2018.07.27
目次
第35回 十勝の「ブランド化」を目指して。北海道ホテルの社長が語る、ホテルから始まる街づくりと地域発展の極意
森のスパリゾート 北海道ホテル 取締役社長 林 克彦
幾多の異業種経験を経て「森のスパリゾート 北海道ホテル」を誕生させた林克彦社長に、十勝にかける熱い想い、そしてホテルが目指す未来について伺いました。
ゲスト
森のスパリゾート 北海道ホテル 取締役社長
林 克彦
1975年、北海道帯広市生まれ。大学卒業後にカナダ留学ののち北海道に戻り、様々な職種を経験。2009年には「北海道ガーデン街道」を立ち上げる。2017年に株式会社北海道ホテル取締役社長に就任し、北海道ガーデン街道協議会、とかち帯広ホテル旅館組合会長、帯広観光コンベンション協会副会長も務める。
インタビュアー
株式会社 Loco Partners 代表取締役副社長
塩川 一樹
1979年生まれ、立命館大学経済学部卒。株式会社ジェイティービーを経て、株式会社リクルートへ中途入社。旅行事業部にて、首都圏・伊豆・信州エリア責任者を歴任し約2,000施設以上を担当。2012年7月より株式会社Loco Partners取締役に就任。
第1章 曽祖父から受け継いだ、地域第一主義の精神
塩川:本日は、林さんのこれまでの取り組みや生い立ちをはじめ、ホテルについてはもちろん、これからの十勝観光の展望もお聞きしたいと思います。よろしくお願いいたします。まず生い立ちをお聞かせください。
林:1975年生まれで、8月には43歳になります。父が十勝毎日新聞社(以後、勝毎)の社長で、北海道ホテルを買収したのが確か自分が18、19歳の頃ですね。勝毎は1919年に「地域の発展とともに」という社是のもと曽祖父が立ち上げ、現在代表を務める兄で4世代目です。我々はいつも「地域第一主義」。地域が発展しているからこそ、家族や会社の存在があるということを脈々と受け継いできました。自分は両親、そして祖父母とも一緒に暮らしており、家族経営だった温泉とメディアのどちらにも、幼少期によく連れて行ってもらったことを記憶しています。
塩川:そんな環境の中で、どんな幼少期を過ごされたのでしょうか。やはり、自然と戯れる時間が多かったのですか?
林:幼少期は家の近くにリスがたくさん、小川には魚がいて、クワガタも自転車で数百メートル行けばいるような状況でした。帽子でエゾリスを捕まえたりもしましたね。それくらい身近に自然が多くあり、昆虫類を追いかけ回していた記憶があります。中学校から大学にかけてはアイスホッケーに打ち込みました。
塩川:高校を出てからは大学進学で上京されて、その後は海外留学もされたと伺っています。
林:NHL(北米のプロアイスホッケーリーグ)を自分の目で見てみたいと思ったのと、カナダに姉がいたので、そこを頼るようにして大学卒業後すぐにカナダへ留学しました。英語の勉強をしながら、大学の先輩が経営する北米ナンバーワンの寿司屋を手伝っていたんです。面白かったのは、カナダ人たちがいつも大量の白米を食べていたこと。当時はまだまだ日本食が普及していなかった頃なので、普通は寿司を頼んで食べて終わりなのですが、カナダ人は寿司とは別に白飯をよく注文していました。ひたひたになるほど醤油を寿司につけるため味が濃くなってしまい、そのためにより多くの白いご飯が必要になるんですね。いつも「ご飯の量が足りない!」と言われていました。そういう場面を見ていて、食や観光の文化の違いは面白いなと思っていました。
塩川:やはり、留学で得たものは大きかったんでしょうか?
林:大きいですね。日ごろから熱い情熱は持っているんですが、当時はあまり積極的ではなかったんです。シャイなのか硬派なのか分からないですが、道を尋ねるとか、あまり人に聞くことが得意ではなくて。でも、向こうに行ったら自分自身で生きなければいけないし、当時はスマートフォンもないですから、分からなかったら聞くしかないわけで。これからは自ら積極的にいかないと駄目だと決意しました。そこで変わりましたね。問題があれば自ら発見し、解決し、物事を進めていく。そこは本当にひとつの転機だったような気がしますね。
塩川:日本へ帰ってこられて、そこから新聞社のお仕事が始まっていくと。そこから宿に携わるまでの期間はどのようなものだったんでしょうか?
林:25歳で帰ってきてから勝毎の社長室に入って、どういう人が働いていて、どういう人が会社に来るのか、という新聞社の動きを学びました。新聞社の社長は地域を代表するポジションなので、毎日のように政治家や大手企業役員などの経済人、そのほか色々な人が来ていました。そこでかなり人脈を作らせてもらいましたね。
塩川:そこに人も情報も集まりますし、色々な人の想いや地域課題、果たすべき役割なども見えてきたんですね。かなり濃密な時間を過ごされていたんではないでしょうか?
林:そうですね。1年間そこにいることだけで、すごく財産になりました。情報がたくさん入るので、自分の経験値も幅広くなるんです。色々な人のアイディアや意見を聞いていると、自分の知識や未来も広がるんですよね。私はいつも意思決定を重要視していますが、意思決定はつまり「今」なので。そして「今」は過去と未来からもたらされる。色々な方の過去を知り、未来の知見を知る大切さ…そういう考え方は、あの時に構築されたのではないかなと思います。
第2章 歴史に学び作り上げた「北海道ホテル」
塩川:メディアに携わっていた期間は、何年くらいになるのでしょうか。
林:メディアに携わりながらレストランの常務をしたり、「十勝千年の森(世界で最も美しい庭とも評される、勝毎関連会社が運営するガーデン)」の社長をしたり、北海道ホテルの取締役もしていましたが、昨年の4月まではずっと新聞社にいたので、16年間ですね。
塩川:林さんの「時間」には、メディアがあって、地域や人があって、ビジネスも宿も「千年の森」もあったんですね。勝毎の事業の広がりを知っていくうちに、手がけていらっしゃる事業での地域貢献と自社課題の解決をされていることがわかります。例えば、新聞は紙をたくさん使うのでカーボン・オフセット(削減の努力をしても減らせない温室効果ガス排出量を、他の場所での排出削減・吸収量で埋め合わせること)が必要だということで生み出されたのが、「十勝千年の森」ですね。
林:「十勝千年の森」は父が作り上げたものなので、構想のスタートは26年前、1992年です。その時から、森や自然の大切さをより意識していたのだと思います。そしてここ北海道ホテルは、同時期に当時「北海館」と呼ばれていたホテルを買収。この街に残る豊かな森を守るため、ホテルを引き継ぎました。誰かに買われてしまったら、この森が伐採されてしまうかもしれない。木は育てるのに100年かかります
塩川:地域に根ざした新聞社だからこそ、守っていかなければいけない、という意思も反映した事業展開となったんですね。
林:ビジネスのことだけを考えれば、木を伐採して建物を増やして、客室数を増やせばいい。しかし、海外にはその土地の文化や自然に根ざした魅力的なホテルが多いんですね。父も、そういうホテル文化を作りたかったからこそ「北海道ホテル」という名前をつけたんです。赤レンガをメインデザインにした北海道ホテルができた後、帯広駅から南側、ホテルまでの道には赤レンガの建物がたくさん増えているんですよ。そうやってデザイン化されたひとつの地域らしさ、自然のシンボルマークを作ると、地域の人が「あれ、いいね」と感じてくださる。そうやって景観美の良い街づくりがされていくんだと思います。
塩川:先ほどの話にもありましたが、北海道ホテルに伺ってみて、レンガ調でここまで贅沢にデザインされていることに驚きました。十勝のレンガということですが、どんなデザイン思想なんでしょうか。
林:自然素材を使うのがもの凄く得意な建築家集団「象設計」と出会ったんです。そこの代表と「北海道のホテルってなんだ?」と考えた時に、北海道庁の赤レンガを思いついたそうです。父の言葉ですが、「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」と。やはり歴史を深掘りすると非常にいいネーミングやデザイン、未来が見えてくるんですよ。かつ、デザインはアイヌ模様。これも歴史ですね。北海道は今年で命名から150周年を迎えますが、名付け親の松浦武四郎はアイヌを理解し、非常に大切にしたと伝えられています。父はこの歴史を知っていたので、アイヌ模様を取り入れ、北海道らしい赤レンガを取り入れ、十勝の自然素材や木材をたくさん取り入れているということなんです。
塩川:なるほど。建物もレンガの他に、木材も北海道産なのですね。
林:だからこそ、変わらない良さがありますよね。歴史や時が積み重なれば重なるほど、この雰囲気にも味や重厚感が出てきます。
塩川:ネーミングも「北海道ホテル」ですし、北海道を代表するようなホテル、その旗印になる覚悟で宿の運営に本格参入されたということですね。
第3章 十勝らしさを引き出すマネジメント
塩川:北海道ホテルの23年間の歴史の中で、面白いエピソードはありますか?
林:北海道ホテルなのになぜ札幌にないのか?ということはよく言われます(笑)どうしても「北海道イコール札幌」というイメージが強いんですが、札幌の人に北海道らしい場所はどこか?と聞くと十勝と答える方が多いんですよ。田園風景や畑作風景、大自然があり、食が豊かで、おいしいお菓子があって。あと酪農ですね。
塩川:やはり十勝には北海道らしさが詰まっていて、道内の方にとっても望郷の里のようなイメージがあるんでしょうか。
林:そうですね。観光地としてはまだまだ知名度は高くないですが、それでも農業、酪農王国という「北海道らしさ」はダントツだと思っています。それを認識しているからこそ、我々は北海道ホテルという名前をつけているんです。北海道らしいホテルこそ十勝にあるべきだという認識です。
塩川:十勝に伺って、食事もごちそうになったのですが、十勝の市町村をテーマにした食事の取り組みはとても面白いですよね。料理にかける想いは、どのようなものですか。
林:やはり、十勝は農業と食が間違いなく第一なんですね。畑作や酪農を中心に発展してきた歴史があるわけですから、その歴史を外して運営することはできません。同じ十勝でも19市町村それぞれ、食も雰囲気も自然も違いがあります。フキノトウやギョウジャニンニクなどの山菜、鹿などのジビエもそうです。地域によって色々なタイプと違いがあるんです。
塩川:お話を伺っていると、それだけの知見や交流の量は現場に興味を持たなければついてこないと思うんですね。林さんは重要なポジションの方ですが、どこでもフランクに会いにいくというのは日常的なライフワークになっているんでしょうか。
林:当然ながらそうですね。農業者、酪農関係の友人も多いですし、16年ほどこの場所にいると農業のIT化、観光のグローバリゼーションなど、情報がたくさん入り常に変化していることに気づかされます。経営のあり方も変わってきていると感じていて。自分自身、「十勝千年の森」の社長になった時には現場に没頭し、現場の仕事を取るくらい森に入りガイドもして、重機に乗って働きました。でもお客さまの数は増えなかったんです。その時に、自分の役割は顧客創造のために営業や企画戦略構築などであって、自分の強みを活かすことが重要なんだと認識したんです。現場に入り過ぎ、邪魔することではないと。木を見て森を見ず、ではなくて木を見ながら森も見ていかなければと思った時に、一人ひとりの強みやキャラクターを活かすことが必要だと分かったんです。
塩川:「一人ひとりの強みやキャラクター」に関連して、ここから少し「人」のお話をお伺いします。まず印象に残ったのが、スタッフさんがみなさん笑顔でご挨拶をくださったこと。どんなことを意識しながらチーム作りをされているんですか?
林:最初にしたことは3つあって、忖度なしにオープンに話せる環境を作り、それをいつでも自由にホワイトボードに書きながら、見ながら意見を言える場所を作りました。自由な意見をより言えるよう、社長就任時に「怒らない宣言」もしましたね。怒りは社内を不安定化させ、生産性の低下につながりますので。あとは、最初の2ヶ月ぐらいはここに住みましたね。ホテルに(笑)まずは現場を顧客視点で知り、問題を認識する。そして、問題に順序をつけ、慎重にマネジメント視点で論議していく。そこから実際に、ものすごくチームが良くなっているんです。
塩川:現場の雰囲気のほか、お客さまからの反応はいかがですか。
林:やっぱり違いますよね。スタッフ同士で、常に自然な笑顔で相手の性格、価値観、強みを引き出すということを覚えてもらっています。そうすると、同じようにお客さまの性格、価値観、強みを推測しながら接客するようになりますから、格段によくなります。
塩川:余談ですが、私が北海道ホテルに伺った際にもスタッフの方が声をかけに来てくださったりして、非常に風通しの良さを感じました。成果が出ているということですよね。まずスタッフの皆さんとのコミュニケーションのあり方が改善してきて、顧客目線に発展して。宿のレベルがどんどん上がっていくという好循環ですね。
林:はい。顧客視点になって、小さな問題点も全て拾ってプロジェクト化して、チームで解決することを意識しています。しかしながら、仲良しこよしでは困るので、顧客アンケートによる点数評価は常に目標を高く設定し、モチベーションを高くする努力をしています。
第4章 十勝全体で挑む、Wow!のあるまちづくり
塩川:少し視点を変えて、未来のお話をお聞きしたいと思います。北海道ホテルのモール温泉と改装されたお部屋を利用させていただいたんですが、そのモール温泉の持つ強みに対する考え方、そして今後ホテルをどうしていくのかという展望をお聞かせください。
林:2015年にホテルの名前を「森のスパリゾート
北海道ホテル」に変えました。まさにその時から単純な宿泊や宴会ビジネスだけでは生き残っていけない、いつもスタッフ一人ひとりがクリエイティブな思考を持ち顧客を創造できないと駄目だと考えています。だからこそ、我々が持っている最大の資源である自然豊かな森と温泉を最大限活用しようじゃないかと。それで、ビジネスホテルとの差別化のためにも露天風呂付きの部屋を作りましたし、今後は森、そして森の住人のリスをお客さまに知り、楽しんでいただくために、我々スタッフ全員が森のガイドをできるようにしよう!という挑戦もしていく予定です。これらのアイデアをもっと増やし、実行すれば顧客の創造につながるのではないかと。それこそが、街や森、そして十勝を楽しむということにつながっていくんだと思います。
塩川:なるほど。持っている資産から強みを引き出して、かつ顧客視点で考えていく、ということが宿全体で取り組まれていることであり、今後も続けていくことなんですね。十勝という地域に対する想いや、取り組みについてはいかがですか。
林:自分自身、ホテル業に携わる前に「北海道ガーデン街道(大雪・富良野・十勝を結ぶ全長約250kmの街道)」を立ち上げていて、地域の強み、資源、人をしっかりと連携させることで地域がブランド化されるということを経験しています。その中に、体験を含めた「見る」、「食べる」、「泊まる」という要素が複合的に絡み合い、Wow!という驚きがあることで多くの人が繰り返し来てくださるということが分かったんです。あとは、運輸も必要です。飛行機、新幹線、列車、バス、タクシーも。この要素があって初めてブランディングされるんです。自分はホテルの社長ですが、ホテルだけではなくて観光エリア全体を俯瞰すること。そして連携すること、それが本当に大事だと思います。これが、地域の個性であり強みであり、豊かさというものにつながっていくと思うんです。
塩川:より広域に見ると強みがいくつもあって、それらを結びつけることを意識されていたんですね。最後にお聞きしたいのが、林さんの行動力についてです。十勝エリアの発展のために、海外にまで足を運んでいると伺っています。その行動力の源泉は、どこにあるのでしょうか。
林:お手本がないときには、各地へ足を運ぶしかない。失敗しているものもありますが、歴史から学ぶのが一番いいんです。あとは、仲間ですね。自分は英語はできますけど、難しい交渉まではできないので後輩に助けてもらったり。
塩川:やはり林さんの最大の魅力は、人を巻き込んで、仲間がたくさんいるというところに感じられますね。宿づくり、地域づくりとはそういうことなんだなと思います。それから、林さんおすすめの自然、景観は7月上旬の北海道ガーデンとも伺いました。
林:来年のNHK朝の連続ドラマの舞台が十勝です。しかも、記念すべき100回目。著名な俳優の方も、多く出演すると聞いています。来年、十勝が日本中から最も注目されるんですね。だからこそ地域みんなで連携して、やっぱり来てよかった、もう一度来たいと思える体験を十勝全体で作り上げないと、お客さまは離れていってしまいます。仲間との連携が、情熱へと、行動へと掻き立てるんです。だからこそ最初にお話した、曽祖父が作った「地域の発展とともに」という社是が、DNAのすみずみまで入ってるんだなという気がしますね。
塩川:たっぷりとお話を伺うことができました。私も、「仲間」にしっかりと発信していきたいと思います。本日はありがとうございました。
写真:岡田 友宏 / 文:森 幹也
森のスパリゾート 北海道ホテル 取締役社長
林 克彦
1975年、北海道帯広市生まれ。大学卒業後にカナダ留学をしたのち北海道に戻り、ホテル業以外にも様々な職種を経験。「北海道ホテル」は1994年に命名され運営開始。2015年「森のスパリゾート 北海道ホテル」に改名。2009年には大雪富良野から十勝エリアに広がる8つのガーデンを連携させ「北海道ガーデン街道」を立ち上げる。2017年に株式会社北海道ホテル取締役社長に就任し、北海道ガーデン街道協議会、とかち帯広ホテル旅館組合会長、帯広観光コンベンション協会副会長も務める。
北海道 > 帯広・十勝
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