Relux Journal

ホテルマンに憧れ、世界中のホテルで活躍してきた田中氏。これまでの歩みや、KPG HOTEL&RESORTの社長としてこれからつくりあげていきたい姿について伺いました。

ゲスト

株式会社KPG HOTEL&RESORT 取締役社長兼COO 田中 正男

株式会社KPG HOTEL&RESORT 取締役社長兼COO

田中 正男

1961年大阪生まれ。1984年に東京ヒルトンに入社。同社にて営業職を経験した後、シンガポールを皮切りに海外の複数ホテルで支配人職に従事。2013年、KPGホテル&リゾートの沖縄統括支配人に着任。現在の取締役社長に就任後は人財育成を始め、ダイバーシティやLGBTへの理解促進活動にも注力している。

インタビュアー

株式会社 Loco Partners 代表取締役副社長 塩川 一樹

株式会社 Loco Partners 代表取締役副社長

塩川 一樹

1979年生まれ、立命館大学経済学部卒。株式会社ジェイティービーを経て、株式会社リクルートへ中途入社。旅行事業部にて、首都圏・伊豆・信州エリア責任者を歴任し約2,000施設以上を担当。2012年7月より株式会社Loco Partners取締役に就任。

第1章 「天職」で活かした個性

株式会社KPG HOTEL&RESORT

塩川:最初に、田中さんの生い立ちやホテルとの出会いを伺いたいと思います。

田中:高校2年生の時におじに連れられて、ホテルプラザオーサカにお邪魔しました。その時に、フロントの人がスーツをビシッと着ていて、クロークの女性が着物を着ていて、ベルマンがいてっていうのが、とても格好よく見えました。私はユニフォームが好きなんです。性格面でも、人を笑わせたりする面でのリーダーシップがあると自覚していたので、ホスピタリティとか、自分の得意な性格を使うのであれば、ホテル業が向いていると思ったんです。それで、大学1年の時の夏休み前から大学卒業までの4年弱、横浜のホテルニューグランドでアルバイトをしていました。

塩川:ホテルに足を踏み入れる前に、ホスピタリティや人を笑わせることに対する自分の個性に気付くきっかけがあったんでしょうか?

田中:まず、家系が賑やかなんですよ。的を射て面白いみたいなDNAは持っていました。あとは、母方の頭の回転の良いDNAを継いでいるということだったり、自分でやらなくてはならない、自分が社会に出て頑張らなくてはならない、という訓練を受けたりしたところです。この商売は毎日楽しいことばかりではないですが、全てを楽しむよう考えられるので、天職だと思っています。

塩川:なるほど。大学生になられて、横浜の老舗のホテルニューグランドにて4年間アルバイトをされていたということですが、この4年間はいかがでしたか。

田中:楽しかったですよ。基本的に夜勤でした。配膳会社に雇われたんですが、なぜかハウスキーピングをして、あとはベルマンも1年やっていました。

株式会社KPG HOTEL&RESORT

塩川:一般的にこういうお仕事ってきついという風に言われることも多いですよね。田中さんは、どんなところに面白みを感じられたのですか?

田中:色々なお客さまに会えるところですね。あと、高校の時からホテルマンになろうと思っていて、大学に入ってその気持ちがますます強くなっていたので、現場で一生懸命仕事を覚えなくてはいけないと思っていたのもありました。楽しかったですよ、本当に。ホテルニューグランドは今もあの頃も立派な良いホテルなので、ちゃんと泊まってもらおう、自分たちのサービスでお客さまにハッピーな気持ちで帰っていただけたらいいなと思っていました。もちろん、それ以上に失敗もたくさんしていますけれども。

塩川:4年間で、ホテルで勤務していくということの土台が強くできたんですね。

田中:そうですね。その後、ヒルトン東京に第1期生として入社しました。宴会ウェイター、アシスタントウェイターを担当したのですが、私は大阪出身でしたので、東京で2年半ほど経ってから「大阪出身なのでヒルトン大阪に営業で行かせてくれ」と手を挙げて、最年少主任として大阪へ行きました。

塩川:大阪ご出身で「帰ってきた」ということですね。そのときの心境というのは?

田中:とりあえず営業制覇という気持ちだけでした。何しろノルマが高かったので。携帯電話もポケットベルもなかった時代に、足で稼げと言われ、靴がすり減るまで歩き、2年目でトップ営業マンになりました。

塩川:それはどう実現されたんですか。

田中:宴会のお手伝いをするときには、宴会が終わるまで会場にいて、宴会終了後にお客様にご挨拶して、ということを2年間ずっとやっていました。

塩川:パーソナルな営業をしながら、根本的には人に喜んでもらうということを地でやってらっしゃったんですね。

第2章 日本と海外、変わらない「闘い方」

塩川:その後、いくつかのホテルを経て、シンガポールでのキャリアをスタートされたと伺っています。海外での闘いはいかがでしたか?

田中:周囲の優秀な同期やメンバーを見ていて、ふと「英語を話せないとこれ以上の出世はない」「海外に行かなくてはならない」と思ったんですよ。海外に出ないと、絶対に英語は勉強できないと。それで、英語で簡単な面談を受けた後にセールスマネージャーというポジションで、シンガポール リージェントへ入社しました。

塩川:シンガポール、台北、そして日本支社と、リージェントでの闘いがあったかと思いますが、ここでのお話を教えていただけますか。

田中:最高のホテルですね。しかし、言語では苦労しましたよ。シンガポールの英語は訛りが強いので最初は何を言っているのか分からなかったんです。そうすると、女の子が廊下で「こいつは東京ヒルトンで働いていたくせに英語をわからない」と話していたり、「田中さんは英語の会議に出ても仕方ないから出なくていいよ」と言われたりしました。悔しかったですよ。挫折はいっぱいありました。きつかったですね。悔しかったので、一生懸命英語を勉強しようと思いました。

塩川:シンガポールの次の舞台は台北ですね。

株式会社KPG HOTEL&RESORT

田中:はい、台北は4回目のホテルの開業でした。ちょうどホテルブランドが変わるということでシンガポールがクローズして、セールスの仕事がなくなりました。そこで、台北の話があって面接をして通ったんです。ラッキーなことにリージェントホテル台北の初代総支配人がヒルトン大阪の初代総支配人で、私が大阪時代にナンバーワン営業マンだったのを覚えていてくれました。ヒルトン大阪の時と同じように、台北の街で日本企業とエージェントを獲得するために毎日走り回っていました。

塩川:なるほど。日本での闘いと海外での闘いには、違いはありましたか?

田中:違うという意識は全くないですよ。日本にいようと海外にいようと、言葉は違っても私のポジションは一緒です。自分に与えられた仕事を100%こなそうという気持ちだけですね。もちろん英語を使ったり中国語も少し覚えたりはしましたが。

塩川:台北の次に、2回にわけて合計13年間ほどフィジーにいらしたとも伺っています。1回目のフィジーではどんなご経験をされましたか。

田中:最初のフィジー生活では、海外ウェディングのオペレーションを担当していました。実は、建国以来3回あったクーデターのうち2回を体験しているんですよ。国の施設が止まってしまい、国が機能していません。それが海外にも発信されているから、お客様はゼロです。一番忙しい夏もゼロ、冬もゼロです。そんな状況もあって、退職して日本に帰国しました。

塩川:1回目のフィジーのあと帰国され、京都・汐留・ロシア・台湾と、また各地でご経験を積まれていますね。その後、再びフィジーに戻られたのはどんな経緯だったのでしょうか。

田中:元々、フィジーに戻るつもりはあまりなかったのですが、オーナーから「戻ってこないか」とお声がけいただいたのがきっかけです。

塩川:経営課題が大きかったのでしょうか。

田中:大きかったですね。そんな中でまたクーデターがあり、リーマンショックがあり、日本直行便がなくなって日本マーケットが0%になり。色々なことがありました。東日本大震災もこの頃でした。日本ほど大きなものではありませんでしたが、フィジーにも津波がきて、お客さま全員とスタッフ全員を避難させることもありました。それでも、フィジーでの経験は楽しかったですね。

第3章 「社長」としての役割

塩川:現職の株式会社KPG HOTEL&RESORT(以下、KHR)とのご縁は、どんなきっかけだったのでしょうか。

田中:後任を探しているからと、知人に誘われたのがきっかけです。約10年ぶりに日本に帰ってきました。実は、2012年に「フィジーが終わったらここに住もう」ということで、沖縄市に自宅を設けたんです。その場所が偶然にも、カフー リゾート フチャク コンド・ホテル(以下、カフーリゾート)とオキナワ グランメールリゾート(以下、グランメールリゾート)、そして今度できるグランディスタイル
沖縄 読谷 ホテル&リゾート(以下、グランディスタイル)の真ん中なんですよ。

株式会社KPG HOTEL&RESORT 株式会社KPG HOTEL&RESORT

塩川:偶然ですか、導かれているようですね。KHRに入社されて6年目、そして社長も務められていますね。社長としてどうチームを作っていきたいかということをお聞きしたいと思います。

田中:私は一スタッフから総支配人までを経験しているので、みなさんの気持ちが分かるのと、ホテルとして、総支配人として、しっかりホテルを運営したいという気持ちがあったので、それで社長に就任しました。いま思っていることは、お客さまもスタッフも毎日笑顔でハッピーに暮らしてほしいということです。ここが一番ですね。

塩川:お客さまとスタッフのみなさんの笑顔を、どう作っていくかと。

田中:はい。もちろんそれを実現するために、各ホテルの利益の確保、人材の確保、会社に対するクレジットを持つこと。クレジット・信頼の中にブランディングアップがあって、ブランディングアップのために社会貢献をする、ダイバーシティを受け入れる、人材育成をする。すべては、会社のためのクレジットを作るということなんですね。それを作らなければ、スタッフが笑顔でいなければ、お客さまも来ない、売上も上がらない、利益も出ない、そうすると投資もできませんよね。私が「ええなあ!そやなあ!」とピエロになることによってみんながハッピーになるのであれば、それでいいんじゃないかと思っています。

塩川:スタートは笑顔が大切だということですね。

田中:私が面白いことを言うことで、スタッフも「あ!田中社長は今日もハッピーだな」と笑顔になる。スタッフの笑顔が楽しそうということが、総支配人や部門長に伝わり、若いスタッフに伝わり、お客さまにも伝わる。社会貢献をする、ダイバーシティを受け入れる、人材育成をすることによって、スタッフみんなが会社にプライドを持ってくれる。それが、お客さまに一生懸命良い料理を作ろう、良いサービスをしよう、良いお部屋を準備しよう、という心につながると思います。

第4章 特色を活かし、魂を吹き込むということ

塩川:最後の質問として、未来のお話をしてみたいと思います。本日の取材会場であるカフーリゾート、近隣のグランメールリゾート、それから今度オープンするグランディスタイル、その他に長崎や佐賀と、数多くあるそれぞれの施設にどんな息吹、魂を吹き込んでいきたいですか。

株式会社KPG HOTEL&RESORT

田中:まずカフーリゾートに関しては、総支配人以下、ホテルの運営組織はしっかり出来あがっていますし、最高売上、最高利益を出し続けています。来年10周年を迎えますが、カフーリゾートらしさを出してもらいたいし、カフーリゾートのブランドが日本一のリゾートホテルになれるようにしていきます。もう1つ目指したいのは、外部から入ってきた人に「こんなに高い経営・運営テクニックを持ったホテルでは、今まで働いたことがない」と言われる組織です。そういう面でホテルのマネジメントをもっとしっかり勉強してもらいたいし、もっとお客さまに喜ばれるカフーリゾートらしさを追求していきたい。カトープレジャーグループ全体のフラッグシップホテルの1つなんです、ここは。

塩川:グランメールリゾートについては、いかがでしょうか。

田中:グランメールリゾートに関しては、自分が今そこで生活しているので、一番親しみがあります。90%が沖縄出身のスタッフですし、グランメール愛が強く、従業員の仲も一番良いんです。だからこそ、もっと特色のあるホテルにしなくてはなりません。外国人のお客さまが60%なんですが、私は100%近くでもいいなと思っているんです。

塩川:ありがとうございます。そして長崎と佐賀では、どんな姿を目指されていますか。

田中:長崎は、去年7月にリニューアルオープンして、これからなんです。ユニークさは持っているので、地方再生の第一歩になるようなリゾートにしたいと思っています。地元雇用もたくさんしたいですね。佐賀は「日本の小宿10選」に選ばれましたし、ミシュランも目指せると思っています。だから、小宿の良さを追求してもらいたいですよね。手が届かないところに手が届くような。

塩川:スモールラグジュアリーですか。

株式会社KPG HOTEL&RESORT

田中:そうですね、ソフトウェア、ソフトパワーのナンバーワンになれる旅館にしたいです。ハードウェアが良いホテルはたくさんあるし、お金を出せば全室露天風呂などもいくらでも作れるんですよ。でも、ソフトウェアは本当に作れない。きちんとスポットライトが当たるようなところにしたいですね。

塩川:最後に、これからオープンを迎えるグランディスタイルへの思いを教えていただけますか。

田中:私が担当しているホテルは、全て特色があります。だからマーケットもお客さまも違って難しいんですね。グランディスタイルは大人のリゾートをコンセプトにしており、ご満足していただけるよう、上質な家具や雰囲気、お料理をご用意しています。スタッフも、カフーリゾートとグランメールから良いメンバーを選抜しました。彼らには、パーソナルサービスをしてもらいたいです。今、私が着手しているのは、沖縄で成功していないマーケットなんですね。だから、どこまで出来るかまだ分からないですが、訪れたお客さまが必ず「良かった!」と言ってくださるようなホテルを作ろうと思っています。

塩川:具体的には、どんな体験をお届けしたいですか?

田中:今まで想像していたけれど出来なかったような大人の滞在です。それが実現できるようにしていきたいですね。

塩川:大人のラグジュアリーステイですねここまでのお話を通じて、田中さんには「家族感」があると感じます。近くにいると元気をもらえますね。

田中:私の仲が良い社長さんが、「会社は選べる家族だ」とおっしゃっていました。沖縄の小さな経済人かもしれないけれど、みんなに少しでも良い影響を与えていけたらと思っていたりします。

塩川:名言ですね。本日はありがとうございました。

株式会社KPG HOTEL&RESORT

写真:徳山 耕平 / 文:伊藤 里紗

株式会社KPG HOTEL&RESORT 取締役社長兼COO 田中 正男

株式会社KPG HOTEL&RESORT 取締役社長兼COO

田中 正男

1961年大阪生まれ。1984年に東京ヒルトンに入社。同社にて営業職を経験した後、シンガポールを皮切りに海外の複数ホテルで支配人職に従事。2013年、KPGホテル&リゾートの沖縄統括支配人に着任。現在の取締役社長に就任後は人財育成を始め、ダイバーシティやLGBTへの理解促進活動にも注力している。

カフー リゾート フチャク コンド・ホテル

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