2016.08.19
目次
第21回 すべての宿に個性を。一の坊グループが手がける「十宿十色」の滞在
株式会社一の坊 代表取締役(2021年現在会長就任) 髙橋 征太郎
「人と同じことをしない」という理念のもと、数々の個性的な宿を手がける一の坊グループ。土地に合った宿のコンセプトや、おもてなしの形を語っていただきました。
ゲスト
株式会社一の坊 代表取締役(2021年現在会長就任)
髙橋 征太郎
1964年に仙都国際観光株式会社 代表取締役へ就任。1989年に同社名を株式会社一の坊と改める。宮城県内に4つの温泉リゾートと2つの飲食店、美術館を経営。
インタビュアー
株式会社 Loco Partners 代表取締役副社長
塩川 一樹
1979年生まれ、立命館大学経済学部卒。株式会社ジェイティービーを経て、株式会社リクルートへ中途入社。旅行事業部にて、首都圏・伊豆・信州エリア責任者を歴任し約2,000施設以上の担当を歴任。2012年7月より株式会社Loco Partners取締役に就任。
多角経営で気づいた「商売の本質」
塩川:まずは高橋社長の生い立ちなどを伺いたいと思います。もともと、今のように旅館業を営む家に生まれたのですか?
高橋:私が小学生の頃、昭和23年に国鉄の職員だった父が脱サラして旅館をはじめたのです。当時、父になぜ旅館を始めようと思ったの?と聞きましたら、仙台には「接待のための場所」がとても少なかったからというのが、その理由だったのだそうです。それで、宿泊もできて接待の場所にも使えるという都市旅館のようなものを始めたのです。それから、縁あって作並温泉にあった米軍の保養施設を手に入れ、温泉旅館にしたのです。父は48歳のときに脳梗塞で半身不随になってしまいまして、54歳で亡くなったわけですけれども、親のそうした姿を見ていましたので、「これは私が跡を継がなければいけないな」と思いました。
塩川:地元の高校を卒業されたあとは東京に出られたと伺いました。
高橋:父は体が不自由ながら「東京の水を飲んでこい」と言ってくれましたので、東京の大学へ進学しました。卒業後は1年間、現在の「新橋第一ホテル」で研修生として働いたのです。ウェイター、バーテンダー、調理場からフロント業務、ドアマンなどもさせていただきました。1年間という期限が決められた研修でしたので、1ヶ月ごとに部署をかわり、様々な経験を積ませていただきました。そうしているうちに父が亡くなりまして、26歳で株式会社一の坊の社長に就任することになりました。実はその2年前に、父が立ち上げた作並温泉の旅館が火災で全焼しまして、鉄筋コンクリートへの建て直しが進んでいたのです。父が亡くなったのが8月で、建て直し後の新築
オープンはすぐ後の10月予定だったのですが、社長に就任したばかりで何の実績もない私は、銀行からの融資を受けるにも大変苦労をしました。
塩川:ホテルでの研修を経て、いよいよお父さまの跡継ぎとして旅館の運営に携わることになったのですね。突然の社長就任で、どのように事業を推進されたのでしょうか。
高橋:当時は旅館のほかに映画館や自動車学校、動物園や飲食店なども経営していたのですね。ちょうどブームに入る前にボーリング場を建てまして、これが大人気となったのです。ボーリング場は私が案を出したものでしたので愛着を感じながら運営していたのですが、ブームが過ぎて閉館することになってしまったのです。それで、「流行りものは寿命が短いな」ということを思ったのを覚えています。
塩川:旅館以外にもさまざまな事業をされていたのですね。そこから、どのようにして旅館業に本腰を入れることになっていくのですか?
高橋:ボーリング場を開くときに、東京でボーリング場を経営している方にいろいろなことを教わったのですが、その方が「楽をして儲かるものは長続きしないんだよ」とおっしゃっていたのですね。楽して儲かるものは誰でもやりたがるので、必ず競争が激しくなるのです。そして、儲かるものも儲からなくなっていくというようなことを言われたのですが、ボーリングが下火になってはじめてそれを実感しました。そのうちにテレビが普及して映画館は消えていき、アイススケート場も競合店ができ、一の坊には旅館が残ったのです。旅館はお客さまの滞在時間が長く過ごし方も複雑で、進化や改善のためにやることはいっぱいあります。それがきっかけで、一の坊として旅館業をメインに営むことになりました。
「人間臭い」経営スタイルと「高級宿」への挑戦
塩川:お父様が始めた多角経営の中で、商売の本質に気づかされたのですね。
高橋:そうですね。うちの父も脱サラで、誰もなり手がないというので都市旅館をはじめたのですけれども、私もやはり旅館しかなくなってしまったときに松島に土地を求めたのですね。うちは松島で動物園もやっていたのですが、こちらも経営が追い込まれていました。しかし松島とつながりを残したいので、売りに出た土地を買ったのです。数年後、その土地を買って旅館をやりたいという方が現れまして、1万坪のうち半分を売ってわたしも隣で旅館をしようかと考えたのです。しかし、自分が土地を売った人と隣で競争するのも馬鹿げた話だと思い、結局やめてしまいました。
塩川:隣人と競争するのは馬鹿げているというお考えから、高橋社長の「人間臭さ」を感じます。ブルーオーシャンといいますか、既存のものを改善してさらに価値を高めることで、ご自身の領域を広げていこうという発想をお持ちなのではないかという気がします。
高橋:例えば、遠刈田の「温泉山荘
だいこんの花」がオープンして13年になりますけれども、実はあの土地はそのさらに10年前には土地を取得し終わっていたのですよ。そこで旅館をオープンする計画が持ち上がったときに夏、秋ときて、雪が降り積もる真冬にはどうなるかも見ておいた方がいいということで、年に2〜3回ずつ設計の先生と遠刈田の土地を訪れました。昼間の土地を見ただけでは分からないから、遠刈田温泉の宿に泊まってみたこともありましたね。そんなことがありまして、最初は採算性は考慮せずに自炊で滞在する湯治型の宿を考えていたのですが、私は26歳で一の坊の社長になったものの、温泉旅館の経営者としては素人だったのですね。結局、採算性を考慮していない宿ではなく、採算性を考慮したうえで戦略的に、いわゆる「高級宿」として運営することを決めました。
塩川:当初の理想と現実を見て数字を合わせていったところ、高級宿という未知の領域で勝負をすることになっていったのですね。
高橋:そうですね。当時は似たタイプの宿へ宿泊して、施設の規模、宿づくりをするうえでの理念、サービスの方法など、さまざまなことを勉強させていただきました。「無」からは何も生まれませんよね。皆さんお互いにアイデアを参考にし合ってアレンジするというのは、宿屋だけではなくてメーカーも同じです。ただ、宿は1泊数万円のお金を払えばその中身を見ることができますが、メーカーでは実際につくっているところに入っていくというのはできません。その意味で、実際に宿に泊まって研究をするというのは、非常に勉強にもなりますし、実のある結果につながりました。
人と同じことをしないという理念
塩川:株式会社一の坊ではそれぞれに個性のある旅館を4店舗運営されていますが、企業としての共通のコンセプトはどのようなものですか?
高橋:それは非常に簡単で、一の坊の経営理念にもとづいているのです。すべてが違いだよ、すべてが個性だよということで、「人と同じではなく、違いを明確にしよう」ということを掲げているのですけれども、そういう意味では同じ一の坊であっても、4軒それぞれに違いを出さなければビジネスホテルチェーンのようになってしまい、理念に反することになります。
塩川:それぞれの違いを出すということですが、具体的にどのような部分で差別化を図っていらっしゃいますか?
高橋:お客さまの快適さ、社員の働きやすさ、それから4軒それぞれの違いを共有することですね。特に、その土地の環境に合う宿をつくるということにはこだわりを持っています。例えば、作並温泉の「ゆづくしSalon 一の坊」は山あいの種類豊富な温泉という環境、「松島 一の坊」はオーシャンビューの眺望、そして「温泉山荘
だいこんの花」と「ゆと森倶楽部」は森の緑に包まれた環境ですね。「顧客と社会に元氣を提供しよう」という考えのもと、こうした環境を活かした宿をつくることに努めてきました。
塩川:お客さまの快適性と社員の働きやすさを追求しながら、環境に合わせて宿の個性を出しておられるのですね。一方で、東北という土地や地域に対してはどのような思い入れをお持ちなのでしょうか。
高橋:あえていうならば、お祭りへの参加で地域貢献をしたいと思っています。仙台では5月に「青葉まつり」というものがありまして、そこで開催されるすずめ踊りの大会には「ゆづくしSalon 一の坊」の従業員が14年連続で参加しています。秋には「松島
一の坊」の従業員が「みちのくYOSAKOIまつり」へ参加するなど、皆それぞれに練習を重ね、「一の坊」の半纏を着て宮城のお祭りを盛り上げています。
一の坊グループ、それぞれの持ち味とその未来
塩川:最後に、今後の展望を伺いたいと思います。
高橋:私たちの宿にお越しになる方は、どちらかといいますと地元のお客さまが多いのです。「温泉山荘 だいこんの花」は半分、作並温泉の「ゆづくしSalon
一の坊」は7割ほどが地元から来られます。そうした方々を含め、利用者みなさまのライフアップのお手伝いをしたいと考えています。具体的には、1泊で帰るのではなく、2泊、3泊と滞在できる環境を提供できたらと思いますね。当然、料金はお手頃で、毎日ごちそうをご提供するというわけでもなく、小さな別荘のような使い方ができる宿があれば理想的なのではないかと思っています。
塩川:現代の忙しい社会に揉まれている方々に、ゆっくりと過ごせる時間を提供されたいということでしょうか。
高橋:現役で働いている方は時間がない、休みがないというハードな状況で、旅行といえば結局は週末になってしまいます。ですから、まずは我々が有給休暇を全て消化できるような会社にならなければと思いますね。一の坊もそうした問題をまだ完全には越えられていませんけれども、働くときは働いて、休むときは休むというメリハリをつけて、ゆっくりと滞在していただけたらと思いますね。忙しい方にほどお泊りいただきたいです。
塩川:幅広い事業展開をされてから宿に行き着かれて、お客さまにはどのようなサービスを提供されたいとお考えですか?
高橋:おもてなしのかたちにもさまざまありますが、一の坊の宿では自由に滞在していただきたいと思っています。例えば「ゆと森倶楽部」では、滞在中のアクティビティやお飲み物などがすべてオールインクルーシブのスタイルをとっており、チェックインしますと森の散歩という企画に参加することができます。そこから戻ってきますと暖炉の前でコーヒーやアルコールを含むフリードリンクを召し上がっていただいて、週末の夜には暖炉ライブがあり、朝は従業員がインストラクターになりましてヨガをするのです。こうした企画の中からお客さまに参加していただきたいものを自由に選択していただき、自分なりに楽しんでいただくのです。
塩川:環境をいかした一の坊の各施設が、それぞれの個性でお客さまに優雅な時間を提供するということですね。具体的には、どのようにしてそんな空間をつくられているのでしょうか。
高橋:「ゆと森倶楽部」は蔵王国定公園内にあり、緑に囲まれたこの環境も1つの大きな特長です。大人の森林温泉リゾートということで、9名様以上のグループと小学生未満のお客さまは宿泊をお断りしているのですが、それはお客さま同士で気兼ねなく同じ価値を共有していただきたいという考えからなのです。静かに落ち着いた空間の中でゆったりとお過ごしいただけたらと思っています。「温泉山荘
だいこんの花」は18室ある全室が離れの造りですので、アニバーサリーなど節目の時に使っていただけたらと思います。作並温泉は個人客の方に向けた宿ですので、「ゆづくしSalon 一の坊」という名のとおり「湯」を1つのサロンに見立ててくつろいでいただきたいですね。また、「松島 一の坊」は「眺望洗心」をキャッチコピーとしていますので、松島湾の雄大な眺めに心を洗われる体験をしていただけたらと思います。
塩川:それぞれの施設で、その土地の普遍的な表情を見て欲しいということに尽きるのですね。本日はお話をお聞かせいただき、どうもありがとうございました。
写真:熊谷 憲昭 / 文:宮本 とも子
*ゆと森倶楽部のアクティビティは一部有料のものもございます。
株式会社一の坊 代表取締役(2021年現在会長就任)
髙橋 征太郎
専修大学卒業。1961年に東京第一ホテルに入社後、1964年には仙都国際観光株式会社 代表取締役に就任。その後、1989年に同社名を株式会社一の坊と改め、代表取締役に就任。宮城県内に(仙台・松島・遠刈田)4つの温泉リゾートと2つの飲食店、美術館を経営。
*ゆと森倶楽部のアクティビティは一部有料のものもございます。