2017.12.25
目次
第34回 「プロデューサー」でありたい。元会社員の女将が語る、女将と宿のあり方。
みやじまの宿 岩惣 女将 岩村 玉希
江戸末期から宮島の歴史を見てきた「みやじまの宿 岩惣」。会社員の経験もある7代目女将が、女将としてのあり方、そして会社員の経験を持つ彼女だからこそできた工夫を語ります。
ゲスト
みやじまの宿 岩惣 女将
岩村 玉希
1976年生まれ。大学卒業後、TV局や銀行に勤めたあと、現在のご主人との結婚を機に宿泊業へ。2007年に「みやじまの宿 岩惣」7代目女将に就任。
インタビュアー
株式会社 Loco Partners 代表取締役副社長
塩川 一樹
1979年生まれ、立命館大学経済学部卒。株式会社ジェイティービーを経て、株式会社リクルートへ中途入社。旅行事業部にて、首都圏・伊豆・信州エリア責任者を歴任し約2,000施設以上を担当。2012年7月より株式会社Loco Partners取締役に就任。
第1章 人生を大きく変えた旅館との出会い
塩川:まずはじめに、女将のこれまでの歩みを教えていただきたいと思います。広島で生まれ、どのような学生時代を過ごされたのでしょうか。
岩村:わたしは引っ込み思案の目立ちたがり屋と言いますか、表現したいのだけども恥ずかしがり屋という面がありまして、中学から高校にかけてはずっとバンドをしていました。そして大学へ進学しまして、当時から接客業が好きだったこともあって接客のアルバイトを多く経験しました。
塩川:学生時代から、自分には接客業が合っていると思われていたのですね。そこから社会人なる段階で、どのような進路をとっていかれたのでしょうか。
岩村:当時、あるテレビ局がスタッフを募集していましたので、3年間ほどそこで勤めまして、それから銀行に転職しました。銀行では店頭での接客から事務まで、さまざまな仕事を経験しましたが、もともとそうやって人と話をするのが好きだったのだろうなと思っています。
塩川:旅館業に入られたきっかけは旦那さまとのご結婚だと伺っていますが、出会いのエピソードをお聞かせください。
岩村:もともとはお見合いのような感じで相手方の写真が送られてきたのですけれども、その写真が正面を向いたものではなく普通のスナップ写真でしたので、面白そうな方だなと思いましてお受けしました。そうしましたら結構気が合ったのです。10月にお見合いをしたのですが、11月には宮島が繁忙期になりますので、「結婚する気があるならお付き合いするし、しないのだったら断ってください」と言われたのですね。それならばということで、翌年の5月にはもう結婚していました。
塩川:旦那さまが家業の旅館のお仕事をしていることはご存知で、ご結婚され、旦那様の家業を手伝うようになったのですね。
岩村:そうですね。当時は旅館が何をするかも全然わかっておりませんで、だからこそ逆に結婚できたのかもしれません。2人で食事に行きましても、お客さまに何かあれば何時間も放っておかれました。それはお仕事柄、当然だろうなと思っていましたね。結婚して、最初はブライダルプランナーのような感じのところから手伝いをスタートしました。まだ神社での挙式が流行っていない頃でしたので、ポツポツ問い合わせがあるかなという感じで、お花なども当日に自分で活けるような手づくり感のある婚礼でしたね。
塩川:そこからだんだんと旅館業の真ん中に足を踏み込まれていかれるわけですが、ご苦労もあったのではないでしょうか。
岩村:最初は客観的に仕事ができたのでよかったと思っています。当時は義母が体調を崩していましたし、旅館自体の経営状態も大変なことになっていました。結婚したときに「うちはお金がないよ」と言われていたのですが、バブル前に新館を建てたときの負債が残っていまして、それがわたしたちが一生働いても返せないような金額だったのです。そして、ある日突然、銀行の方に呼び出されまして、宿の経営状態についての現実を突きつけられました。そこでわたしは悔し涙を流してしまったのです。
塩川:旅館業に入って早々にお義母さまが体調を崩され、宿の経営状態について現実を突きつけられてしまったと。そこから女将としての日々がはじまるのですね。
岩村:旅館へ入ってから14年が経ちますが、2007年に女将になってからは10年になります。女将になる1年前に義母が体調を崩し、わたしが表に出ていましたが、そのタイミングで娘も生まれましたのでいろいろなことが重なりました。
塩川:女将として旅館を引き継いでいく頃に母親になられて、日々難しさや大変さがあったと思います。どのように両立されていったのですが。
岩村:自分自身は両方を完璧にはできないと思っていましたので、あえて完璧にはしないようにと考えていました。ちょうどその頃、銀行のコンサルタントの方を含めた会議に出席しなければならなかったのですが、1歳の娘を誰にも預けるわけにはいかないので一緒に連れて会議に出たのです。しかし、連れてくるなと言われるのですね。子育てもわたしの仕事ですし、会議をないがしろにしようと思って連れてきているわけではないと伝え、両立をしてきました。
第2章 会社員を経験したからこそ見えたこと
塩川:テレビ局や銀行員など、会社員を経験したからこそ見える“旅館業とはどういうものなのか”を、岩村さんの視点からお聞かせください。
岩村:会社はシステムがきちんとできていますが、旅館業というのは仲居頭さんがいて、口伝えでお仕事をするというところが残っています。それがとても曖昧な部分もあったり、人によってやり方がまったく違うということもありますので、そのあたりを最初に整えなければいけないなと思いながらやっていましたね。
塩川:人が持っているノウハウは旅館のよさでもありますが、会社のようにシステム化してカバーするという部分も両立していったほうがいいのではないかと思われたのですね。
岩村:仲居さんをされていると分かると思うのですけれども、1人で布団をあげて布団を敷いて、料理を出してということをします。それをきちんと分業化したいと思ったのですね。これからは、就業時間を過ぎても一生懸命頑張ってくれるような時代ではありません。従来型ではいい人が入ってくれても長続きしないと思いましたので、布団の上げ下げはパートさんにお願いして、仲居さんにはその分、お料理の品出しやお客さまへのサービスに集中してもらうというように、1人でやっていたことを分業化しました。
塩川:母親として感じることや会社員としての経験から、いろいろなライフステージにある方々の働き方をコーディネートしていったという感じでしょうか。
岩村:最初ここへ来たときには70代くらいの仲居さんもいまして、布団を敷くのも大丈夫だろうかと心配になるほどでしたが、その方は今まで生きて経験してきた知識がありますので、そういう年配の方もいなければいけませんし、逆に若くてパワーのある人たちもいなければいけません。当時は若い人がまったくおりませんでしたので、少しずつ若返りを図っていきました。
塩川:女将になられて感じた重責や、一方で楽しさもあったと思うのですが、岩村さんはどのように感じられましたか。
岩村:わたしは表に出てこれをやりましたよというよりも、自分が考えたことを裏から見ていて、それを喜んでくれているときが一番嬉しいですね。女将にはいろいろなタイプの人がいると思うのですけど、わたしはプロデュースするのが好きなので、表に出るというよりも裏側の仕組みを考えることの方が楽しいですね。
塩川:現在、岩惣の歴史が163年続いてきた中で、女将として10年が経ちました。岩村さんが女将になられてからのお客さまもいらっしゃれば、もちろんその前からのお客さまもいらっしゃると思います。
岩村:そうですね。自分が生まれる前から泊まりに来てくださっているお客さまもいらっしゃって、昔のことをよく教えていただきますね。ここに鶴が飛んできていたのだよ、ということから、こういう著名人が岩惣に泊まっていたのだよといったお話まで聞かせていただきます。
第3章 女将が語る岩惣、宮島の魅力とは
塩川:岩惣のある宮島の魅力について教えてください。
岩村:宮島では、島に渡るだけで日本を凝縮したような歴史、文化、自然を一度に味わうことができます。雨は雨で趣がありますし、雪の日もとても綺麗です。どのお天気もどの季節も、さまざまな楽しみ方をこの小さい島の中で体験していただけるのが魅力です。
塩川:では、岩惣の魅力はどこにあると思いますか?
岩村:やはり、建築ですね。時代によって建てられたものが違いますので、大正、昭和、平成と、時代による違いを楽しんでいただけます。建具ひとつをとりましても、大正には柱も少し曲がった、歪んだものを使っていることが多いのですけれど、昭和になりますと書院造のすっきりしたデザインになってきます。また、公園地の中にある宿というのも珍しいかもしれないですね。
塩川:岩惣はお部屋も魅力的でだと思うのですけれども、すべてのお部屋を泊まりあるくといった楽しみ方もできそうですね。
岩村:そうですね。全ての離れに泊まってみたいということで、1年に1部屋ずつ泊まられる方もいらっしゃいます。1回目はみなさん宮島観光をされて、2回目、3回目で山に登られたり、神社で催されるお能などのイベントに行かれたりとアクティブに過ごされますね。
塩川:近頃では海外の方、特に欧米の方が増えてきているということですけれども、そういう方々は岩惣のどういったところを気に入られるのでしょうか。
岩村:海外の方が増えてきた当初は、岩惣も欧米スタイルに合わせた方がいいのだろうかと思ったのですけれども、あえて海外の方に合わせずに、日本文化の中での宿泊を体験してもらおうと、日本の旅館のスタイルを残しました。かえってそれがよかったようです。
第4章 女将のありかた、そしてこれからの岩惣
塩川:全く違う業界から旅館に入られて、お義母さまから女将業を習われたのですか。
岩村:最初の2,3年ほどは義母と一緒に仕事をしていましたので、そのときに教えてもらったことが今の基礎となっています。例えば、最初は仲居さんの補助としてお手伝いをしていたのですが、だんだんと仲居さんの動きになってしまっていると。あなたは女将になるのだから、それを自分で意識しながら仕事をしなければいけないと言われたりしました。普段の生活でも女将として見られるのだから、ということは教えられました。
塩川:女将としての心の持ち方を教わったのですね。
岩村:作法などについては、1つひとつにマニュアルがなかったのですね。マニュアルはよくないと言われますけれども、やはり基本がきちんとできたうえでのそれぞれのおもてなしですので、布団の上げ方ですとか、お料理の出し方ですとか、いちいち細かく写真を撮って順番に説明して、義母が言ったことをかたちにしました。
塩川:マニュアルに沿った基礎ができたうえで、いろいろな個性の出し方をしていきましょうということですね。おもてなしに関することで特に気をつけていらっしゃること、意識されていることはありますか。
岩村:お客さまによっては、そっとしておいて欲しいという方もいらっしゃると思いますので、様子を見て会話をしてくださいということをスタッフには伝えています。実は明日朝が早くてね、ですとか、ここに行きたくてね、という話につながったら、そこからお手伝いできることが見えてきますので、お客さまの要望を会話の中から探し出すのです。
塩川:お客さまの滞在をよりよくする、パートナーというスタンスですね。
岩村:とにかく宮島の場合は1日でいろいろと回らなければいけませんので、宿の滞在時間は他の旅館に比べて短いと思うのです。ですからどんどん出かけてくださいという感じで、宿だけでなく宮島を楽しんでいただけるお手伝いができればと思っています。プロデュースという意味でのマネージャーになりたいと思っています。
塩川:マネージャーでもあり、お客さまにとっての母親という印象も感じます。そう思うと、気構えて来ていただくというよりは、気楽な気持ちで訪れていただきたいですね。
岩村:アンケートにも、「意外と話しやすかった」ですとか、こちらにはそういうつもりはなくても格式高さを感じられる方が多いようなのですが、気軽に来ていただいて、どんどん要望を投げかけて欲しいですね。
塩川:今後の岩惣や、女将の未来への展望があればうかがいたいと思います。
岩村:茶屋の2階をちょっとしたラウンジにするなど、くつろぎのスペースをお部屋の中だけではなく、旅館の中にもっと広げていきたいというふうに思いますね。そうしたハード面での夢が叶いますと、また楽しみ方が増えるかなと思います。もう1つは、観光ガイドではありませんけれども、コンシェルジュのような人が常にいる環境をつくりたいと思っています。
塩川:この場で楽しんでいただきたいという気持ちをいろいろなサービスに転化していくということですね。最後に、岩村さんが思う女将業とはどのようなものか、お聞かせください。
岩村:女将の考え方や働き方はみなさんそれぞれに違いますが、わたしはプロデューサーでありたいので、いろいろと楽しんでいただけるようなことを考えて、裏でサポートするというイメージです。女将の仕事の内容は、いろいろあるようでぼんやりしています。ですから、これが正解というのは別にないのだなと思いますね。
塩川:女将の人柄が宿の雰囲気にあらわれていくのかも知れませんね。本日は貴重なお話をありがとうございました。
写真:杉原 恵美 / 文:宮原 とも子
みやじまの宿 岩惣 女将
岩村 玉希
1976年生まれ。大学卒業後、TV局や銀行に勤めたあと、現在のご主人との結婚を機に宿泊業へ。2007年に「みやじまの宿 岩惣」7代目女将に就任。