Relux Journal

有馬でしかできない体験を提供することで、独自の世界観を築いてきた「御所坊」。コンセプトありきの空間づくりや、素材にこだわった食について語っていただきました。

ゲスト

陶泉 御所坊 第15代目当主 金井 啓修

陶泉 御所坊 第15代目当主

金井 啓修

1955年、有馬町生まれ。1981年に御所坊を継ぎ、15代目 金井四郎兵衛を襲名。2010年、国土交通省「観光カリスマ」に指定2016 年に有馬温泉観光協会長に就任。

インタビュアー

株式会社 Loco Partners 代表取締役(当時) 篠塚 孝哉

株式会社 Loco Partners 代表取締役(当時)

篠塚 孝哉

1984年生まれ。07年株式会社リクルート入社、11年9月に株式会社Loco Partnersを設立し、代表取締役に就任。2013年3月にReluxをオープン。趣味は旅行、ワイン、ランニング、読書など。

有馬の変化を見つめながら

有馬温泉 陶泉 御所坊

篠塚:金井さんが家業である旅館を継ぐまでには、どのような道筋を辿られたのでしょうか?

金井:学生時代、海外へ行きたいという思いが強くあって、フランス語を1から学んでフランスに行こうと考えたのですね。そこで、まずは料理学校へ行ってからフランスへ行けば、語学も料理の勉強もできて一石二鳥だと思ったのです。家業の旅館を手伝っていたこともあり料理学校へ進んだのですが、しばらくしてから、今度はサービスに興味を抱きました。実はホテル・ニッコー・ド・パリがオープンするときの最初のスタッフに採用されていたのですが、いろいろありまして有馬と姉妹提携を結んでいる北海道の定山渓温泉へ行くことになりました。定山渓の旅館には見習いという形で入ったのですが、当時はまだ旅館業を継ぐ気はなく、実家に帰ることも考えていなかったのです。

篠塚:サービス業に興味を持ちながらも、その当時は、まだ家業を継がれるご予定はなかったのですね。

金井:はい。当時は清里や白馬のペンションですとか、観光地でいうと萩、津和野などが人気だった時代で、若い子を有馬のような温泉地へ連れて行っても喜ばれませんでした。カップルでの旅行というと「私をスキーに連れてって」の世界で、温泉地に行くなんてダサいと言われるような時代だったのです。

篠塚:1980年頃はそういう時代だったのですね。その頃に北海道から戻ってこられたのでしょうか?

金井:1977、78年頃に有馬に戻りました。そして1981年にケーキ屋をつくったのですね。その頃には「オヤジギャル」という言葉が流行りまして、女性も縄のれんの立ち飲み屋に出入りするようになったのです。それまでは、温泉といえば男性が消防団の旅行で訪れる場所だったのですが、徐々に女性が来るようになりました。

篠塚:北海道から有馬へ戻られて数年後に客層に変化が現れ始めたのですね。客層の変化が起きると需要も変わってくると思いますが、他にはどんな取り組みをされたのでしょうか。

金井:有馬に戻り、最初にテニスクラブも作りました。テニスクラブを作ると、若い人が来ます。テニスをしたら汗をかくということで、若い人が温泉に入ってくれるようになりました。温泉に入るとちょっと1杯飲みたいですよね。それから、湯上がりの1杯が飲める居酒屋を作ろう、さらに女性がひと休みできるケーキの食べられる喫茶店を作ろうと、そういう発想でハード面を揃えていきました。

篠塚:そうして発想をつなげて事業を拡大されていく中で、これは大変だったというエピソードはありますか?

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金井:当時開催された淡路花博で、物販をすることになった際のことです。何を売るか検討している際に、ちょうどドイツのおもちゃメッセにて「これはいけるのではないか」と思えるおもちゃを見つけて、1コンテナ仕入れたのですよ。それを淡路花博の物販に出してみると飛ぶように売れまして、オープンして2ヶ月後には在庫が尽きそうだったのです。そこであれもこれもと1コンテナ分の追加注文をしたら、3ヶ月後には客足ががくんと落ちて、在庫が丸々残ってしまいました。そのときの儲けは全部なくなってしまったのですが、輸出入には興味がありましたので、今は韓国に有馬サイダーを輸出する事業も行なっています。また、旅館というのはインテリアや食など、いろいろなものにつながります。例えば、少し前にデザイナーズ旅館やホテルが流行りましたよね。私もデザインが好きでしたので、事業とは異なりますがデザイナーに教えてもらいながら一緒にデザインに取り組んでいます。

「コンセプトありき」の旅館づくり

篠塚:金井さんの中で、有馬という地に対しての思いはどのように芽生えていったのですか?

金井:最初は否定的だったのですが、有馬に帰ることになりまして、そうするとそれまで嫌だった場所を、今度は自分が住みたい場所にすればいいと考えたのです。御所坊は20室ほどの小さな宿ですので、有馬に来られる観光客のうち10%に御所坊を選んでいただけたら、毎日満室になるわけですよね。そう考えれば思い切ったことができます。ですので、あえてニッチなマーケットに進んでいったわけです。

篠塚:自分が否定的に思っていた場所だからこそもっとよくしよう、というのが根源だったのですね。その中で、御所坊のブランドコンセプトはどのようにして作られたのでしょうか?

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金井:御所坊では、ターゲットとするお客様のイメージを固めるうえで、ある美術作家の方をペルソナに据えています。御所坊はご飯を固めに炊いて出しているのですが、それはペルソナの美術作家の方の好みに合わせているからです。何かを検討する際は、ペルソナに照らして答えを考えるようにしています。

篠塚:100人なら100人、すべての方の好みに合わせるのではなく、御所坊が大切にしているコンセプトやペルソナ像から判断されるのですね。

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金井:はい。だから必ずしも100人が満足するものではありません。しかし、その方に合えばものすごく価値のあるものになりますよね。そうした仕掛けを、ご飯だけでなく、他にも2つ、3つと共感を得ていただけたら、お客様には御所坊に宿泊することに価値を見出していだだけます。御所坊のデザインというのは特に尖っているのですよ。好き嫌いが激しいわけですが、それを上手く使いこなしているとデザイナーの方は思ってくださるのです。だからこそ、日本のそうそうたるデザイナーの方にもご来館いただけるのですね。

篠塚:確かに、館内全体にすでに独特の雰囲気がありますね。他にも工夫されている点、振り切ってやられている点はありますか?

金井:もともとあった建物を改装すると、無駄な空間が生まれてしまうのですね。それをどうしようかと頭の中で考えていたときに、これをあそこへ置いたら似合うのではないかと思って買い求めたりしたものが結構あります。御所坊はそういうやり方で作りました。既成品を寄せ集めて作れる世界ではない。ものを作り上げていく楽しみというのが、旅館経営の醍醐味だと思います。

「孫に一番いいものを」から生まれた、食へのこだわり

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篠塚:ものを作る中で、旅館はそれ自体が作品であるということですね。ここまではデザインや設えへのこだわりについてのお話でしたが、農業法人を立ち上げられたとも伺っています。食へのこだわりには、どんなきっかけがあったのでしょうか。

金井:農業法人は10年ほど前に立ち上げました。最近は私も農業をやろうと思い立ち、農業法人のメンバーの農家の方達に教えてもらっているのですが、そのきっかけは私の孫です。孫がご飯を食べているのを見ているとき、ふと、「孫の食べるものは私が作ろう」、「孫には一番いいものを食べさせてあげたい」と思ったのです。そこで、御所坊を日本一のお子様ランチを食べられる旅館にしようと考えて、食によりこだわりを持つようになり、自ら農業をしています。

篠塚:お孫さんのことを考えながらも、旅館に関連した事業展開につながるのですね。やはり、金井さんの取り組みの中心に旅館があるという印象です。

金井:なんでも旅館につながっていますよね。例えば、フレンチフライにするにはどの芋がいいのか、コロッケにはどの品種がいいのかというのを決めて、孫に食べさせるのだから売上云々ではなく一番いい種芋を育てようと考える。その芋を20kgずつ、3種類植えるにはどれくらいの畑がいるのか、そこから逆算して畑を手配する。すると、孫のことを考えながらも、自然とお客様に一番いいものをご提供できるようになりますよね。そうした流れから、次は兵庫県の伝統野菜を集めようということで準備しています。

有馬温泉 陶泉 御所坊

篠塚:御所坊では、兵庫県内の伝統野菜のみを使われているのですか?

金井:大量生産されているものではなくて、その土地で生き残っているものをうちの農業法人で生産する、もしくは仕入れさせていただき、それを使った料理を作っていきたいと思っています。

篠塚:日本でも稀有といいますか、そこまで新しいものを取り込む旅館は少ないと思うのですが、金井さんのモチベーションになっているものは何なのでしょうか?

金井:旅館の主人は「や!どや!」と言えるものを出さなければいけないと思うのですよ。宿という言葉は「しゅく」と読めるでしょう。宿(しゅく)というのはエリアを指すのですね。宿(やど)は、ひとつの建物ではなく「宿(しゅく)」なのですよ。有馬というひとつの宿(しゅく)、エリアの中で御所坊の歴史を考えてみると、有馬の湯守りではないかと思うのですね。世界的にも珍しい温泉の湧く、日本でもトップレベルの歴史ある温泉地のルーツであると。それくらいの自負でやれば、少々のことは乗り越えられるのではないかと思うのです。

地域の仲間とつくる、有馬の未来

篠塚:「宿」はエリアであるという考えのもとに、有馬自体を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいらっしゃるのですね。有馬という宿場街の視点で、取り組みへの手応えは感じていらっしゃいますか?

金井:有馬が「動いた」のは、21年前の阪神淡路大震災以後だと思うのですよ。それまでは、町づくりのプランは作っても、動かなかったのです。阪神淡路大震災が起こってから街は変わりましたし、温泉地人気ランキングでも有馬の地位が上がってきました。ところが、客足が順調に伸び始めると段々と横着になってしまうのです。そうした傾向にならないようにしなければいけないのですが、地域づくりは難しいですね。

篠塚:それが、今の有馬の課題ということですね。

有馬温泉 陶泉 御所坊

金井:足元ではいろいろな危機が忍び寄っているのですよ。例えば、今は外国のお客様が来てくれていますが、有馬は今後、通過するだけの場所になりかねないのです。関西国際空港に着いたらまず有馬温泉、そして最後にも有馬温泉というコースを確立するには、今の旅館のシステムを変えなければいけないと思っています。一般的な旅館の場合、宿への到着が夕食に間に合わなければ料理を提供できないシステムです。そうなると、大阪市内に宿泊するか、いっそ遠くまで行ってしまおうということになってしまいます。また、外国の方が日本に来て何を食べたいかを考え、献立から逆算して伝統野菜を育てるなどの取り組みをする必要があります。しかし、単に豪華なごちそうを食べるだけの観光は、これからは流行りません。豪華なビーフステーキや刺し身の盛り合わせより、この南瓜がこんなに美味しかったのかという方が驚きだと思うのです。

篠塚:まだまだ豪華なもの、ラグジュアリーなものが一般的な価値観である中で、食、農業を突き詰めていらっしゃるのですね。世界の人もまた有馬に行きたいと思ってくれる理由は、そこにあるのではないかという印象です。金井さんは「味の宿」や「宿文化研究会」など、いろいろなコミュニティをリードされていらっしゃるという印象なのですが、そういった新しい取り組みは全国のお宿さんも注目されていると思います。そうしたところは意識されているのでしょうか?

金井:私は、どこかで誰かがやっていて、流行っているものに追随するという発想はないのですね。自分でひらめいて、「これだ」と思うことをやっているだけです。絶滅に瀕している野菜を守る「アルゴテイスト」という考え方をもとに、有馬山椒をそこに登録しようと考えています。田舎の温泉旅館で希少な食材を味わえるとなれば、成熟されたお客様にも感動していただける。御所坊でしか実現できないような世界を作っていくことを意識しています。また、周囲を参考にして露骨に真似をするのではなく、その人がその人なりのエッセンスを加えて「これはどうだ」とやり返してくることができる仲間が、宿文化研究会の人間だと思うのですよ。一方通行ではないのですね。

篠塚:素晴らしい仲間と切磋琢磨して進んでいかれる環境があるのですね。そうした刺激を受けられる場所があるからこそ、未来の展望もより広がっていくのだと感じました。本日はありがとうございました。

有馬温泉 陶泉 御所坊

写真:ayami / 文:宮本 とも子

陶泉 御所坊 第15代目当主 金井 啓修

陶泉 御所坊 第15代目当主

金井 啓修

1955年、有馬町生まれ。1981年に御所坊を継ぎ、15代目 金井四郎兵衛を襲名。以来、有馬の街全体を巻き込んだ地域活性化に積極的に取り組んでいる。2010年、国土交通省「観光カリスマ」に指定2016年に有馬温泉観光協会長に就任。

有馬温泉 陶泉 御所坊

有馬温泉 陶泉 御所坊

兵庫県 > 神戸・有馬・明石

遥かな時を超えて在り続ける、有馬最古の宿。聴水御坊と雲山御坊からなる8つの客室は、歴史と文化の薫る空間です。