2017.12.24
目次
第33回 「本物の魅力」を伝えていく――。伝統ある湯宿を改革した4代目社長の想い。
有限会社奥津荘 代表取締役 鈴木 治彦
90余年の歴史を持つ湯宿、「名泉鍵湯 奥津荘」。この宿が持つ魅力や、人材に対する想いを語っていただきました。
ゲスト
有限会社奥津荘 代表取締役
鈴木 治彦
1978年、岡山県出身。料理の専門学校を卒業後、旅館業以外の様々な職種を経験。地元・奥津温泉に戻り、2013年に「名泉鍵湯 奥津荘」の4代目社長に就任。
インタビュアー
株式会社 Loco Partners 代表取締役副社長
塩川 一樹
1979年生まれ、立命館大学経済学部卒。株式会社ジェイティービーを経て、株式会社リクルートへ中途入社。旅行事業部にて、首都圏・伊豆・信州エリア責任者を歴任し約2,000施設以上を担当。2012年7月より株式会社Loco Partners取締役に就任。
第1章 「継がない」が生んだ成功体験
塩川:幼少期から青年期に至るまで、鈴木さんは家業についてどのような思いを持っていらっしゃったのでしょうか。
鈴木:幼少期、従業員や地域のみなさんからは、わたしが長男というだけで「あなたは跡取りだ」と接してこられたので、無意識に旅館を継がなければいけないという気持ちがありました。自分には「職業の選択がない」ということに対して、葛藤した時期はありましたね。
塩川:旅館を継ぐかもしれないということを頭の片隅に置きながら成長されて、しかし高校を卒業されてからは地元を離れていらっしゃいますね。
鈴木:料理の専門学校に進学するために福岡に行きまして、卒業後はイタリアンレストランで働いていたのですが、退職して東京に引っ越しました。東京では3年間過ごしたのですが、最初はアルバイトを転々とし、1年ほどしてスポーツ用品を扱う会社に就職したのです。そこで新店舗の立ち上げスタッフとして2年ほどを過ごしていたのですが、父親が癌になりまして、地元に近い鳥取の店舗への異動を願い出ることにしました。
塩川:お父さまのご病気がきっかけで、地元に戻ることになったのですね。
鈴木:はい。それまで自分はまったく仕事ができずにいましたので、異動の機会をクラス替えや転校だと考えて、「できる社員」になろうと思ったのです。ちょうどそのとき、チェーン全店対抗のランニングシューズの販売競争があったのですね。これはチャンスだと思いまして、全国1位を狙うことにしたのです。パートやアルバイトのスタッフは、「自分たちの店は田舎だし、都会のお店に勝てるわけがない」とやる気がなかったのですが、ここはライバル(競合他社)がないエリアだからやれば勝てると鼓舞しました。
塩川:その販売競争では見事1位を勝ち取ることができたのですか。
鈴木:はい。それを機に、やればできるのだという意識がスタッフの間に芽生えていったのです。それ以降、自分が在籍した2年間、プライベートブランド商品の販売競争では、日本一の販売員を鳥取店から輩出しました。
塩川:スタッフのやる気を引き出すために、どのような工夫をされたのですか?
鈴木:例えば自分たちが売っている商品を職人さんがどういう思いでつくっているのか、実際に工場に見学に行ったことがあります。熟練の職人さんたちがちゃんとつくっておられる現場を見て、パートスタッフが「自分たちがその思いを伝えてしっかり売らなければ」という気持ちになって、モチベーションになるわけです。自分が異動してきてから2年後、年商は異動当時の2倍近くにまで成長しました。
第2章 「温泉は」を「温泉も」に変えるために
塩川:地元へ戻られて2年少々、いよいよ実家へ戻られるタイミングがくるわけですが、どういったきっかけがあったのでしょう。
鈴木:それは奥津荘の改修のタイミングでした。それまで10年近く、毎年修繕として数百万をかけてきましたが、修繕では間に合わないほど老朽化も激しいので、そろそろ全面的に改装しようと思うと親から言われたのです。それで銀行からの借入れをどう返済していくのだろうと思いました。今の親の考え方で経営していたらきっと奥津荘はなくなっているだろうと。そこで、26歳で奥津荘に戻ることに決めたのです。その頃から、会社の休日と業者さんとの打ち合わせの日をあわせまして、ここはこうしたい、ああしたいというのを素人ながらに口出しさせていただいて、というところからはじまりましたね。
塩川:実際に奥津荘に戻られて、どのような心境だったのでしょうか。
鈴木:最初に気になったのは、チェックアウトされるお客さまがおっしゃった「温泉はよかったよ」という言葉でした。「は」ということは、それ以外はよくなかったというのが心の中にあるのかなと思ったのです。奥津荘の場合は温泉がいいのは当たり前で、その部分しか評価されないということがとても悔しかった。「温泉は」を「温泉も」に変えたいと思いました。
塩川:そのために、どのようなことをされたのでしょうか。
鈴木:奥津荘に戻ってから、最初の2年間で170軒の旅館を回りました。それを通して、奥津荘との差、逆に奥津荘との共通点を知りたいと思ったのです。自分がいいと思ったからには、その旅館には絶対に何かしらのヒントがある、それを解明したいということで歩き回りました。
塩川:奥津荘の変革のために、北から南まで2年間で170軒を回られたのですね。そこで見えてきたものはありましたか。
鈴木:ありますね。出会いもありました。
塩川:そこで知見が広がり、出会いがあり、自分たちの強みや弱みが見えてきて、どうしたら業界をよくできるかという発展的な話しになっていくのですよね。
鈴木:当初はそれぞれが自分の宿をどうするかということばかりでしたが、だんだんとそういった話になっていきましたね。そうした中で出会った業界の先輩から、一の宿倶楽部(個性ある小規模旅館のコンソーシアム)に加盟している宿のメンバーで研修旅行に行くので、一緒に学びに行こうとお誘いいただきまして、同行させていただき当時のメンバーのみなさんと初めてお会いしました。そこからのご縁が、今もずっと続いています。
第3章 「本物の魅力」を伝えるということ
塩川:そうしたご縁の中にいろいろなヒントや気付きがあって、ご自身の手で奥津荘の変革をしていかれたのですね。
鈴木:そうですね。足し算と引き算の繰り返しで変革をしてきました。
塩川:その後、鈴木さんはどのタイミングで社長に就任されたのでしょうか。
鈴木:奥津荘に戻ってちょうど10年が経ったときですね。自分から社長を代わってくれという話をしました。親は、自分が奥津荘に戻ってきても、ああしろこうしろということを一切言いませんでした。これは中学の頃のことですが、試合でいつも他のチームメイトには指示を出すサッカー部の監督が、わたしにだけ何も言わないのですね。先生に「なぜ自分にだけ何も言ってくれないのか」と聞きましたら、「お前は自分で考えて動く方がよさが出る」と言われたのです。親が今まで自分にああしろこうしろと言わなかった10年間は、この監督と同じ気持ちだったのだろうなと気がつきました。
塩川:社長に就任されて、ご自身の宿のみならず旅館業界を盛り上げるにあたっての奥津荘の立ち位置、役割などを考えられるようになったのではないですか。
鈴木:奥津荘の宿の強みは、誰がどう見ても温泉です。奥津荘の地域とすれば、この自然からの恵み、どこにもないであろうこの温泉をいかに大切なものとして扱って、その素晴らしさを伝えていくかということですね。本質はこうだよということを伝える役割があるのかなとも思います。温泉についていえば、まったく酸化されていないということが一番の強みです。それに加えて、入浴に適温の42〜43度で湧き出してくるということが奇跡の温泉と言われる所以ですね。
塩川:自然の恵みに感謝できるということも、温泉の持つ力ですね。
鈴木:この十数年でひとつだけ分かったのは、自然には勝てないということです。いくらいい宿にしてやろうと思ったところで、この温泉以上のものは人工的には作り出せません。だからこそ、お客さまもこの自然そのものを求めて奥津荘に来られると。そして、我々のサービスも自然体であることで、この宿全体の調和を取っているなと、そう感じました。
塩川:お客さまが本当に求めるものは、本物の持つ魅力や自然にあるのですね。
鈴木:十数年前のデザイナーズ旅館というものは、その土地に由来のない県外の設計事務所が、他の地域の案件で余った材料を次の案件にまわしたりするので、同じような宿ができてしまうのですね。まったく土地のカラーが出ていないことが多いなと感じていたのです。奥津荘はそうではないなと思いました。
第4章 「日本人のDNA」がつくる、100年目の奥津荘
塩川:宿を運営していく上では人材がとても重要なポイントになると思いますが、人材に対する考え方をお聞きしたいと思います。
鈴木:先ほど申し上げましたように、自然体ですよね。わたしは取ってつけたように使われる“おもてなし”という言葉はあまり好きではなくて。そうした言葉に頼らずとも、日本人のDNAの中には生まれ持った“おもてなしの精神”があるはずなのです。それぞれが持っている自分の思いを相手に伝えることの方が、この奥津荘や、奥津という地域にマッチすると思いますし、こちらがこうしてくれ、ああしてくれと言って押し付けたマニュアルではなくて、本人の中から自然に出てくる思いを表現してもらいたいと思っています。
塩川:ご自身の個性でお客さまを迎えてくれれば、それで十分だという考えなのですね。
鈴木:これはスポーツ用品の社員時代から一貫していますけれども、職場というものはプライベートの自分とは違う役を演じる舞台だと思っています。職場という舞台で思い切り素の自分を出す役者もいれば、つくった役柄になる役者もいる。とにかく、「旅館のスタッフ」という役を演じ、どうしたら自分が楽しくなるかということは自分自身で考えてくれと伝えています。
塩川:お客さまへの接客は、内発的に出てくる動機によって自分の考えでしてくれたらいいということですね。
鈴木:そうですね。常連のお客さまは、奥津荘の三種の神器は、まず温泉。その次に料理。そして、一番の宝がスタッフだとおっしゃいます。全国の宿に行かれるお客さまから、「奥津荘は人がいいのだ。それが安心して来られる理由だ」とよく言われます。他の宿に泊まってみても、そこで働いている人たちが幸福感を感じていなければ落ち着かないですし、ギスギスしている雰囲気を感じれば無意識にマイナスになりますね。
塩川:奥津荘は「日本 味の宿」(その土地らしさを表現した味わい深い宿が集まったグループ、以下味の宿)に加盟されています。この活動の思いや背景をお聞かせください。
鈴木:「味の宿」には現在34軒の宿が加盟していますが、一定の基準を満たしている宿ですので、安心してお客さまをご紹介することができます。この34軒には、うちの温泉と同じように、「本質」というところをしっかりやられているところがありますね。お客さまとのマッチングが重要な我々の業界ですが、業界の地位を向上させることで、就職したいという人が増えてくれば労働力の底上げにもなりますし、「泊まりたい」につながってきます。
塩川:自分の宿だけへの思いというよりも、頑張っている宿同士が集まって業界全体を底上げしようということですね。最後に、奥津荘と鈴木さんの未来への展望を教えていただきたいと思います。
鈴木:奥津荘は2017年で90年、あと10年でちょうど創業100年を迎えます。100年経てば99年目とは違った見られ方もするでしょうし、自分たちも違う思いが出てくるでしょう。建築的、歴史的な価値も含めて、100年という価値はしっかりとかみしめたいと思います。それに向けて、例えば酸味の強い味にするのか、辛みが強い味にするのかというところがこれからの10年の仕事です。今まで90年続いてきた中で、変わったものもありますが、本質は創業者が描いたことと変わってはいないのかなと思っています。100年経っても150年経っても本質的な部分を変えずにいれば、いろいろなものとの調和、バランスが取れると思うのです。
塩川:継承していく喜びや重みが、そこにはありますね。本日はありがとうございました。
写真:杉原 恵美 / 文:宮原 とも子
有限会社奥津荘 代表取締役
鈴木 治彦
1978年、岡山県出身。料理の専門学校を卒業後、旅館業以外の様々な職種を経験。地元・奥津温泉に戻り、2013年に「名泉鍵湯 奥津荘」の4代目社長に就任。
岡山県 > 津山・美作三湯・蒜山
「鍵湯」と呼ばれる源泉かけ流しが自慢の極上の湯宿、名泉鍵湯 奥津荘。和風でありつつどこか現代的な、伝統あるこの宿で、歴史を肌で味わう旅はいかがですか。