Relux Journal

坐忘林の世界観に魅了され、そのコンセプトを守り続ける関根氏に、「おもてなし」に向き合い続けたこれまでと、ニセコと坐忘林のこの先をお伺いしました。

ゲスト

坐忘林 総支配人 関根 隆清

坐忘林 総支配人

関根 隆清

1968年大阪生まれ。関西外大卒業後、西オーストラリア州に渡りホテル業界へ。94年にハイアットリージェンシー大阪に入社後、上海、サイパン、グアム、東京と国内外のハイアットホテル、リゾート、会員制クラブの料飲部に18年以上勤める。2016年に坐忘林の総支配人に着任。

インタビュアー

株式会社 Loco Partners 代表取締役副社長 塩川 一樹

株式会社 Loco Partners 代表取締役副社長

塩川 一樹

1979年生まれ、立命館大学経済学部卒。株式会社ジェイティービーを経て、株式会社リクルートへ中途入社。旅行事業部にて、首都圏・伊豆・信州エリア責任者を歴任し約2,000施設以上を担当。2012年7月より株式会社Loco Partners取締役に就任。

第1章 「バーテンダー」から「マネージャー」へ

塩川:最初に、関根さんのホスピタリティ領域でのお仕事の歴史をお伺いできますか。

坐忘林

関根:大学を卒業後、オーストラリアに渡り、バーズウッドホテル&カジノのVIPルームでバーテンダーとして1年近く勤めました。大学生の時も、芦屋のホテル竹園芦屋でアルバイトとしてバーテンダーをしていたので、バーテンダーがどんな仕事かは理解していましたが、それでも非常に良い経験ができましたし、海外での仕事の経験が、後々の自分の仕事のベースになっていると思います。

塩川:そうですか。いきなり海外に飛び出したということですね。

関根:飛び出しましたね。海外で仕事をしたいと若いころから思っており、それで飛び出しました。

塩川:オーストラリアのパースを選んだ理由はありますか?

関根:夕日を見るのが好きで、海に沈む夕日を見られるのが西海岸、という風に思っていました。それでシドニーではないなと思ったのと、ホテル竹園のバーのお客さまからご紹介という人のつながりもあり、行くしかないと。

塩川:なるほど。ちなみに、学生時代にホスピタリティ領域でアルバイトをすることになったきっかけはあったんでしょうか。

関根:実家がレストランを営んでおり、母がオーナーをしていました。なので、レストラン業界に入ることは抵抗がなく、すんなり入っていけました。

塩川:自然な選択だったんですね。腹落ちができてきました。まず最初のキャリアをオーストラリアの西海岸、パースのバーテンダーとしてスタートされ、1年で帰国されたと伺っています。

関根:そうですね。当時はワークパーミットを延長させるのが難しい時代で、そのまま名残惜しく帰国しました。帰国後はヒルトン大阪で1年間、バーテンダーとして仕事をし、その後ハイアットリージェンシー大阪の開業に携わりました。

塩川:大阪ではどんなキャリアを積まれたのですか?

関根:それまでの経験を活かして、若いスタッフを育てるバートレーナーを務めていました。チームリーダーのような役割です。アシスタントマネージャーに昇格になっても、引き続きバーの仕事をしていましたね。そんなある日、コーポレートトレーニングのトレーニーに選ばれるチャンスを頂き、コーポレートトレーニーとして1年間フルタイムのトレーニングに入りました。今でも恩師だと思っているアメリカ人の上司からこの話をもらったのですが、その時はマネジメントより職人としてとしてやっていきたい思いがあったので、とても悩みました。決められないまま、再度呼び出されて、満面の笑みで聞かれたときには「イエス」としか言えず、そのままコーポレートトレーニーになりました。

坐忘林

塩川:ホスピタリティ領域のプロフェッショナルになったり、周りを育てたりという方向性のキャリアだったのが、上司から提案を受けたのはジェネラリストとしてのキャリアですよね。その上司の方からは関根さんがどういう風に見えていたのか、何か思いはありますか?

関根:彼には、私が優れたバーテンダーであると思っていただいていたとは思うんです。ひょっとしたら日本人の従業員の中では、「こいつはちょっと英語がしゃべれるな」というところに、可能性を見出していただけたのかもしれません。

塩川:その先のキャリアはいかがですか?

関根:無事に全ての部署をまわるコーポレートトレーニングを終え、海外のハイアットに昇格をもって異動するというありがたい機会をいただきました。ちょうど30歳ぐらいの時で、和食のレストランマネージャーとしてハイアット リージェンシー サイパンに異動しました。

塩川:ここでまた海外での仕事が始まったんですね。

関根:そうですね。その直後に、そのアメリカ人の上司がグランド ハイアット 上海の開業で異動され、私にもビバレッジの統括サポートとしてお声がかかり、延べ3ヶ月半くらいの長期出張にいきました。初めての中国で、上海も成長が楽しい時だったので、本当に面白い経験をさせていただきました。サイパンに戻りますと、そこから3年間はレストランマネージャーとして仕事をしました。

第2章 海外で得た強さと、地の自分でつくるチーム

塩川:「ホスピタリティ」という未成熟な領域で、だからこそこれから発展する可能性が高そうなマーケットでの闘いではタフネスさが求められるのではと思いますが、いかがでしょう?

関根:海外に出たからには上に行きたい、という気持ちはありました。実は、サイパン・グアムは仕事をするのは心身ともにタフさがないと生き残れない所でした。そういう所でやってこられたのは、「ここまで我慢したんだから更に上を目指したい」という強い気持ちがあったからだと思います。

塩川:お客さまをもてなすということが「好き」だという気持ちが、それを支えていたんでしょうか。

関根:そうですね。おかげさまでサイパン・グアム時代は日本人のお客さまにも、ローカルの外国人のお客さまにも可愛がっていただき、特に顧客に愛されたというか、すごくありがたい経験が多くありました。それが日々のモチベーションになっていましたね。いま思えば、そこで強さを得ました。

塩川:再度海外に闘いの場を戻すんですが、国内外問わずチャレンジの場があればやってみるとか、信じて行ってみるという考えをお持ちなんでしょうか。

関根:そうですね。海外に出ることに抵抗はなく、むしろやりがいがある、チャンスがあればいつでもと思っていました。国が違っていても、おもてなしに対する哲学や情熱は全く同じです。場所を変えても同じ考えややり方で通じるものなんだなあ、という自信が少しずつついた時代でもありました。

塩川:その後は、どういったキャリアになっていくんでしょうか。

関根:グアムのハイアットに勤めているうちにハイアット リージェンシー 大阪時代のスウェーデン人の上司に呼ばれ、六本木ヒルズクラブに行きました。

塩川:初の東京でのキャリアですね。どういった期間だったのでしょうか。

坐忘林

関根:料飲部の責任者として入り、8つのレストラン、バー、ウェディングも含む宴会など、大きいホテルサイズのオペレーションを見ることになりました。ダイナミックだったので、やりがいも面白みもありました。

塩川:ここでのご苦労とか、学びの広さと深さは、ご自身の成長過程としてどんな風に位置付けられるんでしょうか。

関根:本当に苦労したのは大きなチームをまとめる、チームビルディングやピープルマネジメントでした。グアム・サイパン時代から、リーダーを演じる、あるいは厳しい司令官を演じるとかではなく、地で従業員と付き合ってやっていこうというのがポリシーでした。「お客さまのために」とか「お客さまに喜んでもらうために」とか、ちょっと口実っぽいところがあるなと思ったんです。なので、自分の地を出して「こういう風にやる方が面白いだろう」と指導していくことに努めました。厳しさよりも、楽しく、面白く仕事をしようという感じですかね。

塩川:なるほど。経験上、上に立つ方というのはむしろどなたよりも謙虚な方が多いなと感じるのですが、やはり関根さんのお話もご自身が楽しんでいらっしゃり、それを伝えてきたんだろうなと私の中で理解をしました。この後のお話もお伺いできますか。

関根:日々VIPが集まる会員制のクラブで緊張感のある仕事をしている日々でしたが、ホテルに戻り、自分のホスピタリティに対して帰ってきてくださるお客さまと、もっと接したいと思うようになりました。そこで、ハイアット リージェンシー 那覇沖縄の開業のプロジェクトができるケン不動産リースに移ることを決断しました。

塩川:そこから先は、どのようなステップになっていくのでしょうか。

関根:ケン不動産リースの本社の機能として、ハイアット リージェンシー 那覇沖縄の開業準備や、国内ホテルの運営支援でしばらく勤めていました。その後、ホテルキャッスル 山形で総支配人をする機会を頂き、山形に行くことに決めました。

第3章 イギリス人オーナーと作り上げる旅館のスピリッツ

塩川:今までの積み重ねの中で、初めてすべての責任を負う立場になるところへ踏み出したんですね。山形時代はいかがでしたか。

関根:2年間、非常にやりがいのあるプロジェクトでした。30年以上の歴史があり、地元では利用したことがない人はいないくらいの老舗ホテルでしたから、地元の方からの期待も高く、愛情のある苦言をたくさん頂きました。地元の方が誇りに思えるホテルを目指して、立て直していかなければいけないんだなという使命感がありましたね。実際に2年経って、「大分変わったね」とおっしゃっていただけるようになりました。

塩川:今までの経験が活きたわけですね。

関根:そうですね。自分がビバレッジのエキスパートであるということは自信にもなりますし、それがあったから営業にも役立てられたとか、お客さまを惹きつけるツールになってきたのかなというのはありますね。

塩川:その後の坐忘林との出会いの経緯を教えていただけますか。

関根:たまたま、前に勤めていたホテルで異動の話が出たところで坐忘林のお話を頂きました。かなり悩んでいたのですが、実際に坐忘林に泊まってみたら、一晩で惚れ込んだと言いますか、素晴らしいところだなと一気に考えが開けてきました。それが大きな決心になりました。

塩川:なるほど。ちょうどニセコがフィーチャーされていくタイミングでもあったかと思いますが、高揚感やワクワクはありましたか?

関根:グリーンシーズンのニセコの大自然を見て、そこを車で走っているうちに新しいことが始まるような、新しい冒険が始まるような、そんな高揚感は確実にありましたね。

塩川:心の内から良い場所だなと思えたわけですね。旅館という、今までの関根さんのキャリアにはなかった宿泊形態に関してはいかがでしたか。

関根:旅館に関しては経営に関する数字を見たことがある程度の経験しかなかく、旅館の哲学を全く知りませんでした。なので、ここへ来てイギリス人のオーナーとお話をするごとに、旅館のスピリッツを学ぶようになってきました。新しい勉強でしたね。でも不思議な話で、旅館とは何ぞやという哲学を教えてくださったオーナーはイギリス人なんです。

坐忘林 坐忘林

塩川:坐忘林は、海外から日本に惚れ込んだ人が創り出したプロダクトとして非常に面白いです。地域、自然を非常にリスペクトした造りなど、とても居心地の良い空間でした。そんな坐忘林の魅力を語っていただけたらなと思います。

関根:ここは、ホテルと見違えるようなモダンな造りをしています。そのモダンさの中にも、和の旅館なんだという立ち位置は一本筋が通っていて、トラディショナルな日本旅館というベースがあります。オーナーは、旅館のスピリッツを「おもてなし」と「自然に対するリスペクトとそれと調和すること」と定義しています。旅館のおもてなしに関しては私もオーナーも同じ考えで、多少つかず離れずの距離感が大切だと考えています。オーナーはホテルマンではないので、おもてなしに関しては我々を信じて託してくださっていて、従業員一人ひとりがそれぞれの個性を表現できるようなサービスを目指しています。もちろんマニュアルなどのスタンダードはありますが、お客さまと自然体で接してほしいと思っていますね。

塩川:そんな想いを踏まえて、お客さまに坐忘林でどんな宿泊体験をしてほしいですか。

関根:坐忘林としては、オーナーの哲学を日々貫くことに努力しています。細部に渡るまでオーナーの情熱が詰まっているので、完成とは言いませんが、大分熟してきている状態です。我々がお客さまに体験していただきたいことはすでにここにある、と信じているので、今からもっとこんな体験をしてほしいとか発展するようなアイデアよりは、今まさに完成しつつあるこの状態を、静けさを、より多くの方に体験してほしいと思っています。

第4章 魅力あるニセコで坐忘林が目指す世界

塩川:ありがとうございます。実際に来てみて感じる、ニセコという土地の魅力を教えていただけたらと思います。

坐忘林

関根:ニセコはパウダースノーが素晴らしい高級スキーリゾートとして外国人により多く認知されていて、冬がピークシーズンとして発展した土地だと思います。そのため、春から秋にかけてのグリーンシーズンは、閑散期と呼ばれていました。しかし、ご覧のとおりの大自然で、緑が豊かですごく生命感にあふれる時期なんですね。最近は、このグリーンシーズンの美しさを知り始めたお客さまが増えているように思っています。このグリーンシーズンこそ素晴らしいニセコということで、お客さまにはもっと体験していただきたいなと思います。

塩川:私も、5月の中旬を過ぎても雪の残る羊蹄山を見ながら輝く新緑が見られるこの時期は、ベストシーズンと言ってもいいのではないかと感じています。

関根:6月から7月はお花を、8月から9月は涼しさを、10月はゴールデンブラウンに染まる紅葉を楽しんでいただけます。実際に、紅葉の時期は紅葉を目的にお越しになる外国人の方も増えています。

塩川:なるほど。ニセコが伝えるべきは、雪も含めた四季を楽しむのに非常にうってつけの場所だということなんですね。

関根:食に関しても、冬にはない大きな魅力がグリーンシーズンにはあり、夏の間のお野菜や日本海から太平洋までの海の幸といった食材に加えて、余市のワイナリーや森の中のチーズ工房、羊蹄山からの水で作られたお豆腐やお蕎麦など、美味しいものを見いだしていただけます。

坐忘林

塩川:とても1泊では足りないですね。最後に、坐忘林が目指す世界を関根さんの想いも含めてお教えください。

関根:今までもこれからも取り組みとして考えているのは、エコフレンドリーです。具体的には、プラスチックやペットボトルの使用をなるべく抑えるようにしたり、ストローを紙製に切り替えたりということです。急に全て廃することは難しいですが、そういう努力を少しずつしております。あとは開業時からエアコンを使わず、春や秋の涼しい時期は天然の温泉の熱で床暖房を賄っています。さすがに真冬になるとマイナス20度の世界が続くので、その時は灯油も焚いていますが、寒さの加減に合わせてハイブリッドで自然の熱と灯油とを使い分けるシステムがあります。最近は坐忘林のCO2排出量を算出し、温室効果ガス削減事業に対してのお支払いを実践し始めました。そういった、企業としての社会的責任も果たしていきたいと考えています。

塩川:なるほど。大自然に恵まれ、享受するものがあるので、企業として貢献できることを積み重ねていこうという純然たる想いで愚直に行動していらっしゃるということですね。

関根:そうですね。今後の旅館業としての取り組みとしては、数世代に渡って長くお付き合いをさせていただける旅先でありたいと思っております。実際に3世代でご利用いただくご家族さまもいらっしゃいます。次に来た時にはご家族が増えていたり、そのお子さまの成長を我々が見られるのもすごく嬉しいですし、末永くお付き合いいただけるリピーターさまを増やしていきたいですね。私どもはまだ若い旅館で、老舗の旅館さまには到底かないませんが、そこを目指し、日々のオペレーションやおもてなしの気持ちを変えずに、地道に努力していこうと思います。そのためには、やはり今の坐忘林のコンセプトが大自然のようにいつまで経っても変わらないように守っていくことが大切だと思っています。

塩川:なるほど、ありがとうございます。お話を伺って、関根さんの思いの一つひとつの「点」が今、「線」になっているように感じられました。

坐忘林

写真:池田 睦子 / 文:伊藤 里紗

坐忘林 総支配人 関根 隆清

坐忘林 総支配人

関根 隆清

1968年大阪生まれ。関西外大卒業後、西オーストラリア州に渡りホテル業界へ。94年にハイアットリージェンシー大阪に入社後、上海、サイパン、グアム、東京と国内外のハイアットホテル、リゾート、会員制クラブの料飲部に18年以上勤める。2016年に坐忘林の総支配人に着任。

坐忘林

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北海道 > ニセコ・ルスツ

ニセコの大自然に囲まれ、ひっそりと隠れ家のように佇む宿。