく迎えます。